【完結】世代を超えて自分らしく生きることのメッセージを届けた4コマ漫画「虹色サンライズ」の作者・前田ポケット氏、独占インタビュー。

ゲイ漫画の虹色サンライズの前田ポケットのインタビュー

2020年3月~6月にかけてnewTOKYOに掲載した4コマ漫画『虹色サンライズ』。長年、ゲイ雑誌バディで連載(2007年5月号~2014年6月号)されてきた田舎ゲイの上京物語が、6年の歳月(※)を経て再掲載に至った。
懐かしいという声や、バディ連載時にはまだ未成年で読んだことがなかった若い世代を中心に「泣いた」とSNSで話題となり、続編を求める声が数多く寄せられた。中にはキャラクターのイラストをアップするファンまで現れた。

今回はそんな『虹色サンライズ』を愛してくれた方々のために、今まで語られることのなかった製作秘話や今回の再掲載に向けた作者・前田ポケット氏の胸のうちを、スペシャルロングインタビューでお届けします。
そして、7年ぶりに前田ポケット氏が描き下ろした、主人公ヒロシ君たちのその後を描いた【完結】イラストともあわせてお楽しみください。

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ゲイ漫画の虹色サンライズの前田ポケット

――月刊バディにおいて『虹色サンライズ』を連載することになったきっかけと作品に込めた想いを教えてください。

当時、私はバディで漫画を描き始めて一年経ってない頃で、4コマ漫画『はみちん』と読み切りストーリー漫画を描いていました。毎月、編集部で打ち合わせをする中で、今後どういった方向でやっていきたいかという話になり、ゲイの上京物語や子ども時代を描きたいと伝えたところ、当時編集をご担当いただいたみさおはるきさんに業田良家の『自虐の詩』知ってる?と訊かれ、後日、文庫版二冊を手渡されました。

自虐の詩は内容もさることながら、4コマ漫画でストーリーが進む漫画のスタイルが非常に参考になり、読み終えた余韻のまま、約30ページ、3ヶ月分のネームを仕上げて連載に至りました。もう少し紆余曲折あった気もするのですが、もう10年以上前のことで記憶がはっきりせず、確かそういう流れでした。
一方で、連載初回、『虹色サンライズ』のタイトルが、どこで間違ったのか、目次では『虹色サンシャイン』になっていたことはよく覚えています。朝だと思って起きたらもう昼だったような気持ちでした。そんな感じでの始まりです。

そもそもなぜ主人公の子ども時代や成長を漫画にしたのかについては、理由は漠然としており、自分はこれを描くのだという意識がいつの間にかあったというのが正直なところです。作品のメッセージについては、描き進める中で掘り出して削り出していった感じです。ただそれは、言語化できた部分の話で、全体としてどう伝わるのかは、いまいち自分では分かりません。漫画だからこそのメッセージが伝わっていると嬉しいです。

ですが、理由とは少しずれてしまうのですが、思いつく動機の一つに祖母の言葉があります。祖母は離島に住んでおり、亜熱帯の海に囲まれたその島が私は好きで子どもの頃から移住したいと言っていたのですが、祖母はよく「ここには何もない」と言っていたのです。
確かに島は過疎化が進んでおり、大人になるにつれ、それが単に祖母の自虐的なギャグではないことは私にも分かるようになりました。そして、ゲイコミュニティでも同じ言葉を聞くことがありました。そんなことはないと、私は今も昔も言いたくなるのですが、そうは言いつつ、自分自身が「ここには何もない」と故郷に背を向けて上京していました。それは苦しく、本音からは遠いものでした。だから、そういうことを人に言わせてしまうものに対してカウンターを出したいと常日頃思っていたのです。

だから、ゲイ側からの笑いを作りたい、ゲイの日常の物語を見せたい、抑圧を逆手に取ってストーリーの推進力に使おう、と漫画にしたのだと思います。おそらく半分くらいの創作の動機はカウンターでした。それは、ゲイに関わらず、これまでにいろんな方がいろんな分野で試みてきた普遍的な行動だと思っています。

もう半分くらいは、自分が好きだと思うことを表現して残したかったからだと思います。これも創作の動機としては一般的ですね。
あとは、そうなってしまった理由として、ゲイの4コマ漫画でキャラクターを固定すると、一本ネタをやるごとにどうしても成長してしまうというのがありました。初めてゲイ雑誌を手にするネタをやると、もうゲイ雑誌を読んだこともなかったおぼこいゲイの青年ではないのです。ゲイ雑誌を一冊読み込んでいるおぼこいゲイの青年になるのです。自分が面白いと思うことをネタに使っていくと、成長させていくしかなかったのです。サザエさんのような、成長する必要がない、不変な世界は構築できませんでした。これはちょっと特殊かもしれません。

ゲイ漫画の虹色サンライズのその後

――7年という長期の連載となりましたが、最初はどれくらいの期間の予定だったのでしょうか。それと最終回は最初からすでに決めていたのでしょうか?

連載は半年くらいだと思っていました。まさか7年もかかるとは…恐ろしいことです。当初考えていたラストは、パレードのエピソードで「連帯」と「解放」といったものを表現し、そこから、同じ構図でヒロシの祖父の葬式を描き、ヒロシのモノローグでまとめるといったくらいでした。
当時のパレードは毎年8月にやっていたので、連載開始の3月から半年でたどりつける算段です。しかし、描き始めるとその道のりは長く、パレードまでに3年、お葬式までには7年かかってしまいました。

エピローグを除く実際のラストは、パレードの回を描き終えた2010年の秋に電車で大阪に行くことがあり、その旅行の中で決めました。
それ以前に、実際に千葉から九州まで電車で帰ってみたことがあります。その頃は大阪から夜行列車の「ムーンライト九州」が出ており、窓のカーテンの隙間からのぞく夜の町並みや車内で迎える朝日はとても印象的でした。その辺も描きたかったのですが、もう「ムーンライト九州」は走っていないので、ヒロシは早朝の出発となりました。なお、そちらの行程もやってみたことがあるのですが、途中で連絡船で宮島に寄ることができましたし、瀬戸内海の春の小島はすこぶるきれいでした。しかし、大変疲れます。九州まではやっぱり飛行機です。

連載を通して、ゲイ雑誌で描いていることは意識し続けました。きちんと確認を取ったことはないのですが、おそらく登場人物がゲイであれば良いわけではなかったのです。ゲイに関するネタをつなげて、いかにゲイである前に一人の人間であるキャラクターにしていくか、そこに日常生活があることを見せていくかは苦心しました。
そのために、季節を合わせること、舞台はどこなのかイメージして背景を描くことには注力しました。「誰が何を」よりも「いつどこで」が大事なように自分には思えたのです。またそれは、「ゲイ」という単語に慣れていくためにも必要でした。

当初、私は「ゲイ」という言葉をキャラクターに言わせるたびに居心地が悪く、ダメージを受けていました。婉曲的に表現することに慣れ、自分の言葉になっていなかったのです。私の田舎では、今は変わったように思うのですが、“横文字”をとりあえず馬鹿にする傾向がありました。
その辺の感覚は私に染み付いており、英語圏や他の言語圏にはない、日本の「ゲイ」特有のハードルではないかと悩んでいました。距離のある言葉で自分の内面を表現することは至難の技です。かといって「ゲイ」の他に適切な言葉もないため、自分の言語体系に組み込むためにも、他の身の回りの言葉とつながった言葉にしたくて、日常生活を舞台に使っていきました。

余談ですが、私の田舎の方言は促音と濁音が多いので、音でなら、本来は標準語よりゲイ関連用語と馴染みやすいと思っています。例えばこんな感じです。「くさかりば おわらせたかばってん もうげいばーにいかなんけん きょうはみっくすでーだけん れずびあんもとらんすじぇんだーもきとらすけん たいぎゃーたのしみバイ」。いまいち言っていることが良く分からないかもしれませんね。とりあえず、ここで地方出身者としての目線は忘れないようにしていたことを付け加えたいです。

あとは、中々毎月続きで読んでもらえるものではないので、オチにしないことは4コマ目に持ってこないことや、その回ごとにストーリー以外は回収し、間違ったメッセージにならないようにすることには気をつけていました。なるべく読後感は良くしたかったです。バディというゲイ雑誌の箸休めだと思って描いていました。

ゲイ漫画の虹色サンライズの前田ポケットのインタビュー

――主人公・中野ヒロシ君は作者である前田さんがモデルでしょうか? また、それぞれのキャラクターやストーリーのネタはどこから?

幼少期のヒロシはそうですが、青年期のヒロシは違うかもしれません。青年期のヒロシは、私の中にあった主人公の基本型に、リアリティを出すために私の使える部分を足したものだと思います。基本型というのは、私が漫画や映画に親しむうちに、いつの間にか作られていたものです。他のキャラクター、その構成や関係性も同様だと思います。
作品の例を挙げるのは気が引けますが、思いつくところで、パーマンやムーミン、ネバーエンディングストーリーにグーニーズ、うしおととら、エヴァンゲリオンです。これくらいポピュラーな作品の主人公がゲイだったら良いな、これくらい有名な作品の作家がゲイで、当事者として話を作ってくれたら良いなと自分は強く望んでいたのだと思います。

ストーリーやネタは、私の周囲のことを元にしています。しかし、実生活のおかしみは巨大で複雑で、4コマ漫画のようなことはまず起きないので、これは描きたいと思っていた瞬間を経由できるように、創作していきました。

中野ヒロシの名前は、平凡な名前にしたかったというのもあるのですが、私が一時期、東京の中野区に住んでいた頃に「中野広しと言えども」というフレーズを使っていたことからです。例えば、近所の金魚専門店で「中野広しと言えどもこんなに立派なランチュウはいない」とか、友人からモスバーガーを貰って「中野広しと言えどもこんなに美味しいモスバーガーはない」とかです。そして、その始まりは、中野zeroの図書館にて、ぴっちりTシャツ、短髪にマッチョなボディ、その腕には輝く紫のスパンコールの手提げかばんの方を見かけた際の「中野広しと言えどもこんなに分かりやすい人はいない」でした。中野ヒロシはそこからです。

中野での生活は火事に遭うなどして半年で終わり、その後、『虹色サンライズ』を描き始めましたが、話に聞いていた中野で暮らせたことは良い思い出です。そして、人を見た目で判断するのは良くないですね。
ちなみに、ちあき君は中野の隣ということで大久保です。他の一部メンバーも高円寺や西荻窪、上野に浅草、駅ではないけれど堂山や桜坂、栄といった地名を名前に使っています。振り返って見ると、電車や線路とつながりの深い作品となりました。地方から上京してきた者として、電車を生活基盤とする日々の新鮮さと、ゲイとして人間関係を新しく作っていく日々がどこかでリンクしたのかもしれません。

電車の話をもう少ししますと、ゲイをはじめセクシュアリティやジェンダーの説明をする難しさは、田舎の友人に東京の地下鉄網を説明する難しさに似ているなと思っています。東京メトロと都営線に別れていたり、自分が使う路線のことしかこちらもよく知らなかったり。ご希望の新宿歌舞伎町には一緒に行くから、キャバクラにも行くから、とりあえず黙って電車に乗って欲しいなと思ったことがあります。キャバクラはもうこりごりです。

強制散髪のエピソードは、母からの小包の野菜を包んでいた地方新聞がきっかけでした。それは祖母の暮らす地域の新聞で、中学生男子のボウズ強制の是非を問う記事が載っており、忘れかけていた絶望を思い出させてくれました。
実際の経験としては、私が小学五年生の冬頃には地域の中学校の校則が改められたのですが、一つ上の兄は、間にかませるスポーツ刈りまで進んでいました。家でも観察できる社会の不条理です。その不条理に対して私は「こんなことならなぜ最初からボウズにしてくれていなかったのか」などと親に対して憤りを抱いていました。不条理の連鎖です。絶望です。その後、兄は無事にツーブロックの中学生になり、それは短ランと共に兄によく似合っていました。今回振り返って、このエピソードは描いて良かったなと思いました。

――『虹色サンライズ』のほっこりさせる要因に、セリフが手書きなのがあげられますが、なぜ手書きにこだわったのでしょうか?

少々言いづらいのですが、それは私の技術の問題でした。フキダシの大きさと入れられる文字の量がいまいち分からず、編集サイドにうまく指示が出せなかったからです。誤植を招きかねないと思い、自分で書いた方が良いと判断しました。
手書き文字は、キャラクターの表情と同様に微妙なバランスでニュアンスが変わるので、何度も書き直しました。それが最終的には「温かみ」になっていたとしたら、大喜びです。今後の作品でも手書きを続けていきたいと思います。

――当時、7年に渡る『虹色サンライズ』の連載を終えた時の気持ち、最終話の方向性はどのようなものでしたか?

最高に嬉しかったです。まだ描きたい話や使わなかった設定もあったのですが、ずっとタイミングを見計らっていた季節もばっちり合わせることができ、当時の自分としてはこれ以上ない出来でした。
編集部の意向で終わらせるディレクションを出して下さったことには感謝しています。区切りがなくなっていた中での完璧なタイミングでした。一方で、無事に最後まで掲載の場がある保証などない中、7年間描き続け、逃げ切ったというのも正直な気持ちで、最終話のエピローグは、ほうほうのていで描き上げたことを今も心身が覚えています。あと一年は無理でした。

エピローグについては今も悩んでいる点があります。当初は、ストーリーの進まない普通の4コマ漫画の形式で、ヒロシ一人だけの日常を描いて淡々と終わらせる予定でした。しかし、それだとどうしても悲しい印象になり、当時のゲイ漫画のラストとしては無理だと判断し、簡単なハッピーエンドは描きたくないのですが、簡単に幸せにはなってほしいので、明確にポジティブな終わり方にしました。
もっと先の世代なら、いろんなラストが可能ではないかと思っています。

――昨年、newTOKYOで再掲載して改めて感じたこと、今のLGBT情勢に思うことなどあれば教えてください。

今回の再掲載は、一昨年の秋口に私が個人的に作品のデータ化を進めていたところ、どこからか話が湧き、年末の準備期間、年明けからの潜伏期間を経て2020年の三月の終わり、新型コロナの感染拡大による緊急事態宣言が出た頃から毎日の拡散となりました。

掲載にあたり、過去の作品の再掲載である旨の注釈をつけてもらいました。それは、今から見ると不適切な表現があるだろうと思ってのことだったのですが、現在の社会状況で、これはコロナ禍以前に描かれたものだという説明に見えてきたりもしました。改めて感じたこととはずれるのですが、今これは出来ない、これも無理だと、まさかの変化に驚きました。バディ掲載当時よりもキャラクター達が楽しそうに見えたのではないかと思います。大学生、特に今年の一年生が気の毒です。

LGBTを取り巻く環境はについては、まず、私が連載を始めた当時は、LGBTという言葉の使用は限定的だったようです。当時の状況を時代の空気とあわせて垣間見ることがてきる月刊バディ(2007年5月号)を確認しますと、LGBTの単語が確認できたのは北丸雄二さんの連載コラム「WORLD INDEX」だけでした。
ここ5年、各地でパートナーシップ制度が成立するにつれ、LGBTQとして一般的になったように思います。そして、この用語を使って肯定的な意見を述べる方も多くなったように思います。

また、インターネットにつながれば、問題意識のアップデートが試みられた世界中の素晴らしい作品やイメージ、意見に触れることができます。
以上を踏まえると確実に良い方向へ変わっていると感じる。と、言い切りたいのですが、ここまで思考を進めている現在の私は腕組みをして斜め上の空間を睨んでしかめっ面をしています。しかし…だが…いや待てよ、と複数の観点が気になります。さらにこのコロナ禍の影響、社会状況の今後を考えると、その体勢からのけぞってしまいます。

歯切れのよい回答は難しいです。
確かに良い方向に変わりつつある、変えられるようになりつつあると感じる、くらいが私の回答の限界です。ニュース等を見聴きして、自分がどうしても感じてしまう疲労感を無視できません。

暮らしている場所に関わらず、お金の多寡に関わらず、ルーツに関わらず、どの子どもも自分のセクシュアリティを安心して受け入れて成長できる状況なら回答が楽なのですが。
もし現在、『虹色サンライズ』を最初から始めるとすると、ヒロシはあまり変わらないとして、民子をはじめ、LGBTQではないキャラクターはもっと幅が広がるのではないかなどと思っています。また、ヒロシは東京ではなく、日本をあとにして、例えば台湾を目指すのもありかもしれません。お金の問題で頓挫するのですが。

さて、「G」のサンプルとして、私個人の小規模な環境の変化を語りますと、田舎の両親が「パートナー」という言葉を使うようになりました。私は肝心なところではオープンにしていないため、極たまに「彼女は?」と詮索されることがあります。それが数年前から「パートナーは?」に変わりました。親戚のおじにも「パートナーはおらんとね?」と言われ、流行りなのか、どの規模での変化なのか測りかねますが、そうなる前には、母からの小包の野菜を包む新聞に毎回LGBT関連の記事が混ざっているという怪現象が一年程続きました。ひるがえって、私自身が周りにとってどのような環境になっているのか気がかりです。

また、私はラジオばかり聴いているのですが、これはもう10年ほど前から良い環境です。当時、何気なく聴いていた22時台の情報系番組で、他の社会問題と同等にLGBT関連のあれこれを扱う評論に感動しました。少し泣いたと思います。それまで私は、どんなに社会正義を語る方であってもゲイに対しては不真面目な態度をとるだろうと、どこかで思っていました。人馴れしない野良猫にシンパシーを抱いてしまいがちだった私が、社会に期待する姿勢でいることを諦めず『虹色サンライズ』を描き進められたのはラジオのおかげでした。今、ラジオが熱いです。

紙のゲイ雑誌がもうないことは挙げておきたいです。もう月毎に雑多に編集された情報がありません。その役割が分割され、ウェブに移行されことで、情報の編集のされ方が大きく変わったと思います。今回のウェブ掲載では、バディとのつながりも感じながら新しい編集を私は楽しみました。変化への寂しい気持ちは持ちつつ、新しい情報発信の形とその影響に期待したいです。

――最後に、連載当時と今回の再掲載において、作品や各キャラクターを愛してくださった読者の方々にメッセージをお願いします。

4コマ漫画『虹色サンライズ』を読んで頂きありがとうございます。また、インタビューをここまで読んで頂きありがとうございます。
SNS等をやっておらず、作家として人との交流をしていない私ですが、今回、コメントやキャラクターを描いたイラストを各所で見て嬉しく思いました。頑張って描いたけれどこれっていったいどう読まれるのか、長年の疑問でしたが、その点がようやく晴れた気がしました。

最後に、私がこの作品を描くことができたのは周りにいてくれた人達のおかげでした。今回は触れませんでしたが、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

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――前田ポケット氏の描くほのぼのとした世界観に内包する寂しさや希望は、読者の心にとても優しく、同時に元気を与えてくれる。

子どもの頃からゲイであることを隠し続けてきた主人公の中野ヒロシは大学進学をきっかけに、寂しさと期待を胸に抱いて上京する(実際は千葉)。
当初は周りにカミングアウトすることなく…ひっそりゲイ活動をする予定だったものの、最初は何をして良いのか全く分からず一人で四苦八苦。
しかし、キャンパスを通して出会った、不器用鈍感女子の民子、歩くカミングアウトのミッドさんなど個性的でちょっとシュールな人々との日常や、初めての恋愛を通し、主人公ヒロシは次第に成長していく。

物語は主人公の大学生活4年間を中心に描かれている。18歳~22歳というのは、誰もが「初めてのゲイバー」「初めての彼氏」など、最も多くの経験をする青春の時間。
この作品が多くの人々に愛されたのは、主人公ヒロシの「あるある」な体験を自分に重ねることで、見逃してしまった大切なことを気付かせてくれたり、一緒に成長できるところにある。

連載開始時期とはLGBTを取り巻く環境や情勢は大きく変化しているものの、『虹色サンライズ』が伝えるメッセージは何も変わりはしない。
そしてこれからも。

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■プロフィール/前田ポケット
熊本県出身。2006年ゲイ雑誌「バディ」(2019年休刊)にて短編作品で漫画家デビュー。代表作は4コマ漫画『はみちん』(2006~2019)、『虹色サンライズ』(2007~2014)など。現在エネルギーチャージのため漫画家活動は休止中。

(※)バディ連載期間は2007年~2014年の7年間で全81話、その後2019年1月号で読み切りとして、6年後を描いた一回こっきり復活漫画、2019年3月号にてエピローグを掲載。

描き下ろしイラスト/前田ポケット
01.オレンジファミリー
02.くれない昼はない
03.イエローロード
04.ブルーシートとエバーグリーン
05.THE PURPLE IN MANILA
06.電車

写真/EISUKE
インタビュー/みさおはるき
編集/村上ひろし
記事制作/newTOKYO