ーー岸井ゆきの・高橋一生が出演するドラマ『恋せぬふたり』によって、アロマンティック・アセクシュアル(他者に恋愛感情・性的欲求を抱かないセクシュアリティ)というセクシュアリティが世間的に、知られつつある。
性はグラデーションという言葉があるように今回お話を伺ったふゆこさんは、アロマンティック・セクシュアル(他者に恋愛感情は抱かないが、性的欲求は抱くセクシュアリティ)で、昨年11月に同じくアロマンティック・セクシュアルの男性と友情結婚をした。
互いに恋愛感情を抱かないけれど、性的欲求はある。そんな関係性の中で、どのような新婚生活を送っているのか。
ーー「恋愛はするのではなく、見て楽しむこと」。そんな自分を人間として感情が欠落しているとさえ感じた日々
「結婚することが、いちばんの幸せなんだからね」。幼いときから、そう母親に言い聞かされてきました。仕事よりも結婚・出産を懇願される度に「自分の人生やから、いいやん別に」と思う反面、母親の願いを叶えてあげたい気持ちもあって20歳を過ぎてから街コンや合コンに積極的に参加するものの、先立って感じるのはいつも疲弊感。
例え、その中で出会った尊敬できる人と交際を始めてたとしても、恋人として接される上で性的欲求を向けられることに違和感・嫌悪感を抱いてしまうため、半年以上関係が続いたことがなくて。
その一方で異性に対する性的欲求はあって、性行為を楽しむことが出来る自分を「人間として在るべき感情が、欠落しているのでは?」と追い詰めた時期もありました。
恋愛感情を抱くのであれば、恋人と手を繋ぐことは温かい気持ちになるのかなと考えはするものの、実際にはそういった気持ちが生まれず、手を繋がれたり身体の距離が近かったりすると、自分じゃない誰かを装っている感覚になるんです。ただ、それは自分に対してだけに抱く気持ちで、街中にいるカップルは微笑ましく思えるし、少女漫画や恋愛映画も好きで登場人物が失恋して泣いているシーンなんかを見るともらい泣きしてしまうこともある。
「私って何なんだろう……」。
そんな風に自分と同じ気持ちを抱えている人を見つけたくて、たどり着いたのが「アロマンティック・セクシュアル」というセクシュアリティ。他者に恋愛感情は抱かないが、性的感情はあるという人のことを指す言葉が存在すること、そして同じセクシュアリティの人たちがSNSで交流を深めている現実を知り、すごく安心したのを覚えています。
思春期真っ只中の高校時代は部活一筋で恋愛とはほど遠い毎日を過ごす日々で、恋愛話をする機会も自分自身の性と向き合う時間もなかったため、セクシュアリティを知るまで時間はかかりましたが、アロマンティック・セクシュアルを自認してからは他者に恋愛感情を抱かれることや「結婚しないの?」という言葉に対して、モヤモヤする理由が明確になった分、以前よりは楽な気持ちでその都度、対応できているかなと思います。
ーー初対面で、両親への挨拶から入籍までの日程を打ち合わせ。同じセクシュアリティの男性と出会い、友情結婚
現在は昨年11月に友情結婚をした、3歳年上で同じくアロマンティック・セクシュアルの男性と2人暮らしをしています。最初は同じ職場でたまたま婚活をしていたシスヘテロ男性の上司がいたので、自分のセクシュアリティを伝えた上でお付き合いをしたのですが、やはり完全に理解いただくことが難しく、次第に恋人として接されることが多くなり婚活のときと同様、長続きはしませんでした。
そこからは、色々なセクシュアリティの人たちがパートナーを募集している掲示板への書き込みを続け、アセクシュアルやゲイの方など4人ほどお会いしたのですが、最終的に結婚に対する価値観がぴったりだった現在の夫と出会い、結婚まで漕ぎ着けました。
期間で言うと書き込みをはじめてから大体10ヶ月ほどで、初対面の際は結婚に対する価値観の擦り合わせやお互いの両親にどのように話すか、入籍後の段取りなど、デートというよりは完全に打ち合わせに近い一日で。アロマンティック・セクシュアルならではの感覚を共有できた嬉しさ、またドライブなどの外出も楽しかったため彼以上に条件や感覚が会う人はいないだろうなと思い、結婚を決めました。
夫は両親からの圧力と言うわけではなく、職業的に結婚や年齢といった一定の条件を満たさないと職場の寮から出ることができない規則に縛られていて、現状を脱するための友情結婚を選んだと聞いています。こういった点でもセクシュアリティによる弊害を被るのだなと痛感しました。
そのような流れがあって去年の夏頃、結婚することを母親に伝えると「とりあえずよかった」と薄い感じの返答で。どうやら、私が恋愛結婚じゃないことが嫌だったみたいで、自分自身のセクシュアリティもそのときに伝えたのですが「なんでそんなこと言うん?頭おかしいんちゃうん?」と言われたことで、大喧嘩になったんです。
父は「人も多様性やから」と昔から、私が結婚してもしなくてもどちらでも良いという感じだったので、ありがたかったですが、最終的には母も、私のような人もいると言う程度には理解してくれたみたいで、今ではあっけらかんとしています(笑)。相手方のご両親には、夫婦そして私の両親含め友情結婚であることは伝えないという方針でいます。
ーー「シスヘテロとLGBTQが隔てられている社会にこそ、違和感を抱いて」。新婚生活の先に見つめるもの
結婚生活は完全平等がモットー。部屋もそれぞれにあって自分のことは自分でやるという寮生活に近い感覚。廊下でばったり会うとお互いに会釈をするという感じで、基本は敬語なのですが、距離感としてはそれぐらいがお互いにとって心地いいんだと思います。
性行為に関して言えば、倫理的には外れていると自覚していながらも、やはりこの関係性を崩したくないというのが優先順位としては一番上にあるので、お互い外で発散するような感じです。仮にどちらかが、その気が無かったとしても、恋愛感情を察知して嫌悪感を抱いてしまったら、今まで積み上げてきたことが全て台無しになってしまうので。
そのため、母親から期待されてる子どもに関しても、二人の子どもを産む場合は人工授精を考えていますが、そうして授かった子どもを果たして愛することができるのだろうかという気持ちが大きいので、とりあえず子どもはここ数年考えないようにしようと、結婚前に話しました。
ただでさえ、愛し合った夫婦から生まれてきた子どもが両親に愛されないという現実もニュースで目の当たりにしているので、私たちの気持ちに整理がつくまで予定はありません。
それに、あくまで私個人の話になりますがアロマンティック・セクシュアルを自認していると、「もしかしたら、まだ本当に好きな人に出会っていないのかもしれない」という可能性が常に頭の中にあるので、そう簡単に子どもを授かるという選択もできないんです。そのため、今の関係性も「もし本当に好きな人と出会えたら、そのときはまた考えよう」と話はしています。
結婚をしてよかったこと…。当初は世間体なんて気にしないと思っていたはずなのに、やはり母や祖母からの結婚に対するプレッシャーから解放されて、心の荷が降りたことが一番よかったと思うことです。職場で結婚報告をした際に夫のことや出会いなど恋愛に関する質問に答えないといけないのは苦しいですが、結婚しているという事実が心の安心には繋がっているのかなと。
ですが、そもそも世の中や周囲の圧力がなければ結婚という選択はしていなかったので、いつかは私みたいなセクシュアリティの人がいてもある意味、聞き流される程度で済む世の中になっていって欲しいなとは思います。
今ってヘテロが普通、LGBTQが特別っていう感覚がやっぱりあると思うんです。むしろそういう世の中であることに違和感を感じる社会、セクシュアリティ問わず皆がフラットに生きられる社会になっていけばと思います。
取材協力/Twitter@fuyu_arm
イラスト/Instagram@dan_akiyama_
企画・取材/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO