【歌手・天道清貴SPインタビュー】メジャーデビューから、今年で20周年。17歳だった自分から変わったこと、変わらなかったこと。

清貴改め、今年で20周年を迎えた歌手、天道清貴さん。17歳という若さでメジャーデビューし、翌年には代表曲でもある『The Only One』がドラマ主題歌となりヒット、知名度・人気ともにトップアーティストの仲間入りを果たした。
一方、彼が注目を浴び始めた2000年代初頭は、全国的に今ほどLGBTへの正しい理解が進んでいなかった時代。デビュー以前から“ゲイ”であると自認していた彼にとって芸能界も例外なく「本来の自分」を隠さざるを得ない場所だった。「歌で自分自身から湧いてくる想いを伝えたい」。純粋な志をストレートに表現できない日本を離れ、単身渡米したのは26歳の時。その決断が20周年を迎えている、今の自分に大きく影響していると話す。
今回は天道さんのデビューから現在に至るまでの軌跡を辿りながら、新曲『想い出のクリスマス』についてもたっぷり伺った。

The Only Oneが40万枚セールスのヒット。嬉しさの反面、頭をよぎったのはゲイということがバレたら…。

――17歳でデビューした天道さんですが、20年後の自分というのは思い描けていましたか?

高校在学中にお付き合いしていた人がレコード会社へ送ったデモテープがきっかけとなり、デビューに至ったのですが、その時は「とにかく寝ても覚めても歌っていたい」という気持ちばかりで(笑)。20年後を考えるなんてことはなかったですね。平日は地元である仙台市内の高校へ登校し、金曜日の授業が終わったらそのまま東京へレコーディングをしに行き、月曜日の朝、仙台に戻って学校に通う日々。かなりスケジュール的にもハードで、当時は、その一瞬一瞬と向き合うことで精一杯でした。

――それからおよそ半年後、3rdシングル『The Only One』がドラマの主題歌としてヒットし、歌手として活動をする上で心境の変化はあったのでしょうか?

デビューしたばかりの時は地元の高校に通っていたので、自分が世間から注目されているという実感が湧かなかったので、すぐには変わらなかったですね。徐々にラジオやテレビから自分の曲が流れてきたり、雑誌に出ていたり、『ミュージックステーション』といった音楽番組などに出演させていただいたりするうちに、自分を取り巻く環境の変化を感じるようになりました。デビュー当初は「ただただ、音楽が好きで歌いたい」という一心だったので、楽曲のヒットがきっかけで自分自身が公人として知られる環境というのが、想像できていなくて。まだ世間のことがよく分かっていない高校生だったので、色々な人が自分に興味を持ってくれるのは嬉しいと同時に、怖いことだなとも感じていました。

――音楽活動外の天道さんへの注目が集まることに対しての不安が強くなったわけですね。

デビュー以前から自分がゲイであることは自認していたけれど、表に出る人間がゲイであることをカミングアウトすることって、歌手活動に決してプラスになることではないと思っていたんです。だから「好きな女性のタイプは?」などメディア出演するたびに聞かれる恋愛的な質問に対しては、思ってもいない回答をすることが必然的に多くなって。その度に罪悪感が募っていったし「本当の自分って何なんだろう?」と思い悩むようになりました。10代でデビュー、歌はもちろんダンスも踊って…となるとアーティストではなく、アイドルのような形で私を捉えて応援してくれる人も少なからずいて…そういうファンの方たちを裏切りたくないなという気持ちもあり、雁字搦(がんじがら)めになっていました。

――実際に、ご自身に対する世間の声を見聞きする機会はあったのでしょうか?

その当時は、ちょうどインターネットが普及し始めた頃。ある時、当時のプロデューサーが私について書かれている掲示板の書き込みをわざわざ印刷して持ってきたことがあったんです。「歌が上手!」といった内容がある中で、「絶対、この子ホモよね」「タモリさんを見るあの上目遣いは、絶対ホモ」などといった書き込みもあったりして、メディアに出ると、ずっと隠さなきゃいけないと思っていたようなことが、こんな風に書かれてしまうんだとショックを受けました。今でこそ笑って話せますけど、徐々に自分を表現するのが怖くなってしまって、日本でこのまま自分を偽って活動するのは限界かもしれないと思い、2009年、26歳の時に渡米しました。

偽りの自分を演じなければいけない日本を後にして向かったのは、ニューヨーク・ハーレム。

――単身、アメリカへと渡った天道さんが再スタートを切る地として選んだのは、ニューヨーク・ハーレム。何かご縁があったのでしょうか?

ハーレムはゴスペルの本場とも言われる場所。ゴスペルに憧れを持ち続けてきたので、デビュー後も「本場に行ってゴスペルを歌いたい」という気持ちは常にありました。ずっと訪れたかった場所で大好きなゴスペルを歌える環境に身を置けていることが、とても幸せで。日本に住んでいた時は周囲が決めた“清貴”を演じなくてはいけなかったけれど、ここでは自分自身を歌で表現できて、音楽に対する気持ちが再燃した場所でもありました。

それに、人種やセクシュアリティではなく「自分自身、どういう人物なのか」を常に問いかけられるのが、ニューヨークという街。だから、今まで受入れらなかった「ゲイ」というセクシュアリティも自然と、自分の一部として受け入れられるようになっていきました。

――帰国後に参加した『TOKYO RAINBOW PRIDE 2015』のステージでのカミングアウトはアメリカでの経験があってこそだったんですね。 

はい。ずっと日本で活動を続けていたらもしかしたらカミングアウトしていなかったのかもしれません。そのきっかけとなった『WE ARE ONE』という楽曲も当初、日記のように過去の自分の想いを綴った作品だったんです。そんな中『OUT IN JAPAN』というLGBTQの当事者を可視化して、もっと生きやすい世の中を作っていこうというプロジェクトと出会い、その発起人の方が楽曲をとても気に入ってくれて。テーマソングとして起用して頂き、世に出ることになりました。歌詞がカミングアウト同然の内容でしたが、「偽りなく、自分らしい歌を歌いたい」という気持ちで、同年「TOKYO RAINBOW PRIDE 2015」のステージでこの曲を歌い、初めて公に自分のセクシュアリティをオープンにしました。ありがたいことに、周囲の方たちには「もっと早く言えばよかったな」と思うくらい、温かい言葉をかけていただき、むしろ気にしているのは自分の方だったんだなって、その時初めて気がつきました。

デビューから20年、今後の音楽活動。

――自分らしく音楽活動を続けていく道を選んでから5年、そしてデビュー20周年という節目の年に自身初のクリスマスソング『思い出のクリスマス』を先月リリースしましたが、どのような想いが込められているのでしょうか?

2020年は残念ながら、多くの人にとって気が滅入ってしまうニュースばかりだったように思います。なので、せめてクリスマスシーズンぐらいは、一人でも多くの人が現実を忘れてロマンチックな気持ちで、穏やかに過ごせたらいいなと『想い出のクリスマス』を制作しました。この曲を聴きながら、大切な人に想いを馳せる時間を過ごしてもらえたら嬉しいです。

――歌詞を書きながら、かつてのクリスマスに起きた出来事などを思い出されたりしましたか?

歌詞にもある、少し背伸びして買ったプレゼントを持って、当時好きだった人に会いに行ったことはありましたね(笑)。それから昔、お付き合いしていた人がサンタの格好をして玄関前まで来たことがあって。嬉しいよりもびっくりの方が大きくて、第一声が「その格好で、電車乗ってきたの?」でした(笑)。実際はそうではなく、マンション内で着替えたらしいんですけど…。歌詞中の「まるでサンタみたいだった」というフレーズのインスピレーションは、その思い出から来てるかもしれないです。

それから、サンタって毎年プレゼントを抱えて、みんなを喜ばせに来てくれるじゃないですか。この曲の中で「クリスマスはきっと誰かの幸せを願う日」というフレーズがあるんですが、今年は私も含めて、自分のことで精一杯になってしまうことが多かったように感じていて。そんな中でも、ほんの少し、一瞬だけでも誰かの幸せを願うだけで、自分自身が救われることもあるなと思ったんです。ほら、プレゼントって貰うだけじゃなくて、あげる時のワクワク感なんかもあったりするじゃないですか?「これあげたら、どういう顔するかな?」とか。そういう感覚で、相手の幸せを想うだけで、自分自身の心が優しくなれるということもある気がするんです。この『想い出のクリスマス』がそんな風に想えるきっかけになってくれたらと願っています。

――デビュー20周年を迎えたばかりのタイミングですが、今後の活動について教えてください。

デビュー当時と同じように、先のことはあまり考えていないですね。というのも、今こうして誰も予期しなかった事態に直面していて、これから先のことは本当に分からない。だからこそ、今できることを積み重ねていくことしかないと思っています。5月から始めて、200回以上続けている『歌のレストラン』というライブ配信を毎日やっているのですが、これは来てくださる方のリクエストに応えて即興で歌うというもの。昨今、なかなかイベントやライブに行けないという方も多い中で、音楽で何か喜んでもらえることはできないかと思って始めました。来てくれる方々がチャットで交流したり、一つのコミュニティのようになっていて、皆様本当に毎回楽しみにしてくれているので、出来る限り続けていこうという気持ちでいます。

そんな風に、これから先も変わりゆく時代の中で、その瞬間、瞬間で、自分が音楽で世の中のために何が出来るかを考え続けていく。そして必要とされることで、自分が音楽家として生かされていく。そんな気持ちでいます。

■ 天道清貴
レコード会社へ送った一本のデモテープがきっかけとなり、高校3年生という若さでシングル『No No No』でメジャーデビュー。その翌年にリリースした『The Only One』が40万枚のスマッシュヒットを記録し、全国有線放送対象新人賞を受賞。全米最大のゴスペルフェスティバル「Mcdonald’s Gospelfest」2010度優勝。MISIAに「あなたにスマイル」を楽曲提供。今年デビュー20周年を迎え、11月には自身初となるクリスマスソング『想い出のクリスマス』をリリース。また自身のYouTubeチャンネルにて、視聴者からのリクエストを募り歌唱するオールリクエストライブ『歌のレストラン』を毎日20:00〜21:00で生配信中。
■ 天道清貴公式サイト
■ 公式Twitter@tendokiyotaka
■ 公式YouTube@天道清貴

■ 想い出のクリスマス/天道清貴 
2020年11月22日(日)配信リリース(サブスクリプション同時解禁)、2020年12月8日(火)~12月25日(金)で完全期間限定CD発売中/WE ARE ONE RECORDS

取材・インタビュー/芳賀たかし
撮影/EISUKE
記事制作/newTOKYO

【日常スナップログ】これが新しい銭湯様式。Barでビール、タトゥーOK、有名ブランドとのコラボ湯etc…温故知新・古今東西のカルチャー交差点「黄金湯」。#ずん君 #TOSHIKI君 #黄金湯

「今年の秋は暖かいねぇ」なんて話をしていたと思えば、あっという間に12月を迎え2020年も残りわずか。肌寒い日々が続き銭湯が恋しくなるこの季節、銭湯フリークがこぞって注目しているのが錦糸町で創業88年を迎え、今年8月にリニューアルオープンした『黄金湯(こがねゆ)』。 トラディショナルなイメージが強く残る銭湯業界の中で、クリエイティブディレクションにはアーティスト・高橋理子さん、建築設計には『BLU… もっと読む »

続きを読む >