“ブスな生き方をポップに変える”謎職業・ブス説法師って?新宿ゴールデン街イチ自由人、おぴんきーの仕事観にフォーカス♡

大手レコード会社が主催するオーディションでグランプリを獲得、バンド活動を経てバースタッフ、ブス説法師なる職業をも作り上げ生業にするほど嘘偽りなく生きているおぴんきーとのお酒を楽しみたいと、新宿ゴールデン街のバー「BLUE DRAGON」と「smile(すみれ)」には多くの常連が足を運ぶ。

「男と女のセンターライン、時代を作るニューカマー」というキャッチコピーの通り、彼がバイセクシュアルと自覚したのは18歳の冬。ボーイスカウトの大会でバイの男の子と出会ったのがきっかけだった。人として惹かれるものがあった彼とその年のクリスマスイブを一緒に過ごすために地元・福島から鈍行電車で青森まで向かった。2人でベッドに入り体が反応した瞬間「自分はバイセクシュアル…?」という心の隅で感じていた疑問が確信に変わったそうだ。

お互いキャリアビジョンが明確にあったため付き合うまでには至らず、音楽活動をするために高校卒業と同時に上京。専門学校での生活を経て、飲食やアパレル、イベント設営、出張料理人などのアルバイト経験の中でたくさんの人生を見てきたおぴんきーの生き方、そして「おぴんきー」という看板ひとつで働けるようになりたいと思う理由をバースタッフ、ブス説法師といったお仕事にフォーカスして話をうかがった。

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「肩書きが何も要らないゴールデン街ってすっごい楽なの。何でもありで、それを受け入れてくれるのよ」

――新宿ゴールデン街のバーで働こうと思ったきっかけを教えてください。

お酒は弱かったんだけど、ゴールデン街のような場末で働きたいなーとは常々思っていたの。ある日、友達の知り合いが働いているバーに呼ばれていったのがこの下にあるお店で、たまたま「BLUE DRAGON」のオーナーさんがいたんだよね。それで仲良くなって遊んでいる時にさらっと話したら「じゃ、働く?」と言われて以来、そのまま4年くらいここにいるわ(笑)。

新宿二丁目のバーで働くことも頭をよぎったんだけど、20代の時に足を運んだバーやゲイナイト独特の雰囲気が私には合わなかったんだよね。お互い無言でマウティングを取るような、あの感じよ。ゲイ受けするかしないか、群れられるか群れられないかで区分けされていく中、自分はゲイ受けしなかったし、群れることもできなかった。それにお酒を弾けるように楽しみたいというよりは、お酒を交わしつつゆっくり話したいという気持ちがあったから自然と足が遠のいっていたの…。

――おぴんきーさんにとっての「ゴールデン街」ってどんな場所ですか?

何も背負わなくて良いし、肩書きが要らないところかな。新宿で言うと歌舞伎町はステータスというものが会話をしていく上で必要になってくると思うし、新宿二丁目はLGBTといったセクシュアルマイノリティであることがアイコンとして必要になるケースが多いなと感じているの。

その点、ゴールデン街って本当に自由。うちのお店でもそうなんだけど、たまたま来ていた学生さんが話していたおじさんが実は会社のお偉いさんだったなんて良くあること。ゴールデン街全体が気負わずに自然体でお酒を楽しめる空間なのは本当に楽だと思う。私が働いている「smile」のスタッフは、ストレートの女の子もいれば私みたいなオカマもいるし、FTX(特定の性であることを自認しない中性あるいは無性の方)の子もいる。何でもありで、それをお客さんも受け入れてくれるの。

――働く上で心がけていることや、感じたこと気づいたことなどを教えてください。

他人を知ろうと思う前に、自分を知ってもらおうってことは接客に限らず意識していることね。人間って自分自身に害がないか判断してから心を開くことがほとんどだから、絶対にこっちから声を掛けるようにしてるの。それで少しでも楽しんでくれてるかもと思ったら徐々に内容のある会話をするようになっていくわね。こんなこと言ってるけれど、昔は自分から話しかけるような人ではなかったの。今も超人見知りだし(笑)。

自分を知ってもらうことが対人関係でとても大切だと思ったのは、カミングアウトについて深く考えた専門学校生の時だったわ。当時、たまたま目にした週刊誌「ニューズウィーク」でゲイに関する特集が組まれていて、ジェンダーに捉われずLGBTもストレートも仲良くしようみたいな団体の存在を知ったの。実際にその団体に所属している人に会いに行って「カミングアウトとは?」みたいなものを色々話したんだよね。それで満を持して友達にカミングアウトをしてみたんだけど、意外にあっさりした反応で驚いたの。自分の本質を知ってもらうことがコミュニケーションでとっても重要であることに気づかされた瞬間ね。

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「今までの「ブス」な生き方を捨てて、第二の人生を見届けるのがブス説法師として一番幸せな瞬間」

――「ブス説法師」として女子を中心に人気を浴び、色々なイベントに出演されてますが、そもそもブス説法師とは?

いきなりそんなこと言われても分かんないわよね(笑)。「ブス」っていうのは簡単に言うと、悪い意味で生き方のクセみたいなものね。人間って対人関係や社会のルールを知っていくうちに、無意識に自分のポジションを決めてそこに収まろうとする。せっかく生まれ持ったセンスに蓋をして、個性を殺してるんだよね。それが素じゃ無い、無素(ブス)ってこと。そして、その個性を開放して自身の魅力に気づいてもらうのが無素説法よ。毎回10人くらいの少人数で開催しているの。

自分の順位を下げて生きている人なんてそうじゃない?物でも人でも役割でも「私、最後の残り物で良いです」みたいに自分の気持ちにブレーキをかけちゃう人。そういう人って人間関係でも自分さえ我慢すれば良いとか優劣、貧富、美醜とかに影響を受けやすいと思っていて。

逆に言えば他人のことを良く見ているからこそオンリーワンな存在になりやすい人たちで、よく「自分の個性を探そうとしてるけど見つからない」と言われるんだけど、足元に落ちてる個性に気づいてもらって人生をポップに生きてほしいのよね。

――ブス説法師という職業を作り出し、それを生業としようと思った最初のきっかけは何だったのでしょうか?

きっかけは2016年に所属していたバンドが活動休止になったことね。その後、何をやるかを考えてもいなかったんだけど友人に「何して生きたいの?」って言われた時に「ブスブス言って生活したい」っていう言葉が口から流れるように出たの。

あと私がオカマってことも大きな割合を占めているかも。個人的な見解だけどオカマって相談されることが本当に多い。男と女の気持ちが先天的に分かると思われてんだよね。男性の身体だから男の肉体的な心理状態の変化は察知できるけど、女性のホルモンバランスによる心理状態の変化はどう考えても察知できないわよね(笑)。まぁ女性性が強いことは自覚してるし女友達も自然と多くなってくるから情報がたくさん集まる。それでバランスが取れて両方の立場が分かってくるようになるんじゃないかしら。

オカマってファンタジーだと思っていて。「あんたブスね~!」って言ってもそれが挨拶みたいなもんだから、女の子も男の子も異性に言われている感覚が薄いのか傷つくこともあまりないじゃない? ブス説法師として活動を始める前に、周りの人に今やっているようなことをしたら泣いて喜んでいる人もいたの。

その中の一人が「ジャンヌダルクブス」。あ、今までの生き方にお別れするということは一旦死ぬことと一緒だからこんな感じで戒名をつけてんのよ(笑)。その女性は「女性」ということに対する考えと男に振り回されていたの。良くあるじゃない?「女性だけど、こうでなくちゃいけない」みたいな勘違い。その人、職場が男性ばかりだったこともあって、それに引っ張られて負けじと頑張っちゃたのよ。「あんた、女一人で自分自身の考えと闘いすぎじゃない?」みたいな説法を説いたら電話越しで泣いちゃったの。

その後、自分は自分のままで良いんだって思ってくれたみたいで、今では自分で会社立ち上げてイベントのオーガナイズとかしてるのよ。それがブス説法師を本格的にお仕事にしようと思った最終的な決め手ね。努力・根性で変わるっていう考えも否定はしないけど、こんな感じで生き方が迷子になっている人の役に立てるのならって思ったの。

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「おぴんきーを必要としてくれる場所と人がいて、それで生活が回れば望むものはないわ」

――この他にも自主企画イベントや大学客員講師、イベントMC、企業研修など様々なお仕事をしているおぴんきーさんが目指す、理想の働き方って?

職業「おぴんきー」がいいかな(笑)。「○○をやってるおぴんきーさんね」って言われるのが苦しくなると言うか、嫌なの。だって○○に当てはまる職業に就いている人なんて世の中にたくさんいるし。そうじゃなくて私がしていることに価値を見出してくれる人がいてそれがお仕事になって、生活が回るのならそれで充分満足。だからイベントもラジオアプリ配信など外向けの発信をしているの。この前はラジオアプリの配信で1位にもなったんだから(笑)!

理想とする生活に近い毎日を送れている私も、20代の頃は地元でバイトを転々としながら、繰り返しの毎日に絶望する日々を送っていたの。小さい時から目立ちたがり屋で承認欲求が強かったし、私の個の力を認めてくれて私だから成立するお仕事をするのが夢だった。そんな矢先に東日本大震災が起きた。その時、イベント設営スタッフのアルバイトでたまたま東京に来ていたんだけど、なぜか早く地元に帰らないとっていう意識が薄かったんだよね。

結果、東京に残って出張料理人みたいなことを始めたらこれが思った以上に好評で半年ぐらい続けたのかな?100人規模のタワマン合コンの料理を一人で作るなんて経験もしたわね(笑)。こうした生活の中で、あんなに安全だと言われていた原発での事故、そして私自身に価値を感じてくれてお仕事を依頼してくれる日々を振り返って「雇用」っていう形態だけが、全てじゃないと思ったんだよね。

今って個に企業が投資する傾向にあるし、大きく言えばゴールデン街も同じ。箱は同じなのに売り上げが統一にならないのは人の差、どこで働いてるかなんてオプションに過ぎないんだよね。

――最後に自分の生き方に悩んでいる人にアドバイスをお願いします。

私から言えるのは周りとの差を意識しすぎてる人は要注意ってことぐらい。家族や友人、恋人、同僚、過去の自分、将来になりたかった自分と比較しても結果、ネガティブな考えに落ち着きがち。理想とする姿がいつか現実になるものと考えて、長い目で自分を見てあげて。

それが明日か5年後か、はたまた10年後かは分からないけど、「理想の自分」を毎日少しでも思い出すことが習慣づけば、理想に近づく小さな行動の積み重ねはできるようになってくる。アンテナも張るようになるから、情報は集まるしキーパーソンとも繋がるチャンスもゼロではないはずよ。

とにかく目の前の結果を正解、不正解で裁いて自分を苦しめるような「無素」な生き方は止めることをオススメするわ。

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おぴんきー/東京を拠点にダンサーやDJ、ラジオパーソナリティーとして活躍する傍ら、2016年から「ブス説法師」として人が潜在的に持っている魅力を閉じている要素をおブスとして捉え、独特のオカマ言葉でいじりながら奥にある魅力を引き出す。

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写真・記事作成/芳賀たかし(newTOKYO)

※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp

ジェンダーフリーのミックスバー「Campy! bar 渋谷PARCO店」に行くとLGBT当事者の未来がもっと明るくなるワケ♡

左から/女装パフォーマーやタレント・ライターなど多方面で活躍し、お店のプロデュースを担うブルボンヌさん。「Campy! bar」の家弓社長。一度会ったら忘れられないインパクトのあるビジュアルと絶妙な距離感の接客が心地良い店長のチカコ・リラックスさん。ドラァグクィーンの634・マンガリッツァさん。 新宿二丁目のメインストリートである仲通りに本店を構えておよそ7年。様々なジェンダーのスタッフが微笑み混… もっと読む »

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