日本女子サッカリーグ(通称:なでしこリーグ)にて活躍するサッカー選手、下山田志帆さんは、日本でも数少ないLGBTQ当事者であることをオープンにしている現役アスリートの一人だ。自身の姿を通してサッカーの魅力を発信することはもちろん、男子・女子といった性別のコントラストが色濃く出るスポーツ界に身を置くアスリートが、より自分らしく活躍できる未来を創るために、ジェンダー・セクシュアリティへの理解を求める献身的な活動を行っている。
今回はスポーツを通して、セクシュアルマイノリティへの正しい理解を日本全体に広げる下山田さんにこれまで生きていきた中で、自身のセクシュアリティや思い描く理想のスポーツ界について教えてもらった。
――「女性が好き=男性になりたい、という認識が自分自身を苦しめた時期もあった」。年齢と共に変容したセクシュアリティに対する捉え方。
物心ついた時から学校や両親など、自分を取り巻く環境の中で女の子として扱われることが嫌でした。持ち物や遊び道具は何かと“赤いもの”を与えられていたし、ピアノも泣きながら通わせられて…男の子のような言葉遣いをすると母から厳しく叱られましたね。そんな窮屈な生活から抜け出して唯一自分自身を解放できたのが、小学校3年生から始めたサッカー。フィールドに立っている時は、自分を女の子として扱う人はおらず、言葉遣いが荒々しくても誰も気には止めませんでした。自分が“女の子”であることを忘れられる時間は、同時に「自分だって男の子に混ざって、変わらずプレイできるんだ」と誇らしい気持ちにさせてくれる瞬間でもありました。
そんな、“女の子扱いをされるのが嫌な女の子”であった自分が、周囲とのズレを感じたのは中学生になってから。女子が当たり前のように同級生の男子や誰が誰と付き合ったなど楽しそうに恋愛話をする中、自分だけが共感出来ることがほとんどなくて。皆が楽しいと思える恋愛を自分だけが楽しめていないと気付いた瞬間「自分には人を好きになるという恋愛感情がないのかも…」という考えが、頭をよぎりました。当時は、男子は女子が好きで、女子は男子が好き、という異性間で生まれる愛の形しか知らなかったものですから。
ただ、そういったジェンダーやセクシュアリティに関する考えも、進学した高校で一変しました。私の通っていた女子校では、同性同士で付き合うことを珍しいと認識している人がほとんどいなくて。むしろ「同性カップルがいても、おかしくないよね」という空気感がありました。性別による枠組みの中で生きることを求められない環境が心地良く、「女性なら好きになれるかもしれない」と、自身に恋愛感情があることに気付かされました。ただ、その時自身を“トランスジェンダーで、男性になりたい女性”という、間違ったカテゴライズをしてしまったことが後々、自分を苦しめることになるのですが…。
恋愛対象が明確になってからは同性とお付き合いをしていたのですが、過去に交際をしてきたパートナーからは「エスコートして」「男っぽくして」と“男性らしさ”を求められることが多くて。そのことについては正直、腑に落ちていなかったのですが「自分は女性が好きなのだから、しょうがないことなのか」と強く言い返せずにいました。
ただ、現在お付き合いを始めてから4年半経つパートナーと出会って、考えが一新しました。彼女は自分へ“男らしさ”を求めるのではなく、“下山田志帆らしさ”を第一に考えてくれる人で。ヘアスタイルもファッションも自分に一番似合うもの、内面を表現してくれるものを勧めてくれるんです。自分自身を求められる心地の良さを知ったことで「女性が好きでも、男らしくする必要はないんだ」という気づきは大きかったです。
そして「男性になりたいわけではない」と明確に自覚したのが、大学の卒業写真を撮影したスタジオでの出来事。カメラマンさんに、椅子に座る弟の肩に両手を添える構図を求められた際、「この場からいなくなりたい」と強く思ったんです。もちろん、カメラマンさんには何の悪気もないと思うのですが。「男性になりたいわけではなく、女性らしさを求められることが嫌なだけ。そして恋愛対象は女性」。ようやく、自分のセクシュアリティとジェンダーアイデンティティがはっきりとした瞬間でした。
――「スポーツ界にLGBTQが存在する」ことを知ってもらう。下山田さんがアスリートと事業家、2つの面から社会へアプローチする意味。
両親へのカミングアウトは24歳の時。それまでは、長女として生まれた自分に対して学業や習い事に係る費用を惜しまず、たくさんの時間と愛を注いで育ててもらったという実感があるだけに、娘がLGBTQ当事者と知ったら悲しい思いをさせてしまうのではないかという不安から、なかなか話を切り出すことができませんでした。
大学を卒業した後、ドイツで2シーズンプレーしていましたが、ドイツではLGBTQ当事者が当たり前のように溶け込んで生活していました。そんな環境の中で自分をオープンにして生きていく楽さに気がついたと同時に、日本での息苦しさが辛すぎると感じるようになりました。また、大学生時代から卒業論文のテーマとして扱うほど、スポーツ界におけるLGBTQ情勢というものに関心があったため、当事者を取り巻く環境を改善するためのアクションや問題定義を社会へ向けて発信したいという気持ちが数年経った当時の自分には抑えられないほど限界値を迎えていました。
“どんな場面でも嘘をつくことなく生きたい”“やりたいことに胸を張って生きたい”。そんな気持ちを強く持って行動するには、親へ自身のセクシュアリティを伝えないと芯がブレてしまうなと思ったんです。正直、最初に話した時は泣いて悲しまれましたが、現在は「カミングアウトしたっけ?」と思うほど親子関係は良くも悪くも変わらず…というか以前よりLGBTQに対する理解が深まったのではないかなと思っています。
母は、自分が受けたインタビュー記事を見つけては親戚に共有するほどになっていますし、父は、スポーツブランドの広告モデルを務めさせていただいた際に自分が着用したプライドモデルのTシャツを何の気なしに着ていたこともありましたね(笑)。
サッカーのお話で言えば、LGBTQ当事者であることをオープンにすることが、選手としてプレイしていく上で直接的に支障をきたすかもいう不安はほとんどありませんでした。というのも、女子サッカー界においても以前通っていた女子校と同じように、当事者がいて当たり前という雰囲気があるんですよね。なので、カミングアウト後もチームメンバーが自分を特別視するということはなかったし、むしろ以前よりも円滑なコミュニケーションが取れるようになったため、チームメイトとの繋がりが強くなった感じがしています。
一方でその他の競技、特に男子スポーツ界ではLGBTQに閉鎖的かつ可視化されていないイメージを抱かざるを得ない現状があると感じていて。ある意味、“いない存在”として扱われているLGBTQ当事者の選手達が自分らしくプレイできる場所を作っていくにはどうしたらいいかを考えた時、まずは自分の存在を知ってもらうことが一番だなと思ったんです。ただ、私が自分らしくサッカーをプレイしている姿を見てもらうだけでは、メッセージは届かない。
その足りない部分を補うために株式会社Reboltを設立したり、LGBTQとスポーツをテーマに講演会やイベント出演などをしています。世の中へ発信する前段階のモノ・コトを目にしてLGBTQ当事者が違和感や嫌悪感を抱かないか、“いない存在”として扱われていると感じないかを非当事者の方たちと一緒に考える場所・時間というのはとても意義のあることですし、世の中へ発信する立場になって新たに考えることもたくさん。とてもやりがいを感じながら、一つひとつの案件に携わることができています。
競技の公平性をどう保つかという点に関しては慎重に考えなければいけないと認識していますが、ジェンダーやセクシュアリティを理由に選手がスポーツを楽しむ場所や手段の選択肢を奪われてしまう現状に問いを立てる存在でありたいと思っています。選手一人ひとりの声が消されることなく、それぞれが希望する選択が尊重されるスポーツ界になっていけば嬉しいです。
そのために、まずは自己表現をより豊かにできる場を作らなくてはいけない。未だに一致団結するために同じ髪型や装いにするという風潮がスポーツ界には残っており、ある種それが体育会系の在り方と黙認する雰囲気もあるようですが、それでは絶対に前に進まないし、“らしさの強要”をもっと問題定義するべき。個人の選択肢を増やし自由度を高めるということこそ、スポーツ界をはじめ中々進まない日本のLGBTQに対する理解や施策の策定に繋がると信じています。
もし今、世の中に“らしさ”を求められて苦しんでいる人がいたら一度、女子サッカーの試合を観に来て欲しい。多様な選手の色々な生き方を感じられるフィールドから、きっとパワーがもらえるはずです。
■ 下山田志帆
1994年生まれ。茨城県出身。幼い時からサッカーに打ち込む日々を送り、現在はなでしこリーグ2部所属チーム、スフィーダ世田谷FCにて選手として活躍する傍ら、元女子サッカー選手の内山穂南とともに、女性が健康的な生活を送るためのFemtechサービス開発事業やアスリートキャリアサポート事業を展開する株式会社Reboltを設立。誰もがジェンダーやセクシュアリティに捉われず、どんな場所でもどんな時でも自分らしく生きられる社会を目指している。
■ Twitter@smymd125
■ note:下山田志帆
■ 株式会社Rebolt