【追悼記事】新宿二丁目・千鳥街の老舗ゲイバー「洋チャンち」の洋チャンが伝えてくれた人生のメッセージ。

今年1月中旬、半世紀近くお店を切り盛りしてきた老舗ゲイバー「洋チャンち」のマスター・洋チャンの訃報が新宿二丁目を悲しみを包んだ。
洋チャンは、約250軒以上(株式会社フタミ商事調べ)のゲイバーがある新宿二丁目の中でも指折り数える最古参レベルの老舗でありながら、82歳を迎えても現役で店を切り盛りしていた。いつもにこやかに、ゆるっとふわっとした生き方を重ね、この街の移ろいをしっかり見つめてきた一人だった。

今回は洋チャンがゲイ雑誌バディのインタビュー企画「過去から未来に受け継がれるゲイスタイル特集」で語ってくれた、洋チャンらしい生き方のコツをお届けします。一人でも多くの方に洋チャンの人柄と優しさ、生きる姿勢が届くことを願って。

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――洋チャンがゲイバーを始めようと思ったきっかけを教えてください。

私は若い頃は浅草のゲイバーで使いっ走りをしていたんだけど、「ちょっと新宿に行ってみよ」って1960年に来たの。でね、新宿ゴールデン街に花園旅館というのがあって、そこのお嬢さんと友達だったので「空いてる物件貸して♥」って口利きしてもらって、東京オリンピックの翌年の1965年にゲイバーを出したの。
ほら、自分のお店って一回は出してみたいでしょ。嫌になったら辞めちゃえばいいんだし、それなら誰にも迷惑かけないでしょ。それからしばらくして、1973年に新宿二丁目にお店を移して44年。毎日が楽しいからずっと続けてるの。できれば100歳までは続けたいなって思ってる。

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――これまでゲイとして生きてきて、忘れられない思い出はありますか?

1964年、東京オリンピックの影響で、当時勤めていた浅草のゲイバーの深夜営業ができなくなって時間がたくさんあったの。それで江ノ島に遊びに行ったのね。その時に経験した一夏の経験がずっと忘れられないの♥
叶うことなら、今でも彼に会いたいなぁって(笑)。でも普段は一人が一番気楽。だって、自分を一番大事にできない人は他人のことなんて大切にできないものでしょ。
お店での思い出だと、これまでにいろんな人が来てくれたのよね。デヴィ夫人さん、吉田日出子さん、奥村チヨさん、都はるみさん、ピンクレディーのケイちゃんとか。ほら、壁にたくさん写真貼ってあるでしょ。これがなければ洋チャンはとんだホラ吹きだと思われてたわよね(笑)。ゲイバーって、有名な人とか一般人とかっていう区別は抜きにして、たくさんの人と出会える素敵なお仕事だって思うの。

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――いろんな経験をされてこられたと思うのですが、長く経営してきた秘訣はなんでしょうか?

さすがに有名人が毎日来るわけじゃないけれど、どんなお客さんだったとしても「今日も一日、楽しかったなぁ」って思える毎日を過ごすようにしているの。こんな5席くらいしかない小さな店だけど、継続はオカマなり!だから(笑)。
それと、人間ってね、自分の器を理解してないとダメ。ちょっと成功したりチヤホヤされたくらいで天狗になったらおしまい。アタシは若い頃散々意地悪もされたけど、アタシは意地悪なんて人にはしない。10人いたら3人くらいは嫌な奴いるじゃない? そういう人と出会ったら猫のように黙ってそろっと半歩下がるのが人間付き合いのコツ。一歩じゃなくて、半歩ね。一歩だと足音が立つものだけど、半歩は音を立てず波風を立てない下がり方なの。苦手な人とはちょうどいい距離をとって、余計なことを言わないのが秘訣かな。

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――最近の新宿二丁目や若いゲイカルチャーをどう思いますか?

そうね、洋チャン的に見れば今の新宿二丁目は平家物語の壇ノ浦の戦いとか日曜日の動物園みたいに見えるの。昔のゲイバーは秘密で来るからスリルと期待が経験できて面白かったわけでさ、昔は街はとても静かだった。
今のように表であんなに騒ぐ子や、パンをかじりながら歩くような子はいなかったもの。それとね、昔のゲイボーイは見た目も所作も本当に美しかったけれど、今の子たちはチンドン屋さんみたいで美しさの基準が違いすぎてよく分かんない。
でもね、アタシは今の人や若い子たちには余計なことも言わないの。他人は他人、自分は自分でしょ。いくらゲイバーを長く続けているからって上から目線で言われたらみんな気持ち良くないでしょ。さすがにアタシの先輩はみーんな死んじゃったけど、新宿二丁目では20歳も80歳も、みーんな平等なんだから。
それに今の子たちから学ぶこともあって、「流行は自分で作るものなのね」って思うことは確かかな。

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――これから新宿二丁目に遊びに来る人に伝えていきたいメッセーを教えてください。

アタシは家庭を持ったことがないからね。洋チャンの友達は渋谷駅のハチ公と、青山墓地の鳩ちゃんたち、それと近所の野良猫のチャービー。あの子たちは旅人でもあり、決して嘘をつかず、自分らしく生きているという点では人生の先生でもあるの。
お店の外にいっぱい植木があるでしょ。あれもね、いろんなお店が枯れてもいないのにどんどんゴミ捨て場に捨てていくわけ。喋らないけど生きてるじゃない? だからそれをちゃんと新しい鉢に植え替えてお水をあげてる。でもね、それでも枯れちゃったらそれはその子の運命なの。
洋チャンができるのは「生きて行くチャンス」を手助けする程度で、それ以上はしない。若い子に対してもそうなの。アタシも若い頃はいろんな人にたくさんのことを教わったけれど、それは洋チャンが先輩たちを見て勝手に学んだこと。
今でも「自分の敵は自分」「人に迷惑をかけない」「嘘をつかない」の3つを心がけてる。だからね、若い子のお客さんが来ても「アタシが経験したお話」を少し伝えるだけで、それはアドバイスでもなんでもないの。それを生かすかどうかは、その人次第ということなのかもねぇ。

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洋チャン/洋チャンち
82歳で一人称は「アタシ」もしくは「洋チャン」。ゲイバー歴は約60年、ゲイバー経営者としてのキャリアは52年、新宿二丁目に移転後44年変わらず店を続けているマスター。映画「メゾン・ド・ヒミコ」にも「女優」として出演。

取材・写真/みさおはるき Twitter@harukisskiss
編集・記事作成/村上ひろし(newTOKYO)
記事協力/Badi©️TERRA PUBLICATIONS INC.

※この記事はバディ2018年2月に掲載したインタビュー当時のものを掲載させていただいております。一部年数が異なっております。