【第11回/ゲイカルチャーの未来】より暮らしやすい社会を作るためにLGBTQと社会をつなぐ活動家/松中権インタビュー

昭和から平成、そして令和にかけて50年近く、ゲイメディアの主流として様々な情報や出会いを発信し続けてきた商業ゲイ雑誌。昨年1月末に不動の人気を博した『バディ』が休刊し、今年4月には最後の砦であった『サムソン』も休刊。日本の商業ゲイ雑誌の歴史に幕を下ろした。

時代を遡ること26年前、バディが創刊された頃はまだ、一般のゲイ読者が雑誌に顔出しで登場する時代ではなく、当事者たちにとってもゲイコミュニティはミステリアスで、知らないことだらけだった。そして、現在はインターネットが主流となりカミングアウトする人が増え、SNSや動画配信でもゲイ個人が自分の個性を活かして大きな影響を生み出している。

「ゲイメディア」=「ゲイ雑誌」という単純で分かりやすかった時代が終わり、商業ベースのマスメディアから、個人が情報を発信するインフルエンサーへと時代が移り行く過渡期の今、伝説的ゲイ雑誌を創った4人が語るこれからを担うゲイに託す未来への希望。そして、日本のLGBT文化を支え続ける7人の瞳に映るゲイカルチャーの未来を届ける全11回のインタビュー特集をお届け。

グッド・エイジング・エールズの松中権

第11回目となる今回ラストは、
2010年に仲間とNPO法人グッド・エイジング・エールズを設立、代表に就任。2017年6月末に16年間勤めた電通を退社し、二足のわらじからNPO専任に。日本のLGBTQコミュニティを大きく変えてきた新時代のホープ、LGBTQと社会をつなぐ場づくりを中心とした活動に取り組む松中権さんにLGBTQのこれまでとこれからを伺った。

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──「一橋大学アウティング事件」電通を退社し、活動に専念したきっかけへの想い。

葉山の『カラフルカフェ』や、シェアハウスの『カラフルハウス』、働きやすい職場づくりを目指す『work with Pride』や『PRIDE指標』、1万人のセクシュアル・マイノリティを撮影する『OUT IN JAPAN』など、グッド・エイジング・エールズを通して、セクシュアル・マイノリティであることを気にせず過ごせる世界や場所を、ひとつでも多く作ることを目的に、さまざまな活動をしてきました。

年齢や国籍、セクシュアリティを超えて誰もが楽しめる海辺のカフェスペース『カラフルカフェ』(海の家『UMIGOYA』コラボ)で開催されたパーティの様子。

そんな中、2016年に明らかとなった一橋大学でアウティングによりゲイの学生が校舎から転落死した事件は、大きな転機でした。自分と同じ大学、同じ学部、同じセクシュアリティ・ゲイの学生の死を知り、学生時代の毎日の生活がフラッシュバックのように脳裏に浮かびました。もし人生の歯車がひとつでも違っていたら自分が死んでいる可能性もあったのかと思うと、身の毛がよだちました。ゲイというだけで命を落とすなんてことがあってはいけない。日本はゲイということがバレて虐められたりしても訴えることができないから、泣き寝入りするしかできない。このまま中途半端に活動を続けていたらまずいという想いで翌年電通を退社し、専任代表になりました。

さらに、NPO活動とは別に「なくそう!SOGIハラ」実行委員会の代表となり、国会議員の人たちや様々な団体・個人の方々と「レインボー国会」という院内集会を開き、LGBTQ差別をなくすための法律づくりに取り組んできました。
多くの国会議員の方たちが党を超えて動いてくださり、2019年の5月末にパワハラ関連法が成立し、付帯決議として性的指向や性自認に関するハラスメント「SOGIハラ」や、本人のセクシュアリティを同意なく第三者に暴露する「アウティング」への対策を企業に義務付けることが決議されました。
誰かを取り締まったり、罰則を設けたり、というわけではなく、法律ができたことによって「これはやったらいけないことだよね」という認識や、共通のルールが世間に広まるような活動ができたら良いなと思っています。

──いつの間にか社会が変わったわけではない。誰かの活動のおかげで今の僕たちがここにいる。

「なに、この意識高い系」とか思われるかもしれないけれど、全然そんなつもりでやっているわけではなく、次の世代の人が嫌な思いをすることなく暮らせたらいいなと思っていて、「昔は男同士で結婚できなかったんだ」と驚くような、次のジェネレーションが出てくる時代になれば嬉しいなと思っています。「Marriage for All Japan」という同性婚法制化を目指す団体の理事を勤めているのも、そんな理由です。道徳の教科書にLGBTというワードが記載されるようになったことや、ドラマ『きのう何食べた?』の話でいろんな人が盛り上がっていることも、大きく変わりゆく時代を物語っていますよね。

企業の経営者の方々がそれぞれが個人として目指すこと、取り組みたいと思うことなどを、メッセージとして届けた『work with Pride』経営者宣言の様子。

また、僕が子どもの頃には辞書で「ホモ」という言葉を調べると、「異常性愛」と書かれていました。しかしそれはNPO法人アカーという団体が出版社にかけあい、現在その表記は辞書から消えています。いつの間にか社会が変わっているのではなく、必ず誰かが社会を変えるための行動を起こしていて、そういう人たちの活動のお陰で今の僕たちがいる。

僕はバディなどのゲイ雑誌があってすごく助かった世代だし、雑誌だけが頼りだった時代があったからこそ、そのお陰で今がある。みんなが築いてきた土台の上に僕らの世代がいる。だから僕たちは、僕たちの次の世代の為に暮らしやすい環境を整えていくべきなのかなと思っています。

──多様性溢れる日本を目指して。「東京2020」からつながる、次の未来に向けてへのメッセージ。

2019年のラグビーW杯にあわせて、原宿ラフォーレ向かいにオープンした『プライドハウス東京2019』には、44日間で3000名以上が来店した。

東京2020は、日本の未来にとって大きなきっかけになると思うし、しなくてはいけないと思っています。僕たちは東京2020に合わせ多様な人がそれぞれの持ち場で自分の得意なことができる『プライドハウス東京』という情報発信施設を設置し、その経験を活かし2021年には『プライドハウス東京・レガシー』という日本初の常設LGBTQセンターを立ち上げることを目指していました。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって東京2020は2021年へと延期になってしまいました。ですが、その2021年に立ち上げ予定だった、常設LGBTQセンター『プライドハウス東京レガシー』を前倒し、10月11日に新宿御苑前駅そばにてオープンすることが決定。プライドハウス東京コンソーシアムに参画している団体・個人・企業・大使館の人たちと、先日、文部科学省で記者発表しました。現在は、その場所に入る「LGBTQコミュニティ・アーカイブ」のために、クラウドファンディングを実施しています。

『プライドハウス東京レガシー』のセンター内イメージ

LGBTQセンター『プライドハウス東京レガシー』の記者会見とセンター内イメージ。スペースの一角にLGBTQに関する資料が詰まった「LGBTQコミュニティ・アーカイブ」が設置される予定。

ステイホーム期間中は、特にLGBTQユースの多くが、理解のない家族との同居を強いられていることや、安心してセクシュアリティを語れる人・場所との繋がりが立たれてしまったことで、精神的に困難を抱えているという状況が緊急アンケート調査で分かりました。少しでも前向きな時間を、ということで、昨年12月に、松任谷由実、MISIA、清水ミチコ、天道清貴、中村 中、星屑スキャット、八方不美人、YYという豪華8組のアーティストに出演いただいた、東京レインボープライドとの共同企画『コカ•コーラ presents LIVE PRIDE 〜愛をつなぎ、社会を変える』をゴールデンウィークにYouTube無料配信したり、認定NPO法人ReBitが中心となりながら、オンラインでのLGBTQユース向け居場所づくりの企画をスタートしたりしています。

プライドハウス東京と東京レインボープライドの共催で開催された『LIVE PRIDE』。LGBTQ支援をテーマに掲げた大型音楽イベントとしては日本初の試みとなった。

来年に行われる東京2020に向けて、少しずつですが、またみんなが動き始めています。多様な人がそれぞれの持ち場で自分のできる得意なことをやれば大きな力になると思っています。オリンピック・パラリンピックが終わって「なんか日本変わったよね」という実感が生まれるところに、より多くの人が関われたらいいなと思います。確実に前には進んでいると思うし、今すぐガラッと何か変わるわけではないけれど、自分の子どもの頃より未来は明るくなっている。多様だからこそのぶつかり合いもあるけれど、こんな時だからこそ、みんなで手をつないでひとつの大きなものを一緒に生み出していきたいと思っています。

──コロナ危機によって変わっていくもの。守らなければならいもの。ゲイカルチャーの未来へ。

ポートレートを通じたLGBTのカミングアウトプロジェクト『OUT IN JAPAN』。金沢21世紀美術館で開催した写真展/トークイベントの様子。

コロナ禍で新宿二丁目という街全体が危機に直面したことにより、これまでつながりが薄かったお店同士が「#savethe2chome」のように連携する機会もありました。

一つひとつのお店だけでなく、街そのものをどうやって持続させるか、という視点や気持ちが、コミュニティの中に生まれてくると嬉しいなと思っています。また、個人同士ではオンラインで東京以外の地域とつながる機会も増え、日本全国どこにいても、みんながグッと近くなった感覚が強くなったとも感じています。
これまで、新宿二丁目は「みんなにとってのリアルな居場所」でした。なかなか今はリアルに大勢で集まるのは難しいですが、新宿二丁目という存在が「みんなにとってのメディア」として、ハブのような存在になり、コミュニティの情報や文化が蓄積していく役割を担っていって欲しいなと思っています。

僕はゲイカルチャーの未来予測などはできないのですが、自分がゲイであるというプライドの一部に、ゲイカルチャーに対する誇りみたいなものもあるんですよ。でも、意識的にならないと、文化ってあっという間に無くなってしまうものでもあると、このコロナ禍で強く感じています。

新宿二丁目の洋チャンち

新宿二丁目のカルチャーを残すべく、跡地を引き継ぐ形で『洋チャンち』の店主となった松中権さん。先代の思いを胸に、お店の片付けも自ら手作業で行った。

今年に入り、一つ始めたことがあります。『洋チャンち』という古いゲイバーが新宿二丁目にあったのですが、一月に店主の洋チャンが亡くなりました。生前、一度もお会いしたことはなかったのですが、グッド・エイジング・エールズを設立するきっかけになった映画に出演されていたんですよね。

それは『メゾン・ド・ヒミコ』というゲイの老人ホームについて描かれた映画です。思い入れのある映画への出演はもちろん、新宿二丁目のカルチャーとしても様々な軌跡を残してくれた『洋チャンち』。
なぜ、生前一度も足を運ばなかったのだろうかと、すごく後悔しました。それと同時に、いろんな歴史がつまったお店が、まったく思い入れのない人の手によって、跡形もなくなってしまうのではないかという危惧が生まれてきました。『洋チャンち』がなくなると、そこに通っていた人たちの足も遠のき、彼らの中にある記憶としての歴史も、いつしかなくなってしまうのではないか、そう思った瞬間、お店を引き継ごうと決意していました。

今あるゲイカルチャーを少しでも後世に残していきたいと、そう思ったんです。ただ、その矢先の新型コロナウイルス。店はまだオープンできてはいないんですけどね。

今、自分には関係ないなと思っている人が多く、でも今後必ずコミュニティが向き合うテーマとして、同性婚とエイジングのことがあると思います。一人でも多くの人が、自分の人生を前向きに生きていくために、本当に大切なこと。その推進力として、ゲイカルチャーにできることがあるはずですし、期待したいとも思っています。先人たちが、そして、今もなおですが、ゲイカルチャーが持つ可能性を生かして、HIV/AIDSに向き合ってきたように──。

■ 松中 権/まつなか ごん
NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表。「なくそう!SOGIハラ」実行委員代表。1976年、金沢市生まれ。一橋大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。LGBTQと社会をつなぐ場づくりを中心としたこれまでの活動に加え、東京2020とレガシーに関するプロジェクトなどに取り組む。
■ http://goodagingyells.net
■ http://pridehouse.jp

取材・インタビュー・編集/新井雄大
写真/SHINYA & 提供写真
記事制作/newTOKYO