“大切にしたい相手”だからこそ、プロポーズをして「家族」になりました。パートナーシップ証明を受けたカップルのラブ♥ストーリー

那覇のパートナーシップを結んだゲイのカップル

2017年7月、「性の多様性を尊重する都市・なは(通称・レインボーなは)」を宣言した沖縄県・那覇市による「同性パートナーシップ制度」がスタート。同月に開催された「ピンクドット沖縄2016」(※)のステージでパートナー申請第1号となった入眞地順治さん(左)と安座間尚彦さん(右)に城間幹子那覇市長から証明書が手渡された。多くのLGBTにとって憧れともいえる「同性婚」を挙げたおふたりに、プロポーズのきっかけや結婚観について、話をうかがった。

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――順治さんと尚彦さんの出会いと交際までの馴れ初めを教えてください。

入眞地順治(以下/順治):私は大阪でゲイバーを経営していたんですが、沖縄にもバーを出すことになったんですね。当時、尚彦は那覇のゲイバーで働きながらゴーゴーボーイでも活躍していて、お互いに面識はあったんです。

安座間尚彦(以下/尚彦):今から7年位前だったと思います。自分から見て順治さんは「大阪のママ」という認識だったので、知り合った当初は接点はなかったですね。

順治:それから1年ほど経って、沖縄で若い子向けのゲイイベントがあったんですが、そこで私が尚彦にナンパされたんです(笑)。

尚彦:えっと、正しくは自分が若いスタッフや仲間と一緒に飲んでいて、順治さんに「一緒に飲んでいいですか?(※みんなにご馳走してください)」って声をかけたのがきっかけです(笑)。

順治:で、その日のうちに尚彦をお持ち帰りしたんですけど(笑)声をかけられた瞬間の一目惚れだったので、「こいつを大切にしないといけない」って思っちゃって、その日は手は出さずにデートから始めることにしたんです。

尚彦:結局、一線を越えたのは何度かデートを重ねてちゃんと付き合うことになってからでしたね。

順治:私も尚彦もウケだったので周りからは「そりゃ無理よ」なんて心配もされたんですけど、おかげさまで勃起薬などに頼ることもなく、すんなり私がタチをできたんです(笑)。

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――おふたりが、パートナーとして人生を向き合っていきたいと思った理由はなんだったのでしょうか?

尚彦:順治さんが肝臓を悪くして倒れて2ヶ月半ほど入院しちゃったんですよ。

順治:それより前から同棲していたんですが、収入面では私の方が上なので、いわゆる「大黒柱」的な立場で多く生活費を出したり尚彦の服を買ったりもしていたんですね。でもカップルのままだと些細な喧嘩などを理由に別れてしまった場合、私のために生活を変えた尚彦にはなんの保証もないじゃないですか…。

5年付き合って、尚彦も30歳を過ぎるので「そろそろ責任を取ろうかな」ってなんとなく考えてはいたんです。そのタイミングで私が入院することになったんですが、尚彦が献身的に私の面倒を見てくれて、そばにいてくれる安心感があったんですね。そこで、私も尚彦に安心してもらいたくて昨年の3月にカンボジアのアンコールワットでプロポーズをしたんです。

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那覇のパートナーシップを結んだゲイのカップルのインタビュー

お互いの親族や、多くの人々に祝福された結婚式。順治さんの親友LINAさん(MAX)が祝服に駆けつけ、歌手の中島美嘉さんが挙式後にステージで歌を贈るサプライズも♡♡♡

――『ピンクドット沖縄2016』で晴れやかな人前結婚式を挙げようと思ったのいきさつを教えてください。

順治:尚彦もプロポーズを受けてくれたので、その年の秋頃に友人や家族を招いてホテルで結婚式を挙げられたらいいねって話をしてたんですね。

尚彦:そこで自分が「プロポーズされました」ってふたりで指輪をしている画像を載せてSNSで報告したんです。

順治:そうしたら知り合いから電話がかかってきて「那覇市でパートナーシップ制度が承認されたから、『ピンクドット沖縄』で結婚式をしてみたらいいんじゃない?」ってアイデアをくれて。

尚彦:最初は当時ピンクドット沖縄代表だった砂川秀樹さんから「東京の同性カップルを呼ぶので、合同で式をしませんか?」という提案をいただいたんです。

順治:だけど私たちの希望は「ふたりの結婚式」だったので、その旨を伝えたところ「ではおふたりの結婚式にしましょう」と快諾をいただくことができました。現在は沖縄だけでなく大阪や東京でもゲイバーを経営しているのでふたりで全国を飛び回っているんですが、このパートナーシップ制度をきっかけに本籍を沖縄に移しました。

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――“家族”になったおふたりのこれからの夢や歩んでいきたい人生観を教えてください。

順治:実は私の姉が病気になって子供を育てられない状況なんです。なので、いずれは血の繋がった家族としてその子供を私たちの養子に迎えられたらいいなと思っています。
私の母もその意見には賛成してくれているのですが、姉にとってはかけがえのない息子なので、みんなが納得する形に話を進められたらな、と思っています。

尚彦:同性婚というのはあくまでもひとつのけじめや分岐点でしかないので、やっぱり大切なのはお互いを想う気持ちだと思います。自分たちが、ほかのLGBTカップルにとってひとつの目標になれるように、末長く幸せに生きていこうと思っています。

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写真/EISUKE
取材・インタビュー/みさおはるき
記事制作/newTOKYO

(※)ピンクドット沖縄とは、「すべての人がより生きやすい社会を」という思いを持つ人や、アライズ(allies=LGBTの支援者、連帯者)としてサポートする人々が、ピンク色のものを身につけ集い、理解を深め、その思いを共有し、表現する毎年沖縄で行われているイベントです。

※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp