海外雑誌『PLAY BOY』のカヴァーを日本人で初めて飾った、渡辺万美。10代からグラビア活動をスタートさせ、今なお抜群のプロポーションで男女問わず多くのファンを魅了し続けている彼女がジェンダーフリーなアンダーウェアブランド『Bushy Park』を本格的にスタートさせたのは2019年8月のこと。
高校卒業と共に欧米留学をしたLGBTs当事者の友人たちからの「日本では生きづらい」という声がブランド立ち上げの原動力であったと話す。幼い頃からジェンダーへの偏見がない環境で育った彼女が「アンダーウェア」に着目した理由、そして当事者だけでなくストリートカルチャーを愛する若者たちの目に留まるようこだわり尽くしたコンセプトとデザインには、LGBTsへの理解をより加速させるための狙いがあったーーー。
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◇◆◇多様なセクシュアリティが受け入れられる環境が当たり前だった幼少期とは一転、日本においてLGBTsが生きづらい社会であることに気づき問題視し始めたのは、友人の留学経験を耳にした時
私が通っていた私立小学校は男女で区別されることがほとんどなく、生徒一人ひとりの自由が優先されるような学風。それゆえ「男の子だから、女の子だから」といった先入観も生まれず、過ごしていました。学校での生活を振り返ってみると、LGBTs当事者と呼ばれる人たちもいたと思います。というか現にその小学校で出会って、今なお親交がある友人の中にはLGBTs当事者と呼ばれる方もいますが、私も含めその小学校で育った人たちからすると「友達」は「友達」でしかないんですよね。中学校・高校では小学校で育んだジェンダーに対する開けた考えが通じる感覚は薄く馴染めないこともありましたが、社会においては多様なセクシュアリティの人たちが身近にいることが当たり前だと思っていました。
ただ、そう言った考えが当たり前ではないという日本の現状に気づかされることになったのは、高校卒業と同時に欧米留学へ行った友人たちとの会話からでした。留学期間を終えた彼らが帰国しないことに疑問を抱いた私は「なぜ、日本に帰ってこないの?」と聞いたんです。すると彼らからは総じて「日本は生きづらい、セクシュアルマイノリティがカミングアウトできるような環境ではないの」との言葉が返ってきました。身に纏いたい服を着ることができない、メイクもできない、パートナーを家族に紹介することもできない。好きな人、好きなモノを「好き」と言えない環境、彼らが海外へ移住する最大の理由でした。
2017年頃、そんな友人の一人に会いに海外へと足を運ぶ機会があったのですが、物凄く生き生きしていたんです。彼はハイヒールに足を通し、唇にはリップがスッと引かれている。そして隣の男性を笑顔溢れた表情で「彼なの!」と紹介してくれました。とても幸せな気持ちになりました。同時に「日本に彼が住み続ける選択をしていたら、こんな幸せそうな姿を見ることはなかったのかも」と、ふと不安な気持ちが沸いたんです。その時に「LGBTQ」という言葉を知りましたし、彼は日本やアジア圏におけるセクシュアリティマイノリティの立場や各国の対応、そして自身が経験した中高でのいじめが留学へ踏み出すきっかけの一つでもあったということも話してくれました。
それから「彼らのようなLGBTs当事者のために何かできることはないか」と動きはじめました。ご縁があって、新宿二丁目にあるバー『GOLD FINGER』のオーナーであるCHIGAさんをご紹介いただき、ニューヨークで行われるプライドパレードへ一緒に参加することに。一言で言うと本当に最高!東京や台湾で行われるパレードとはまた雰囲気が違くて、ニューヨークという街全体で盛り上がるイベント。もちろん、LGBTs当事者だけではなく多くのストレートの方たちも参加していて皆が人権問題や社会問題として捉えつつ、自由な生き方を推進している印象で、規模ももちろんですが人々の思いが形となったパレードは圧巻でした。
そして「好きになった人が好きな人」という、私が子供だった時の考えも含めてLGBTsであることが間違いなんてことは決してないんだなと改めて思った瞬間でした。
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◇◆◇グラビアのキャリアを無駄にせずLGBTsアライな社会推進に貢献を。ジェンダーを限定しないアンダーウェアブランド『Bushy Park』から好きなモノを好きと言える世界に 。
NYでのパレードが刺激となって帰国してすぐ、高校生の時から積み上げてきたおよそ10年のグラビアのキャリアを活かして何か新しいことを始めたいという気持ちが強くなりました。そして、私がグラビアというお仕事をする上で常に身につけてきたアンダーウェア制作なら、自分がブランドを立ち上げる意味や説得力が見出せると思ったんですよね。ただ、デザインの知識が全くなかったので小学校の時の幼馴染みでデザイナーとして活躍していたゲイセクシュアルのMOTOKIにアイテムデザインをお願いすることに。
当初はグラビアで10数年間で数えきれないほどの下着を身につけてきた経験を最大限に活かせるよう、女性のためのアンダーウェアを中心に製作しようと思っていたのですが、たくさんの女性用アンダーウェアブランドがあるだけに素材や質感、デザインで「私たちらしさ」のようなものを表現するのが難しくて…。頭を抱えていた私にMOTOKIが「もう男性用とか、女性用とか取っ払わない?」と言ってくれた時はハッとしました。
日本ではその時「ジェンダーレス」という言葉がキーワードとなって、メイクも洋服もジェンダーも自由で良いんじゃんみたいな流れが来ていた一方、アンダーウェアは男女で分けられることは大きく変わることはなかった。日本にはない、そしてブランドを通してLGBTsアライな社会作りに貢献できるかもしれない。そうして男女でカテゴライズしないジェンダーフリーなアンダーウェアブランド『Bushy Park』がスタートしました。
ただ、下着で男女の性差を感じさせないデザインって本当に難しい!(笑)。体のつくりやラインが違うことで、フロント部分をどうするか、サイズはどう分けるのが良いのか、様々な問題をクリアするためには2年の歳月がかかり、第1弾アイテムをリリースできたのは2019年の8月でした。試作品ができる度に都度、ジェンダー問わず色々な方たちに穿いてもらった結果、前ポケットはつけず体のラインが出ないようゆとりを感じられる形に。特にカラーに関して言うとMOTOKIのこだわりが本当に強くて、私が選んだ生地のカラーがイメージと違うと「これはダサい、やり直し」と言われることもしばしばありました。そういった少しの妥協も許さないプライドが結果としては、とてもいい仕上がりに繋がりました。
私自身も「カラー」というものは性差を感じる大きな要因のひとつだと思っていたので、お客様が色を見た時に「あ、この色は男の子だね、女の子だね」と判断されることは避けたかった。コントラストがはっきりしていない、そしてトレンドでもあったくすみカラーを多く採用することで、アイデンティティを保ちながらファッショナブルに着こなせるんじゃないかな。
ストリートデザインに落とし込んだのは私自身そういったテイストのアイテムが好きということもあるのですが、トレンドや新しい価値観を生み出していく若い世代に知ってもらいセクシュアリティを問わず彼らが着たいと思うものを作ることがLGBTsアライな社会作りに繋がると思ったんです。カッコいいものはカッコイイ、そう思って選んだアイテムが日本におけるジェンダーへの問題提議にもなっているというのが偏見なく、シームレスに実情を伝えられる一つの手段なんじゃないかなと考えています。
最近では表参道にあるランジェリー専門のセレクトショップ『il Felino.(イルフェリーノ)』にもBushy Parkのアイテムを卸させていただけるようになって、多くの男女カップルの方にお買い上げいただけているという声をよく聞いていて、とても嬉しかった。愛する人にしか見せる機会がないアンダーウェアこそ、恋人と同じものを身につけられるのはストレートな彼らにとってはとても新鮮なことなんだと思います。
また、私がたまたまお店に足を運んだ時には、女の子2人がBushy Parkのアンダーウェアを試着しながら「可愛いね」なんて話しているのも目にすることがあって、泣きそうになりながらロンドンに住んでいるMOTOKIに電話しちゃいました(笑)。この他にもインスタグラムでいかにもストリート系な男の子から「俺はどのサイズが合いますかね?」といったDMも来るように。2年の歳月をかけて作ったものが届いて欲しい人たちにしっかり届いている、そう実感できた時はとても感慨深かったです。
5月にはTENGAさんとコラボしてBushy Park第2弾アイテムをリリースするのですが、NYに点在するLGBTQ向けのアンダーウェア・アダルトショップに行った時にスタッフが皆、私が日本人だと分かるや否やTENGAを指差しながら「日本は最高にクールだよね!」と話してくれたことが強烈に印象に残っていて、それがTENGAさんとコラボしたいと思った最初のきっかけ。
帰国して行きつけのバーでその話をしていると、隣に座っていた方がたまたまTENGAの会社に勤めている方で、とんとん拍子に話が進んでいきました。コラボするにあたって、私はNYの視察で目にすることが多かった内側にポケットがついたアンダーウェアをセクシュアル、ジェンダーに関する啓蒙の意味を持たせたかった。
するとTENGAさんの方から「ポケットの中にコンドームを入れてセット販売しよう」とご提案をいただいたんです。性病予防や避妊がいかに大切であるかも見せ方次第で、伝わり方も伝わる人の数も全く違ってくると思う。それらが未来を守ることに繋がるということをファッショナブルに伝えることができれば、このコラボレーションが社会的にも意義を持ったプロジェクトになると感じ、制作をしました。
今後は若者カルチャーが集約した渋谷・原宿を中心にLGBTsアライな社会を推進するイベントにも、Bushy Parkを携えて積極的に参加していきたいと思っています。すでに都内近郊に住んでいる人はもちろんですが、地方の若者も訪れるであろう街でジェンダーフリーなアイテムが目に入る機会が多くなれば、多様な生き方と選択が当たり前な社会であるという認識に変わっていくはず。
ジェンダーやセクシュアリティを問わず一つの洋服を選ぶみたいにBushy Parkを手に取ってもらえるよう、ストレートの人たちだけではなくLGBTsの声もしっかりと反映させたアイテムに最先端のトレンドをを取り入れて、好きなモノを好きと言える社会づくりに貢献していければ幸せだなと思います。
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プロフィール/渡辺万美
ジェンダーフリーなアンダーウェアブランド『Bushy Park』代表。高校在学中からグラビアタレントとして活動をスタートさせ、その抜群のスタイルが海外雑誌『PLAY BOY』の目に留まり日本人で初めて表紙を飾った。ジェンダーで区切られることのなく一人ひとりのセクシュアリティが認められる社会を目指し、ブランドを通して様々なプロジェクトに取り組んでいる。
取材・インタビュー/芳賀たかし
撮影/新井雄大
記事制作/newTOKYO
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp