スッと引かれた輪郭線、水彩のペールオレンジで色付けられた裸の女性たち。どこか満ち足りていない、もの言いたげな表情を浮かべた彼女たちと視線が合うと、次の瞬間には確信を突いた一言が放たれそうでドキっとする(好意からの胸の高鳴りというよりは、何か隠し事を見透かされているような感じ)。
イラストレーター・漫画家の岡藤真依さんが描いてきた作品の中には、乳房もあらわにした女性や女性同士の性愛を描いた構図も少なくない。「女性性」「性愛」といったテーマを描くことが自らの宿命に感じていると話す岡藤さん。作品のルーツは、女性へ理不尽な立場を強要してきた社会へ対する少憤も影響しているそうだ。
ーー女性同士の性愛、女性性を描き続ける理由。
ーー女性同士の愛や恋を描くようになったきっかけをお聞かせください。
イラストレーターとして活動を始めたばかりの頃、思春期の性愛をテーマに描いていました。私は中学、高校ともに女子校に通っていたものですから、同性同士の恋や愛というものを身近で感じやすい環境にいたんです。
現に友達の延長線上で友達以上の関係性で結ばれていた人もいましたし、それは私だけじゃなくて周りの子も同じような経験をしたという人が数人いました。なので、思春期を描くうえで女性同士の性愛というものは切っても切り離せないんです。
正直、自分でもなぜここまで思春期の性愛というものに執着して描き続けているのか言語化できていないんですが…性の始まりみたいなものをその年代に感じていて、その始まりの揺れ惑う心に惹かれているのだと思います。
学生の頃から「自分はなぜ女性なのか」という疑問、というか「女性であること」を意識させられることがとても多かったんです。昭和を生きてきた者からすると「女の子なんだから」という枕詞は日常的に浴びせられて、田舎に行けば親戚の男性にお酌をさせられるなんてことも。そういった風潮が良しとされていることに、ものすごく反発心を抱えていました。
痴漢も日常茶飯事で制服を着れば大人からの刺すような視線を感じましたし、性的対象として消費される感覚が女性として生まれてきた自分を肯定できない期間を生み出したのかなと思ってます。それらの思いを作品にして昇華している感覚があります。
ーー作品の中には乳房を描いたものも多くありますが、先ほどお話された「なぜ自分は女性なのか」という疑問や反発心にも繋がっているものなのでしょうか。
描いてるときは「おっぱいって可愛い〜綺麗」としか思ってなくて…桃や南アルプス山脈を見て「綺麗だな〜」と心動かされるような感覚と一緒といいますか(笑)。女性の体のラインを描く喜びの気持ちが、そうさせているのだと感じていました。
ただ、そのように解釈いただいたお話しを聞くと、過去から現在までに経験したことは少なからず絵に作用しているように思えてきますね。
左から、『コスチューム』『ダンスの前に』
分かりやすい例を出すと、男性はリアルそしてデジタルの場において乳首を晒しても特段問題視されることはありませんが、女性の乳首は性的であるとみなされることがほとんど。乳首をあらわにした女性を描いた作品をウェブ上へアップすると、ゾーニングがかかるということも何度かありました。
そういうときに「女性の胸は、猥褻なものとみなされているのか」と、自分と社会に生じている認識のズレに疑問を抱くことがあります。
ーー作者のセクシュアリティで作品を評価するのは、様々な立場・境遇にある人々への想いを馳せる機会を奪いかねない。
ーー岡藤さんの作品を好きでいてくれる読者やファンの方々からいただいた言葉の中で印象に残っているものはありますか。
作中で女性の性的トラウマを描いた漫画作品『少女のスカートはよくゆれる』(太田出版)を読んだ女性からは「私自身の経験を語ってくれたような作品でした」と、自身と作品を重ねて感想を送って下さった方のメッセージも感慨深かったでしたし、展示の際に女性のヌード作品『散りゆく花』を購入してくださった方からは「この絵が自分の体も花であると気付かせてくれました」とSNSに投稿くださって、本当に嬉しかったです。
自分が生み出した作品が、女性性を肯定できる一つのきっかけになった瞬間に巡り合えるという点でも、この職業を続けていて本当に良かったと思いますね。
左から、『愛の挨拶』『ふたり』
ーー女性作者が同性である女性同士の性愛を描き続けるとなると、作者自身のセクシュアリティを詮索される可能性もゼロではないと思いますが、どう感じていますか。
そうですね。直接聞かれることもありますし、「私のセクシュアリティを知りたいんだろうなぁ」という雰囲気を出してくる方もいらっしゃいます(笑)。ただ、その方たちを否定する気はないし、私もそういった気持ちはよく分かります。なので、はっきりと聞かれたらお話しするというスタンスです。
ただ私のセクシュアリティがどうであれ「当事者だから描いていい」「当事者じゃないから所詮、つくりもの」など、作者のセクシュアリティありきで良し悪しを決める風潮はあまりよろしくないかなと感じています。
皆さんプロである限り手足を使って取材して、しっかり想いをのせる。想像と実感をしたうえで、ようやく手を下ろして創作をするんです。今を生きる人たちが様々な立場・境遇にある人たちに思いを馳せて考える。その機会が奪われることにもなりかねないので、「作品としてどうか」ということを第一のフィルターとして設けてもらえたら嬉しいです。
私が描いた漫画作品『フォーゲット・ミー・ノット』も百合漫画といったジャンルに括られることがあるのですが、私としては「人を好きなることにカテゴライズは必要ない」という思いで描いています。女性同士の性愛を描いているものの、普遍的な愛の形を表現していることには変わりはないんです。
ーー今後の作品や活動について、思い描いていることがあれば教えてください。
「女性性」「性愛」というものから離れて別のテーマで描く人生は考えられないので、同じテーマでずっと描き続けていけたらなと思っています。あとは最近になって、とあるアダルトビデオ女優の方が私の作品を好きでいてくれたことがきっかけで、アダルトビデオ業界の方やストリッパーの方との交流が増えてきたので、性風俗産業で生きる女性を描いた作品を生み出したいという気持ちがありますね。
身一つで働いている女性たちは本当にたくましい。リスペクトを込めて形にしたいです。
■岡藤真依
イラストレーター、漫画家。京都精華大学洋画科卒業後、ソニーミュージュック主催オーディションポスター展、美術手帖主催「シブカル杯。」2013ともにグランプリを受賞。2017年には新宿眼科画廊にて個展「エッチな私は嫌いですか」を開催。「女性性」「性愛」をテーマに、水彩ならではの淡い色調で女性たちを描き続けている。『STOCK ROOM #2』( 4/13(木)〜4/21(日) 15:00 – 20:00 入場無料)に出展中。
http://okafujimai.com/
Instagram@okafujimai
画像提供/岡藤真依
取材・文・編集/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO