悔しがる兄の姿を原動力にして。FTM向けエピテーゼブランド「MTHESE」を立ち上げたジンさんの挑戦。

FTM向けエピテーゼブランドのMTHESEのジンさん

FTM(トランスジェンダー男性)当事者の兄がいるジンさん。高校卒業とともにフリーランスとしてプログラミングや広告制作に携わっていたが、コロナ禍によりパートナー契約をしていた企業が次々廃業。その煽りを受けて自身も失業、借金も背負った。

借金の返済に追われる中でも「人の助けとなる仕事をしたい」と考えた末、新たにスタートさせたのがFTM向けエピテーゼブランド『MTHESE』。耐久性に優れたエピテーゼと巡り合えず、困り果てていた兄を思っての決断だった。兄のお墨付きを得た今もなお、商品改良に取り組むのは社会的少数者の声に耳が傾けられにくい現代社会への抵抗でもあると話す。

国産のFTM向けエピテーゼを製作するジンさん

ーー知識ゼロからFTM向けエピテーゼブランド「MTHESE」を立ち上げ。きっかけはトランスジェンダー男性の兄が困り果てた姿。

当時は姉という認識だった兄からトランスジェンダー男性であることを打ち明けられたのは、僕が中学3年生のときでした。兄の友人が結婚したことを知り、何気なく「姉ちゃんは結婚しないの?」と聞いたら、空気が固まってしまって。直後にセクシュアリティについての話をされました。

驚きは全くなかったですね。姉ちゃんと呼んでいるものの世間がイメージする姉像とはかけ離れていましたし、性別を気にしたこともなかったので。「なるほどなぁ〜」と腑に落ちる感覚というか。
その後兄はタイで性別適合手術を受け、戸籍上の性別変更をして男性として生きるようになりました。

エピテーゼの存在を初めて知ったのは2020年、兄が中古でエピテーゼを購入したときでした。初めて装着した時は感動したらしいんですけど、数ヶ月で壊れてしまったんですよ。新品で10万円ほどする商品を購入したものの「使い物にならない」と、購入したことをすごく後悔している姿を目の当たりにした時もありました。

国産のFTM向けエピテーゼを作るジンさんのインタビュー

その際、兄が購入したエピテーゼを触らせてもらったんですけど「もっと安く作れるんちゃうかな」って思ったんですよ。何の根拠もなかったんですけど(笑)。それが『MTHESE』を立ち上げるきっかけでしたね。ただ、ものづくりの経験が全くなかったので製作に必要な情報をかき集めるところから始め、資金は配達のアルバイトで調達することに。

借金の返済金を差し引き手元に残ったお金で材料を購入、試作をする日々が半年間続きました。試作品を入れるビニール袋はエピテーゼでパンパンになっていましたね。それだけの労力を積み重ねても納得いくものが出来なかったので、美術大学に通っている友人に「一個作ってみてや」と頼んでみたんです。

自分が作ったものを見て友人は「下手くそすぎやろ」と言いつつも手を貸してくれて、いとも簡単に僕が思っているクオリティ以上のものを造り上げてくれたんです。それが現在の『MTHESE』が製造・販売するエピテーゼの基盤になっています。

国産のFTM向けエピテーゼの風呂用のエピテーゼ
ーーFTMエピテーゼ お風呂用 クリップ垂れ下がりタイプ

エピテーゼの装着について簡単に説明すると、クリップタイプとテープタイプの2種類があります。『MTHESE』のエピテーゼは入浴を目的とした、ウレタンゲル製クリップタイプのエピテーゼが主軸アイテムです。接着部分に磁石が入ったエピテーゼ本体と磁石が入った隠毛を挟むクリップをセットで使用いただく形になっています。
製造を始めたばかりの頃は「お前にできんの〜?」と兄に言われていましたが、形になっていくに連れてワクワクしている兄の感情が垣間見える瞬間があって(笑)。今思えば、それも諦めずに向き合う原動力になっていましたね。

そうして出来上がった最終試作品を携えて、兄と2人で装着テストのために銭湯へ行った時のことでした。内風呂やジェットバスなどあらゆるタイプの浴槽で装着感を試し終えて、露天風呂に並んでゆっくりくつろいでると、隣にいた兄が「人生で誰かと風呂入るとか考えたことなかった」と、ボソッとこぼしたんです。
それまで2人で男風呂に入るという選択肢はなかったし、くつろぐための空間で神経を研ぎ澄ませながら過ごしていた兄を思ったら、いろんな感情がバァーッと込み上げてきて…あの時のことは一生忘れません。人の役に立つ仕事をしているんだと改めて思えた瞬間でもありました。

ーー3Dモデリングのツールを用いた新商品の部品

ーー両親そして友人のサポートを受けながら成長する「MTHESE」。社会的少数者が生きやすい社会へと向かっていくためなら、矢面に立つことも厭わない。

兄は「今まで使った物の中で一番使いやすい」と言ってくれていますが、正直全く納得行ってなくて。最終的には手が届きやすい価格でオーダーメイドのエピテーゼを提供するブランドへと成長していきたいと思っているんです。
その一環として取り組んでいるのが、3Dモデリングのツールを用いた新商品の開発です。約半年間をかけてソフトウェアの使い方を学び、エピテーゼの型を高効率で製造できるようになっただけでなく大きさや向きなども精巧かつ自由自在、何より大幅なコストダウンも見込めています。

これらの技術革新はエピテーゼをより多くのトランスジェンダー男性に届けたいという気持ちからです。当事者の方達の中には性別適合手術や戸籍の性別変更、男性ホルモン治療など、自分らしく生きるための人生のスタートラインに立つために、多くの時間とお金を費やさなければいけない方が大勢います。
エピテーゼをその選択肢として含めている方もいる中で、些細ではあるかもしれませんが負担を軽減する一助になりたいという思いが強いんです。

FTM向けエピテーゼブランドのMTHESEのジンさんの母
ーーエピテーゼ製作を手伝うジンさんの母

ここ1年間で約100名の方たちの手元に商品を届けることができ、お客様の中には長文に渡って感謝の気持ちを伝えてくださる方もいました。
そんな状況を目の当たりにして、立ち上げ当初は僕の仕事を肯定的に捉えていなかった父も作業場を覗きに来てはアイデアを共有してくれて、母も型にウレタンゲルを流し込む作業を手伝ってくれたり、僕の友人を連れてきて手伝いをするようお願いしたり…いつの間にか家族友達経営みたいな形で日々商品と向き合うようになりました。

FTM向けエピテーゼの製造・販売を仕事にしてみて思ったのが、現時点で僕自身がLGBTQ+当事者を自認していないことが、かえって社会にアプローチしやすいということ。当事者からの意見や取り組みではなく外側にいる立場でありながらも、当事者たちに寄り添う人の存在は社会を変えていくために必要不可欠です。

元々、誰かの代わりに矢面に立つみたいな、そういうのが好きなんです。今の日本のような社会的少数者の声がマジョリティによって掻き消される社会なんて絶対おかしいので、この仕事を通して変えていきたいです。

■MTHESE
代表のジンとトランスジェンダー男性当事者である兄のソラを含むトランスジェンダー男性向けのエピテーゼブランド。2023年から本格的に製造・販売をスタートさせ、ウェブ販売限定にもかかわらず約100個ものエピテーゼを当事者の元へ届けている。
X@mtheseofficial

画像提供/MTHESE
取材・写真/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO