映画「ピュ〜ぴる」公開から12年。世界的アーティスト、ピュ〜ぴるの現在地。

トランスジェンダーのアーティストのピュ〜ぴる

2022年11月、東京郊外の山道で待ち合わせたのはアーティスト、ピュ〜ぴる。夫と愛犬・Mr.MUU(ムー)とともに現れた彼女の、さっぱりとした笑顔が新鮮に映る。それはきっと、2001〜2008年にかけての彼女を収めた松永大司初監督ドキュメンタリー映画『ピュ〜ぴる』(2011年公開)で目にした姿とは、真逆の印象を覚えたからだ。

2000年代、ニッティングを用いた代表作「PLANETARIA」シリーズをはじめ、孤独、生死、愛憎、性、祈り、不安、欲望…彼女の心の奥底に溜まった感情から生み出される作品の数々は、見る者を圧倒した。以降、海外での個展やグループ展への参加を経て世界的アーティストの地位を絶対的なものにしたが、2019年に開催した国内での個展『GODDESS』を最後に、目立った活動はない。

ーーピュ〜ぴるの今が知りたい。現在の暮らしぶりから創作へ没入していた過去、そしてアーティストとしての今後について、森を歩きながら話をしてくれた。

トランスジェンダーのピュ〜ぴるの現在

ーー「あの時は、苦しさが創作の源だった」。都会から距離を置き、穏やかな日々を過ごすピュ〜ぴる。

ーー2019年の個展『GODDESS』から約3年が経過しますが、今はどのように過ごされてますか?

日々、こうしてMUUちゃんと森を散歩するのが日課なの。あの時代のピュ〜ぴるを知ってる人が読んだら、180度違う生活をしててビックリしちゃうよね(笑)。でも、もう一通り都会で派手に遊んだからいいの、これで。横浜トリエンナーレ2005(日本でも有数の現代アートの国際展)でのインスタレーション「愛の生まれ変わり」や映画『ピュ〜ぴる』をきっかけに、個展やグループ展のお誘いを受けて世界中を飛び回っていたんだけど、忙しく過ごすうちに心が疲弊しちゃって。

結婚したタイミングで南青山から実家のある東京郊外へ引っ越しをして、それ以来クラブやバーに出入りするような生活とは真逆のライフスタイルになった。将来の親のお世話もあったし、もうガラッと変わったね。

今は町内会に入っていてお祭りの準備とかも手伝うよ、普通でしょ? ご近所さんたちは私が何者か、ずっと前から知ってるから、すれ違いざまに「おはようございます〜」なんて挨拶も交わしてさ。っていうのも『ピュ〜ぴる』の密着期間中に父が町内会長をやってて、その人たちを連れてトリエンナーレだったり、映画を観に行ったりしてくれていたからなんだけどね。

トランスジェンダーのピュ〜ぴるの写真

当時から「息子から娘になったんだよ〜」なんて御膳立てしてくれてたのもあって、戻ってきてからもすぐに馴染めたの。大司の密着が始まったのが26歳の時だから22年前、来年でもう49歳よ。

「田舎の人は理解が乏しい」なんて地域性やデータで大きく語られることがあるけど、結局は目の前にいる人が全てでしょ? すっごい住みやすいよ。そもそも面と向かって「気持ち悪い」なんて言える人、日本にはそうそういないだろうし。LGBTという言葉もなんとなく浸透してきて、環境も昔とは変わりつつある。私が若かった頃はニュージェネなんていう言葉で括られたけど、もう死語よね(笑)。

ほら、大司が監督した映画(※2/10 公開予定『エゴイスト』)だって、大々的に「ゲイの恋愛映画です!」みたいな線引きしてないでしょ? 今まであった境界線みたいなものがぼんやりしてきてて、当たり前の存在として認知されるよう向かっていってると思うんだよね。宗教やバックボーンが強い影響力を持つ他国では強烈な差別や暴力が根深く残っていて、なかなか難しいと思うんだろうけどさ。

ーーここ3年間、創作活動が無かった理由として、現在のライフスタイルが大きく影響しているのでしょうか?

う~ん、どうだろうね。苦しさがないと作れないの、それが源だから。『ピュ〜ぴる』を観た人なら知ってくれてると思うんだけど、あのときの私って闇の世界へ潜り続けて、全てをアートに注いでいた時期。ものすごく深いところまで潜って潜って、ようやく生み出されたものだけが作品として形を残している。

正直な言葉で言えば、当時抱えていた苦しさから解放されていることもあって、以前のような気持ちでアートと向き合うことができないんだよね。それよりも今は、MUUちゃんを自分にとっての完璧な存在に育てあげたいという気持ちが多くを占めているかな。

ーーアートに注いでいた気持ちが全てMUUちゃんに向いているとしたら、相当なものになりそうですね。

MUUちゃんを育てる為に、英語の文献や動物行動学のテキスト等も読み漁って、毎日のトレーニングも欠かさず行っているの。やっぱり、一つハマったら極めたい。それは創作と通じているところでもあるかな。私としてはMUUちゃんを育てあげることも、アートを創りあげることも解釈としては同じなんだ。

こういう風貌や生活だと落ち着いてしまったと思われるかもしれないけれど、そんなことは一切なくて大きな情熱を持ち続けていることに変わりはないの。

トランスジェンダーのピュ〜ぴるのインタビュー

ーー映画『ピュ〜ぴる』では、イラク戦争からインスピレーションを受けて個展を開催していましたが、ロシアのウクライナ軍事侵攻から創作に繋がることはなかったのでしょうか?

私はもう30年以上家にテレビを置いていないんだけど、ロシアのウクライナ軍事侵攻に関しては毎日インターネットでチェックするようにしています。2022年初旬、まだ軍事侵攻が始まったばかりの時に、海外からメールで制作依頼は何件か来ていたんだけど、全て見送らせていただきました。

それは、私自身から湧き上がる強烈な創作意欲から生み出されるものでないと意味がないし、中途半端に取り組むべきトピックではないと考えていたから。何より、誰かに頼まれて作るということだけはしたくない。これは私がトリエンナーレでのインスタレーション以降、断固として守っていることなの。

頼まれたものってね、ある程度のレベルのものを作ろうとしたらいくらでもセンスで作れちゃうのよ。でもそれって、私がすることではない。もちろん、ウクライナへの軍事侵攻に関わらず全てにおいてね。

これまで作り上げてきた作品を展示する個展やグループ展のオファーに関しては受けていたけれど、海外のギャラリーに所属してアートフェアとかバンバン出展して…みたいにならなかったのはそういう信条があったから。人が求めるような“成功”には、全く興味がないんだよね。

ーー「創りたいと思う日がくるまで、気長に待ってくれたら」。闇の世界から脱した彼女が見据える未来。

ーーピュ〜ぴるさんの変化を知るために、少し過去を遡らせてください。『ピュ〜ぴる』密着当時の2001年から2008年まではどのような時間でしたか?

一言で言えば、激しい闇に覆われている時期。でもそれは、死へ向かっていくものというより、その中でも生きなくちゃという意志があって光を模索する感じ。歩みを止められる瞬間がなかった。暇があれば手を動していて…作業自体は苦しいの。でもその苦しさが心を落ち着かせてくれてた側面もあったんだよ。PLANETARIAのシリーズは3年半に渡って作り続けていたけど、1日10時間以上は編み続けてた。

その後、PLANETARIAはオランダのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が購入してくれて、横浜美術館にも他作品を寄贈しました。それ以外の購入されていない作品などは全てアトリエに保管してるけど、初期作品はウレタンでできているから、もうボロボロ(笑)。でも感情を形として残しておきたいっていう、過去の自分の気持ちは大切にしてあげたいじゃない? だから、誰かの手に渡ることはあっても、捨ててしまうという選択肢はないの。

トランスジェンダーのピュ〜ぴる

ーー作中では、恋愛にのめり込んでいく等身大の姿も印象的でした。

全て報われないんだけどね。相手が私に求めるものと、私が相手に求めることって、違かったから。中学生から好きになる男は全員ノンケで、例え外見がタイプだとしてもゲイと分かると気持ちが冷めちゃう。今思えば、その報われない恋愛がジェンダーアイデンティティを見直すきっかけになったんだけど。

私は心が女だから鍛えて男らしくなりたい気持ちはなかったし、生えてくる毛が嫌だったし、細くなりたかったし。綺麗な女性になりたいんだって分かったの。そうして去勢手術をしたのが、2005年。確か、映画でもその様子は収められていて。術後は内分泌ホルモンが劇的に変わるから、万力で頭を締め付けられるような痛みに襲われて本当に大変だった。

ーーあの時、ピュ〜ぴるさんが「パパ」慕っていた男性に振り向いてほしいという気持ちも後押しして、急いで去勢手術に踏み切ったように映ったのですが、当時の気持ちは覚えていますか?

うん。手術を決断する直前は彼に恋をしている真っ只中だったから、その気持ちもゼロではなかったよ。ただ元々、女性になりたい気持ちがベースにあったから、割合で言うと2割ぐらい。結局、彼は振り向いてくれなかったけど、手術したことへの後悔は全くないよ。女性ホルモンを打ち始めたり、整形し始めたりしたのも、この頃だった。ただ、フラれた直後は精神薬無しでは生活できないほど心を病んでしまって、薬を飲みながら創作していたけれどね。

アーティストのピュ〜ぴるの写真

それから少し経って、今の旦那と出会ったのは2007年。その年に最終的な性別適合手術と戸籍変更を経て、4年後に入籍した。海外での展示へ同行してもらっているうちに距離が縮まっていって、出会って間もなく同棲を始めたわ。でも、南青山で一緒に住み始めても気持ちのアップダウンが激しくて精神薬が必要不可欠な状態。外出することが怖くて部屋から一歩も出られない時期が続いてたの。

そんな状況から一転、精神が安定し始めたのは友人の勧めで猫2匹の里親になってからだと思う。アニマルセラピーっていうのかな。溜まっていた垢が落ちるかのように2010年以降、ようやく精神が安定し始めて。外出も徐々にできるようになり翌年、法律婚を致しました。
ちなみにその猫ちゃんたちは、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが飼っていらっしゃった猫ちゃんだったのよ(笑)。

トランスジェンダーのアーティストのピュ〜ぴる

ーー当時の仲間とは、今も交流があるのでしょうか?

ほとんどないかな。大司とたまに連絡するぐらい。頑張ってるよね。『GODDESS』以来会ってないけど、彼とは揺るがない信頼で繋がっているから距離とか会う頻度とか関係ない。それはきっと、彼も思ってるはず。散々喧嘩もしたけど、なんだかんだ一緒に修羅場をくぐり抜けてきた仲だもん。手術後、排泄が難しい私のために自分の手を汚してでもトイレの介助してくれたんだよ。なかなかできることじゃないでしょ? 彼とは今後の人生で、また歯車が噛み合う気しかなくて、その時がくることを少し楽しみにしてるかな。

他の人たちは、本当連絡取れてないの。みんな元気にしてるのかな? Maaya(書道家・Maaya Wakasugi)のインタビュー記事もさらっとnewTOKYOで読んだけど、彼も知り合いで。あの子がまだ若かったとき、たまにクラブで会うと「ピュ〜ちゃん、ピュ〜ちゃん!」って慕ってくれてたのよ(笑)。マーさん(元ファビュラス編集長・マーガレット)も私が出たての時、とてもよくしてくれて。

インタビュー原稿を確認させてもらえたのは、ファビュラスだけだったわ。他のメディアでの扱いが悪かったから、余計にそのことを覚えてるのかも。こういう話してたら久しぶりに二丁目に飲みに行きたくなってきちゃった。ムーちゃんと二丁目でポートレイトも撮りたいわ(笑)。

ピュ〜ぴるの現在

ーー最後に現在の生き方、そしてアーティスト活動について思うことがあればお聞かせください。

映画の密着当時、まさか入籍する日が来るとは思ってなかったから、色々思うことはあるよね。光の世界への出口を探し求めながらも、漠然とこのまま死ぬんじゃないかなって思ってた時期だから(笑)。
ただ、一つ言えることはアーティストとして活動を始めて以来、私の人生にとって不必要だと切り捨てた時間が、今はとても幸せだと感じるようになっているの。それは例えば、ふらふらと散歩してみたり、家族と過ごすことだったり。

当時は当たり前の時間を過ごすことに目もくれず、それらを削ってクラブへ行ったり創作に注力していたりしたけど、今となっては大切に感じるんだから不思議だよね。

今回の取材を受けたのも、私みたいに結果的に浮き沈みの激しい派手な生き方を選んだ人であったとしても、穏やかな日々を送れる日が来ることを知ってもらえたら、素敵だなと思ったから。普通って、一番難しい!って思う時もあるんだけどね(笑)。

それにトランスジェンダーが戸籍変更して結婚すると、表に出なくなることが多いじゃない。アーティストなんかは特にさ、やっぱり対極に存在する普通の生活への憧れみたいなものを潜在的には内包してもいるだろうから。だからこそ今、素朴な生活を送っている私がカッコつけないで表に出て、インタビューを受けることが誰かにとって意味のあることなのかもって思ったんだよね。

作品についてはMUUちゃんと過ごす時間を通して知った、闇の片鱗を残しながらも圧倒的な光に包まれた世界をテーマとした制作フェーズに入ったら、面白いものが作れるんじゃないかっていうのは頭の片隅にあって。MUUちゃんとのありきたりな生活からインスピレーションを受けたものであれば、結果的に過去の作品に引けを取らない強い作品ができる予感がしているの。

これまでの作品は闇が源になっていて見る人を強引に引きつける力が溢れていたかもしれないけど、そういうのではなく優しさに内在する強さみたいなものを表現できたらいいかな。いずれにせよ、創りたいって思う日がまたくるはず。アーティストとして生きることを辞めたわけではないからさ、気長に待っててよ。

■ピュ〜ぴる
アーティスト。独創的なコスチュームを身にまといパフォーマンスする姿が、90年代後半のクラブシーンで話題に。その後も代表作「PLANETARIA」を発表するなど精力的に活動を続け、「横浜トリエンナーレ2005」でのインスタレーションをきっかけに高い評価を受ける。彼女自身から湧き起こる感情を生々しく表現した作品の数々は、国内のみならずイタリア版『VOGUE』など有名誌で掲載されるほど海外メディアからも注目を集め、今なお多くの人を魅了し続けている。
https://pyuupiru.com/
Instagram@pyuupiru

取材・文/芳賀たかし
写真/EISUKE
Special Thanks/Mr.MUU
記事制作/newTOKYO