某コンドーム専門店に勤めて、15年目となるチヒロックさん。10代からコンドームの小包装デザインに魅了され、これまで集め続けてきたコレクションは数知れず。彼女が初めてコンドームを手にとったのは小学校低学年のとき。性教育に熱心だった養護教諭の母がサンプルとして使用するベネトンのコンドームだったそう。
以来、誕生日会は友人と性教育のビデオ鑑賞がお決まりとなり、中学生になると母とともにヨーロッパの性教育研修へ参加するなど、性の英才教育と言わんばかりに豊富な知識を得ていった。
チヒロックさんが幼少期から受けてきた性教育とはどのようなものだったのか、そしてコンドーム専門店のスタッフとして、現在はどのように性と向き合っているのか、チヒロックさんのコレクションをお見せいただきながら話を伺った。
ーー「レイプに遭った時、最後の抵抗として“コンドームをつけて”と言えるように」。母から受けた性教育。
コンドームというものを一番最初に知ったのは、引き出しに入っていたコンドームを手にしたとき。当時、小学校低学年だった私が「これ何?」と養護教諭であった母に尋ねると、「コンドームだよ」と隠すことなく淡々と教えてくれました。
今思えば、それが性教育の始まりだったと思います。1990年代、世の中的には性教育の黎明期を迎えていた時期で、その先駆け的存在としても奔走していた母。保健室には、学習指導要領外のため授業では使用できない性に関する資料を設置したり、保健体育以外で性教育の授業をするにあたり校長先生に掛け合ったり…。
ときには保護者や行政など多方面と闘いながらも性教育の大切さを、引退する60歳手前まで届け続けていました。その後は「自分の性は、自分で選ぶ」という言葉を掲げ、ジェンダーレスをキーワードに私立高校での講演や非常勤講師として数年間活動をしていました。
それが22年前ぐらいだったでしょうか。今思えば感心するようなこともあるのですが、何せ子どもだったものですから、そんな母を正直、あまり好きにはなれませんでした。
何気なく「保健体育の授業で、女子は初経について、男子は精通についてクラスを分けて教わった」と話したときは、すごく怒った様子で「男性も女性も同じ人間で、お互いのことを知る必要があるのだから、平等に同一の内容の教育を受けるべき」と学校へ抗議したり、私の誕生日会では、必ず「赤ちゃんはどこから来るの?」という内容の性教育ビデオをケーキを食べる前に、友人4~5人と鑑賞しなくてはいけなかったり…。
とにかく我が強い母なので、逆らう気にもなれず「ごめんね。お母さんに言われたから一緒に観て」と終始一言も話さず観終えた後は、ただただ気まずい空気が流れるというのが恒例になっていました(笑)。要するに、担任の先生や友人に“面倒な母親の子ども”という印象を持たれてしまうのが嫌だったんでしょうね。
それでも、中学生の時に母から言われた「コンドームは持ち歩かなきゃだめ」という言葉が忘れられないのは、思春期の私にとってあまりにも強烈な出来事だったからでしょう。「この人は10代前半の娘に何を言っているんだろう、そもそもなんで女子が持っていなくてはいけないんだろう」。
そのときはそう思ったのですが、母は続けて「レイプされたときの最後の抵抗として“コンドームをつけて”と言えるように持っておきなさい」と、自分の身体を守るための道具として持ち歩くよう教えてくれました。確かに、相手が男性だとフィジカル面では劣る場合がほとんどで「それはそうだな」とは思いつつも、実際はそこまでピンとは来ておらず、持ち歩くことまではしていなかったんです。
そんな私が日常的にコンドームを持ち歩くようになったのは母の教えも多少影響しているものの、コンドームそのものの魅力に取り憑かれてしまったから。母に半ば強引に連れて行かれたヨーロッパ各国の性教育事情を学ぶ研修旅行が、きっかけでした。大勢の大人がいる中で、10代は私だけ。
英語で何を言っているのか分からないし、決して楽しいとは言えない退屈な時間でしたが、とある施設を訪れた際の帰りがけに職員の方から「あなたの年齢なら持っていないとダメよ」と渡された、この赤いコンドームケースキーホルダーが本当に可愛いくて、一目惚れしてしまったんです。
コンドームの魅力と言われると、やはり小包装のデザインですね。正直、小包装なんて見たとしても10秒少々で、部屋が暗ければ認識すらできない。さらには消耗品がゆえ、可愛くする必要性なんてない。それなのに、各社が包装デザインに強いこだわりを持っている、その気持ちに胸を打たれてしまったんです。
それ以来コンドームを少しずつコレクションしていくようになり、大学生入りたての頃にはコンドームが常にバッグの中に入っていることを理由に友人から“救性主”と呼ばれ「コンドームちょうだい!」と言われたら渡すという、よく分からない立ち位置になっていました(笑)。
ーーコンドームが好き過ぎて。チヒロックさんのコンドーム愛、性教育に対する思いとは。
大学卒業後はリクルートスーツを着たくないという理由だけで特に就活はせず、20代半ばで、コンドーム専門店でスタッフ募集の貼り紙を見かけて入社しました。志望動機欄いっぱいに想いを綴り、面接ではいかにコンドームを愛しているのか熱弁したんです(笑)。
以来15年間、店頭に立ち続けている傍ら、年に5つほどしか販売されないパッケージも製品自体も完全新作のコンドームをいの一番に開封できることの喜びを感じながら、コンドームにまみれた生活を送っています。
コロナ禍前は、訪日観光客の方が海外限定のコンドームをプレゼントしてくれたり、逆に友人が海外旅行へ行くと聞きつければ5000円を渡して「とりあえずなんでもいいからコンドーム買ってきて!」と独自の“コンドームコミュニティ”の助けもあり、気づけば自分でも何百個あるか分からないほどの数と種類が集まっていました(笑)。
ただ、今こうして久しぶりに見たコンドームでも、鮮明に手に入れた当時のことだったり製品情報を思い出せるのは、やはり好きだからなんだろうなと。
店舗の移転などがありつつも長年、原宿という場所でコンドーム専門店のお店に立ち続けているとお客様の性に対する意識で変わったこと、変わらないことを実感する場面が度々あって。10年前ぐらいまでは「別に俺付けねーし」なんて捨て台詞を吐いて、お店を後にする彼女連れの男の子もいたんですけど、最近は「これ前使ったやつだね」とカップルで話をしている様子をよく見かけるようになりました。
男の子同士でも、一世代前に合った「コンドーム着けないのがカッコいい」みたいなよく分からない文化は無くなりつつあって、「俺これ使ってる~」とコンドームをつけることが想いやりの表れであることが浸透している様子が垣間見えて、純粋に素晴らしいなと思います。
時代も時代で、性をタブー視するのではなくオープンに発信していくシーンへと変わってきたことが大きく影響しているのでしょうね。ただ、30年近く前にエロとしての性の情報を一切合財断たれ、性科学としての性のみを母から教え込まれた私個人の感覚で言えば、エロとしての性、性科学としての性のバランスも同じぐらい大切な気がしているんです。
もちろん知識としての情報はとても大切。これは絶対に揺らぐことはないのですが、「エロ=ダメなもの」と拒絶するのではなくて、性について悶々としながら子ども自身で調べる余白のようなものも、残してあげるのはどうでしょう。それこそ昨日、お店を訪れた女の子に「性経験がないのに、コンドームを持っている意味なんてありますかね?」と質問されました。
その時は「自分を守るために持っていればいいんじゃない?」と母の言葉を借りて答える形にはなったのですが、やはり性に対する会話というのが家庭内などではタブー視されることがまだまだあるんだなと、その時に思ったんです。
そういう環境がかえって、真偽不明なネット情報へ信用が傾く原因にも繋がるだろうし、身近なに人ふわっと聞ける空気を作るのが大人の役割なのではないのかなと。
私もコンドームという「性」を語る上ではなくてはならないものを扱う一人の人間として、お店を通して「コンドーム=エロい」ではなくて“相手への思いやりを形で表現できるものであり、自分を守るためのものである”という認識を広める一助になれたら嬉しいです。
ただレジを打って商品を出しているお姉さんではないんですよ、実は(笑)。性知識についてもコンドームについてもネットで調べるより私に聞いた方が断然早いと思うので、年齢にかかわらず身の回りで聞けない性にまつわることがあれば、気軽にお店を訪ねてくれたら嬉しいです。
企画・取材/芳賀たかし
撮影/新井雄大
取材協力/うそのたばこ店
記事制作/newTOKYO