現在、プロの漫画家として活動している平沢ゆうなさん。初めて連載した漫画は『僕が私になるために』(モーニングKC/講談社)。ある男性が自分の性別に違和感を覚え、性別適合手術を経て女性になるという話である。そして、この漫画の主人公のモデルは、著者自身。平沢ゆうなさんである。
そこに描かれているのは、当事者だから描写することのできる苦悩と不安、現実に起こり得る恐怖。そして生まれ変わった新しい彼女の笑顔だった。
自身の性を、作品として産み落とすこととなった平沢ゆうなさんの生き方をお届けします。
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――0か1ではない性の分け方。曇りであることすら分からないもやもやが続く日常の中で。
自分がいつから性に違和感を感じていたのかは、当事者であれば分かる感覚なのだと思うのですが、急に0から1になるようなものではなく、説明はしづらいものなんです。
ずっと曇りの空しか知らないかった人は、晴れの日を想像できませんよね。晴れの日がこの世にあると知ったのはいつから?今見ている空が曇っていると気が付いたのはいつから?というものに近いかもしれませんね。
性に対しての思い出で一番古い記憶は、幼稚園に通っていた頃のものです。母に「なぜ私はスカートを穿けないのか、穿いてはいけないのか」と尋ねたことを覚えています。母は「あなたは男の子だからね」と言っていました。ただただ、その時は純粋に納得していました。
それから小学校、中学校へと進学していく中で性に対しての違和感をそれとなく友達に相談したこともありました。「俺だって女になりたいって思うことはあるよ」「いつかそういうものはなくなるもんだよ」当時の私は、客観的に見れば自分は男性であることは分かっていたし、それと同時に周囲にいた友達の考えもあり、誰でもある程度は異性になりたいという思いを持っていると思っていました。
自分の行動が突き動かされるくらい、今の状態ではいられない!って強く決心したのは、それからずっと後の社会人になってからのことでした。
もしも、学生の時に私が自分で性同一性障害だということに気が付いていればと思うこともあるのですが、性同一性障害という言葉は小学6年生の頃にテレビを通して知っていましたし、もしかすると、気が付かないふりをしていたのかもしれないですね。
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――ただ手術をして移行すれば良いわけではない。女性として認めてもらえなくても自分らしく生きられるか。
学生時代のもやもやは、性別が原因という確証にはならずに男性として社会人をしていました。ですが、背広を着て会社に行くことに男性として生きていくことに、嫌だなぁという思いが日々強くのしかかってくるようになってきていて、気が付けば、意味もなく涙を流していました。
もしかしたら、学生から社会人へと環境が変わったせいかもしれない。そう思い丸三年、様子を見ることにしました。そうすれば、ずっと抱えてきた感情は性別のせいではないと証明できるかもしれない。僅かな疑いの可能性を少しでも潰しておきたいと考えたんです。しかし、男性として会社に行こうとすると溢れ出る涙に、変わりはありませんでした。
その時が私にとってのターニングポイントだったのだと思います。女性になろうと決意し、女性になるための準備を始めました。まずは美容室に行き髪を女性用にカットをしてもらい、電話での応対をすべて女性の声で行う練習をしました。しばらくそれが続くと、直接会ったことがない人からは私のことを女性だと思うようになっていましたね。
そして、精神科へ行き性同一性障害だという診断書をもらい、その診断書を持って上司にカミングアウトをしました。性別適合手術を受けるため会社を辞めたい、と。結果としては、上司が理解がある方でしばらくの間休職するということで話がまとまりました。
性同一性障害という診断は、性別適合手術を受けるのに必要なものなのですが、その診断を受ける際にかけられた言葉は、とても厳しいものでした。「会社はどうするの? 親、兄弟、友人は受け入れてくれるの?」「生き方、変わるよ?」ですが、それは重々承知の上でした。
私がその病院を選んだのには理由がありました。安易に性同一性障害の診断を下さないということ。そして、幸せになるための診断をしてくれるということを知っていたからでした。
実はMTF(男性→女性)はいくつかの満足度調査で、FTM(女性→男性)に比べ低い値を示しているようです。性別移行をしたとしても引きこもりになったり、社会に適合できなかったりする人もいると伺いました。当時の精神科の先生からは「華奢だからなれなくはないと思う。でも悲惨だよ、なれなかったら」とも言われました。その先生が優しさで言ってくれたんだと実感することが、当事者の世界に入ってから耳にすることがありました。
一生懸命手術をして、化粧も髪型もファッションも頑張っているのに、女性として認めてもらえず、家族や友人がいなくなってしまう人たち。そういう人たちがうつ病や精神疾患になってしまったりするケースがあるのです。それを未然に防ぐため、私にその覚悟があるのか、幸せな生活が送れるのかというものも見極めていたんだと思います。
なので私は、先生へ決意を見せるために、次の診療時には、女性の服を着て、メイクをして、ウィッグを被り向かいました。メイクも素人で、慣れない女性の服装だったこともあり、周囲に女性として認められない境遇にあるMTFのそれでした。病院に向かう途中に浴びせられる視線や、投げかけられる「変態」という声が辛く感じましたがそれよりも、女性として生きると決めた意思が私を前に歩かせました。
そして私は、「性同一性障害」という診断を受けることができたのです。
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――母の心配と兄妹の支え、そして父の反対。家族へのカミングアウトを経て見つけた居場所と晴れた空。
性同一性障害の診断書を受け取った私は、先生に最初に言われた「家族は受け入れてくれるの?」という問題に取り掛かりました。
まずは、母に伝えました。「どうしたい?」「まだ分からないけど、性別移行したいと思っている。自分がそれで幸せになれるか分からないけど、そうせずにはいられない」「自殺したいと思うくらいだったら、死んじゃうようなことにはなって欲しくない」そういう会話をしました。
母が家族みんなに伝えてくれて、結論から言うと、兄と妹は応援してくれて、父は強く反対しているようでした。それから「自分だけで生活をして、自立できているということを証明してから自分で家族に説明をしろ」という兄のアドバイスを受けて、一人暮らしを始めることにしました。
一人暮らしを始めると、兄からネットゲームの誘いがあったんですよ。「夜、とにかくログインしろ」「何をするわけでもなくゲームをすれば良いから」と。おそらく生存確認だったんでしょうね。こんな状態で家を出て、もしかすると一歩間違えたら死んでしまうとか思ったんだと思います。実際、精神的に追い込まれていたので居場所があったことですごく救われました。
それに、ゲームの世界では男性時代の私を知らない人ばかりで、偏見もない人たちばかりでした。性別を気にしないネットの世界にいると、不思議と性格も前向きになってきて、よく明るくなったねって言われるようにもなってきたんです。ネットを通じた先に、生きた人間がいるのであれば、そこで生まれる人間関係も希薄なものではないんだなって、初めて知ることができました。その経験は、今までずっとかかっていた曇りの空が初めて晴れたような気持ちでした。
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――性別移行後、新たな道を歩み始めた平沢ゆうな。前向きになれたからこそ、他の当事者にもエールを!
性別移行の手術を受けてからは、休職していた会社には戻りませんでした。退職して、漫画家のアシスタントを始めたんです。実は小さい頃から絵を描くのが好きで、ずっと夢だったんですよ。会社を辞めて、性別を変更してこれまでの性を捨てたのだから…だったら、仕事も本当にやりたいと思うことを全部やろうって思ったんです。
それで、アシスタントをしながら性同一性障害のことや手術のこと、私が経験してきたことを記録に残そうとエッセイコミックを描いてみたんです。そうしたら「これを連載用に書き直してみてください」という編集担当さんからの連絡があって、私のこれまでの物語が連載することに至りました。
連載が決まったからには、すべてを赤裸々に出してしまおうと決めました。それが、私の経験を読んだ他の当事者の方にとって、エールになると思ったからです。女になるまでの話を描いて完全に女を捨てているような漫画。それくらいが良いかなって(笑)。
女性になって、漫画家になって、私は少なくとも昔の自分よりも今の自分のほうが好きです。昔はいつ死んでも構わないなんて思っていたくらい人生に投げやりだったんですよね。
今は、女性として、漫画家としての辛いことはもちろんあるけれど、生きているということそのものが辛く苦しいということはなくなりました。
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――これからは一人の女性として。誰かの「らしさ」にとらわれることなく自分の考えで生きていく。
好きなことを仕事にできるということは、一番幸せなことだと思います。
自分の人生で一番長い時間を過ごすのが仕事。自分の好きなことで、ましてや人の役にちょっとでも立てるのであればこんな幸せなことないですよね。ただ、漫画家として『僕が私になるために』を出した時きから「これで終わらないようにしよう」と心に決めていました。この人は結局自分の人生を切り売りしたエッセイ漫画しか売れなかった。記念に出しただけで終わったねって言われないようにしようと。
なので、性同一性障害や性別適合手術といった内容とは関係のないもの、根底は一緒かもしれないけれど毛色の違う作品をこれからも作品として世に送り出してみんなに認められるように頑張ろうって思っています。
それから、私自身のこれからですが、「MTFだから…」「GIDだから…」「女だから…」と言われないように、生きていきたいと思います。同時に「MTFなのに…」「GIDなのに…」「女なのに…」も言われたくないです。誰かの価値観や、社会にはびこる「らしさ」にとらわれず、常に自分で考え、言いたいことがある時は言えるように、泣きたいことがある時は泣けるように、最後自分が死ぬ時には「良い人生だった」と思えるように生きたいです。
私は、今のところ女性になったことを後悔はしていません。だけど、世の中にはもしかしたら後悔している人はいるかもしれない。もしそんな人がいたとしたら、どうか自分を嫌いにならないでほしいと思っています。あなたが後悔するほど重要な決断をしたということは、そのことから逃げなかったということなんですから。
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■ プロフィール/平沢ゆうな
漫画家。男性としての会社勤務を経てホルモン療法、性別適合手術を受け、2015年に女性へ戸籍変更。作品『僕が私になるために』では、自身が体験した性別適合手術についてのことを赤裸々に描く。現在はCOMIC メテオにて『鍵つきテラリウム』をWEB連載中。
■ 公式サイト「迷子駅」
■ Twitter@hira_lcs
■ YouTubeチャンネル@平沢ゆうな
取材・写真/新井雄大
編集/村上ひろし
記事制作/newTOKYO
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp