──自分らしく生きるとは?
自身の持つジェンダーやセクシュアリティの多様性を表現し、社会規範を問うパフォーマンスアーティストのマダム ボンジュール・ジャンジさん。
「ずっと自分探しをしていた」と語る人生は、決して平坦なものではなかった。
国連「UN in Action」シリーズ『Beyond Boundaries: Drag Queen of Tokyo』(境界を超えて ー 東京のドラァグクイーン)で取り上げられ、世界的にも注目を集めるジャンジさんはどんな人生のストーリーを歩んできたのだろうか?
今回前編では、女性の身体に違和感を感じた日から今に至るまでの道のり、そしてありのままの自分を受け入れることができたきっかけなどについて、アイデンティティとその半生をうかがった。
自分の「スキ」への憧れと葛藤
名前のない違和感に向き合った学生時代
振り返ってみると、青が良いのに赤いものを与えられるとか、戦隊モノや怪獣が好きなのに一緒に遊んでくれる同性はいなかったりとか、物心つく頃には“あなたは女の子だから”と、よく分からないままにその枠に入れられていたんだよね。
そんなある日、父の実家に帰省した際に、従兄弟の男の子たちが立ちションしている姿を見て、自分にはできないことにショックを受けたのを覚えていて……。なんとなくではあるんだけど、なんか体が違うものらしい?というのは分かったし、なんでも女の子だからって付いてくることにも違和感があった。
小学校の時で覚えているのは、女子だからという理由でサッカー部に入部できなかったこと。当時の時代背景もあるんだけど、「女子だからできない」というのと、「自分が女子だから」の2つの要因を突きつけられて否定されているようで、子ども心に傷心してね。
それで思春期を迎える頃には抱えていた違和感は増幅。制服をはじめ、性別で区別されることが増えていくようになって。ただ当時はそのモヤモヤしたものにまだ“名前”がつけられることを知らなくて……。スカートの下にジャージを穿いて、気持ちに折り合いをつけて、いるけどいないみたいな存在で、学校生活を送り続けて。
創造性が解き放つ既成概念
ダンスがココロの隙間を満たしていく
容姿へのコンプレックスが少し軽くなったのはファッションの専門学校に進学してから。
RCサクセションやデヴィッド・ボウイなど、ジェンダーレスなファッションやメイクとかそういう表現の在り方に心奪われたし、この業界は自由な生き方に好きな色を纏う人で溢れていたから、自分自身が特別浮く存在ではなかった。
またその頃には、かつて新宿にあったディスコ「ツバキハウス」や二丁目にも遊びに行くようになって、多種多様な人たちがいる世界を垣間見れたことでも精神的に助けられていたんだと思う。
だけどね、社会人になった後もずっと、自分が何者なのか分からない感じは続いていて……。
当時は、性別適合手術やホルモン治療に関する情報がほとんどなかったから。手術ができるのか、どこまでできるのかも分からなくて。私にとっては、男性になるってことは声が低くなること、胸がなくて腰の形状が変わり、ペニスがあることだったから、もしそれが得られないのなら、手術をしても何の意味もなかった。
そんな出口のない泥沼の日々に一筋の光が差し込んだのは、イギリスの劇団「リンゼイ・ケンプ・カンパニー」の舞台を観に行った時。スポットライトの下で繰り広げらる幻想的で自由なダンスに魅せられた。
「私もここにいたい!」とダンスを始めるきっかけになって、そのうち舞台にも立てるようになっていって……。
表現することで心と身体が一つに
ドラァグクイーンに込めたカリカチュア
ダンスをしている間はなぜか、離れていた心と身体の魂が全て一致したんだ。宇宙へとひとつに繋がるような感覚。そしたら、性不一致のこの身体に生まれてしまったけれど、仕方ないってどこか吹っ切れた気がした。これは結局ただの魂の乗り物なのだからと。
それに、生きる上でこの先もずっとこの身体と向き合っていかなきゃいけないし、自分が望む100%に変えることはできないのだから、今回はこのままの姿の自分をぜーーんぶ使って表現できることをしていこうって決心がついて。
それから私の表現するダンスは、揺らぎを掻き消すかのように、笑ったり口を動かしたりと表情豊かで派手で華やかな衣装に変貌を遂げていって、いつしかドラァグクイーンと呼ばれるように。それまではドラァグクイーンがどういうものかさえ知らなかったんだけど、調べてみたらその肩書きはしっくりきたんだよね。
ドラァグクイーンって女性性をカルカチュアしているものだから、女性器を持っている私が、そのことを逆手にとって自分自身を風刺しているところが同じだなってスッと落ちた感じ。乳首に風車をつけて回しながら走ったり、ヒールを履いて素っ裸で登場して服を着ていく逆ストリップをしたりと、自分だからこその表現でパフォーマンス作品をつくっていったんだ。
生きやすくなっていく環境の変化
自分の居場所づくりと自己一致の道のり
身体的な悩みの多くはダンスで心の内を表現することで開放されて、心の緊張は周囲で支えてくれる人たちのおかげで解けていった気がする。
自分、僕、私、わし……どれもフィットしない一人称は、英語ならアイアムで済むもの。主語が決まらない不安定さが自分自身と重なって、日常生活の中では自分を表現できないというか、意見をちゃんと言えない部分が多かった。
だけど、二丁目の人たちがよく「あたしさー」みたいな喋り方をしていて、“私”って言い方ひとつでこういう表現もできる言葉だと教えてくれて、それから私は“私”として、声が出せるようになったの。漢字で書く“私”なら性別関係なく使う一人称だしね。
──それともう一つ、自己一致できたのが「ジャンジ(JohnJ)」という通称(芸名)。
本名は順子で、女性名であることに生きづらさを感じていた。だけど当時ダンスのパートナーだった友人が、順子から派生して“ジョンジ”ってニックネームを付けてくれてね。いつの間にか読み方だけは“ジャンジ”に変わったんだけどそれがすごく気に入って、すごく私らしいって思えて。名前を獲得したことで生きやすくなったんだと思う。
それから一つずつ自分らしさが形成されていく中で、97年に交歓のミックスパーティ「ジューシィー!」をスタートさせて。どこに行っても自分の居場所がないなら、作っちゃおうってね。参加は誰でもOK!セクシュアリティやジェンダー、国籍や肌の色、障がいなど、あらゆる壁をとっぱらって、みんなが遊べる場を。
透明人間みたいだったのが嘘のようなポジティブさ!(笑)
ここでようやくかな、自分の心身と向き合って、ようやく“自分らしく”生きるって前向きになれたのは──。
■マダム ボンジュール・ジャンジ
あらゆる境界線を超えたキラキラした世界を願い「YES!Future」と謳い続けるパフォーマンスアーティスト/1997年より交歓のミックスパーティ「ジューシィー!」を主宰。「HUGたいそう」などワークショップやパフォーマンス活動を展開し、ドラァッグクイーンによる子どものための絵本の読み聞かせプロジェクト「ドラァグクイーン・ストーリー・アワー東京」を仲間と運営している。長年、新宿二丁目の「コミュニティセンターakta」を拠点に、HIV・セクシュアルヘルスの情報提供や支援活動にも従事。
https://bonjourjohnj.tokyo
取材・インタビュー/村上ひろし
撮影/EISUKE
記事掲載/newTOKYO