日本でドラァグクイーン、エレクトラ・レーガンとして長らく活動後、帰国し、母国アメリカを拠点にアーティストとして活動しているアダム・クーリーさんと、京都にある真言宗智山派の総本山の寺院、智積院の僧侶で、書道家としても活動されている我妻瑩眞さんの二人展が2月9日(水)〜15日(火)まで、京都・大丸で開催されます。
互いに作家として“絵画”と“書”という“アート”で刺激しあってきた二人が、このコロナ禍で生み出す、そのユニークで挑発的な作品はリアルで見てこそ、五感を揺すぶります。
二人展開催のきっかけ。そして“愛”をテーマにした背景とは?
――今回二人展を提案されたのはアダムさんだそうですが、いきさつを教えてください。
アダム・クーリー(以下・アダム):私が日本に住んでいた間、毎年1度から2度、個展を開いてきました。2018年に大阪の阪急百貨店で行なった「愛の花」という個展に先立って、他のアーティストと一緒に展覧会をやりたいと考えるようになりました。そんな時に個展に足を運んでくれたのが瑩眞さんでした。
その時に彼と色々話しながら作品をスマホで見せてもらった時に一緒にやるときっと面白いんじゃないかなと思って、その場にいた私の作品を扱ってくれている美術商にアイディアを話してみました。すると“3年後にやりましょう”と話は決まったんですが、結局コロナ禍になってしまい延期、今年開催することになりました。
――瑩眞さんは、アダムさんに二人展を提案されていかがでしたか?
我妻瑩眞(以下・瑩眞):私は、アダム・クーリーさんというより、ドラァグクイーンのエレクトラ・レーガンさんの存在を先に認識してまして、彼が働いていた大阪・梅田にあるドラァグクイーン在籍のダイニングレストラン「do with cafe」やクラブイベントで一方的に見てたって感じでした。もちろんアーティストであることは知ってましたが、クイーンとは分けて活動をしてらっしゃると聞いていたので、直接お話をする機会というのはあまりなかったのです。先ほどレーガンさんも言ってた2018年に開催された個展に伺った時にちゃんとお話をさせていただいて、私の作品画像を見てもらったら、話が弾み、展覧会をしようということになりました。
その時に墨というインクの存在も知っていただき、興味を持ってくださって。それまでご自分が使っているのはアクリル絵の具がメインだったのでとても新鮮だったようです。
そして何より個人的に新しい何かが生まれる気がしましたし、既存の書展という概念から、蝉脱できるのではないかと思い、ぜひご一緒させていただきたいと願いました。
ーーアダムさんは瑩眞さんの「書」を見た時、どう感じられましたか?
アダム:私にとって書道は、文字をベースにしているということがまず、興味深かったんです。自分の感情で形を作り、描くことで表現する。しかも墨という黒一色のインクで……。とても魅力的でした。実際に書いてもらうと、筆遣いのスピードを変える彼の繊細かつ、その書の質感も気に入り、夢中になりました。だからこそ二人でやれば面白く素晴らしい展覧会になると思ったんです。
――お二方がそれぞれ、絵画や書を始めるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
瑩眞:出会いは16歳の頃。初めは左利きの私が僧侶になった時、筆を持てないと困ると思ったので。ただ、まだ寺の師僧から出家の許可をいただいてなかったのでフライングで始めました(笑)。
私が入った書の会は、半紙の稽古のほかに“少字数書”と“近代詩文書”という一文字や、普段、使っている言葉で自身の心を表現するという課題があり、それにのめり込んでいったのも書を始めたきっかけのひとつでした。
アダム:私はとても貧しい生まれだったんですね。もう想像の斜め行くくらいの貧乏でした。だって、私のベビーベッドなんてコーラ瓶を詰める木箱やドレッサーの引き出しでしたから……。そんな貧困の中で育ったということは、欲しいものがあれば自分で作らなければならないわけです。必然的にね。その延長線上にあったのが絵を描くことでした。
結果、私は12歳の時に最初の作品を売ることができました。ただ、もちろんお金を稼ぐことは必然でしたが、自分の手で作ったものが相手を幸せにできるということに気づき、作品への向かい方が変化していったように思います。そして高校生の時に初めて展覧会を開き、そこから本格的に美術の世界へ進み続けました。
――瑩眞さんはゲイであることをカミングアウトされているそうですが、覚悟が必要だったのではないでしょうか?
瑩眞:お釈迦様の教えからすれば、そんなことは成仏には些末な問題だと思っています。
ただ現実社会の中では、まだまだ奇異の目で見られますし、差別的なことを言われたことも多々ありますが、これが私自身の出家への動機にもなり、また作品制作の原動力にもなっていますので、欠かせない要素だと思っています。
だからこそ今日死んでも良いように、悔いなく生きて、そして書いていきたいですね。
――アダムさんはドラァグクイーン「エレクトラ・レーガン」として、帰国するまで日本で活動されていましたね。
アダム:私は22歳の時に初めて心臓発作を起こし日本で入院しました。医師の助けもあり、無事に蘇生させてくれたのですが、もしかしたら長生きできない可能性があると言われました。それから何事も生きることを無駄にしないことを心がけ、自分が恐れていたことを全てやることにしました。
ドラァグクイーンを始めたきっかけですが、アーティストとして、それまでもギャラリーや路上で日本の舞踏のようなパフォーマンスアートをたくさんしてたんです。それは私にとってとても刺激的でした。それが結果、長く生きられないかもと医師から言われたことで、パフォーマンスアートの延長線上でドラァグクイーンをやってみると決心したのです。始めた数十年前は、まだドラァグクイーンというものはタブー視というか、クローズな存在でしたが、大阪や京都でシモーヌ深雪、マダム・ココ、ナジャ・グランディーバ、ミーモ・ドルックス、ルル・デイジーなどのクイーンたちがクラブで盛り上げてくれていたので、良いタイミングにエレクトラ・レーガンをスタートできたと思います。
――そんなお二人の展覧会ですが「LOVE×愛」と言うタイトルがつけられていますね。
アダム:数年続いている世界的なパンデミックは、誰にも影響を与え、私たちを様々なものから遠ざけ、孤立させました。 そんな時は“愛”に集中するのが良いと思いました。
“愛”はとてもシンプルな単語で、多くの概念があります。特に 日本語の「愛」には、“好き”、“大好き”、“愛してる”など、さまざまな種類とレベルがあります。 英語では“愛”という言葉はひとつしかありません。
まったく異なる背景を持つ二人が、別々に作業をして生み出した作品の展示会を開くことは、孤立と苦難の時代に人々ができることについて、多くのことを語っていると思います。
最初は一緒に作業をする予定もあったのですが、コロナのため叶いませんでした。ですが、逆に別々に作業しながら“愛”という基本的なテーマをどう互いに解釈しているかを発展させる方が良いと思いました。それが今回のテーマに繋がっています。
瑩眞:僧侶として、仏教の言葉を筆と墨と紙を通じて表現したいですし、個人的には、観ていただく方にメッセージ性の強いものを書こうと日々思っていますが、今回はアダムさんより、仏教を全面に押さないで欲しいとのことでしたので、“愛”を自分なりに解釈し、もう一つの私の課題である、線の芸術を追求したものを見ていただきたいなと思っています。切れば鮮血のしたたるような書を生み出したいと……。
――今回の二人展を楽しみにしている、興味を持ってくださっている方にメッセージをお願いします。
アダム:先にも言いましたが、世界的なパンデミックは、誰にでも影響を及ぼしています。 愛する人々や愛することから私たちを切り離します。 それでも“愛”は不変です。この「LOVE×愛」にお越しになられる方は、私たちの作品を見た後、改めて“愛”について考える時間を持ってもらえたら良いなと思います。そして今、生きているすべての瞬間を楽しんでください。
瑩眞:会場では、まったく異質である“絵画”と“書”、そのギャップを楽しんでほしいですね。チラシにあります作品は、アメリカと日本で片方が絵画先行、もう一方は書先行で作り、互いに送り合って完成させたものです。このやり取りはとても刺激的で、ぜひリアルなコラボ作品を見てほしいですね。
アダム:京都大丸での二人展が終わると、大阪の大丸心斎橋のギャラリーでも「Garden」と言う個展も行いますのでそちらにもぜひ、私の世界観を感じていただけたらと思います。よろしくお願いします。
◆Adam Cooley × 我妻瑩眞 二人展/LOVE×愛
会期|2022年2月9日(水)~2月15日(火)10:00〜20:00 ※最終日は17:00閉場
会場|大丸京都店6F 美術画廊
https://www.daimaru.co.jp/kyoto/topics/art_information.html
◆アダム・クーリー作品展/Garden
会期|2月23日(水・祝)~3月1日(火)10:00〜20:00 ※最終日は16:00閉場
会場|大丸心斎橋店 本館8F Artglorieux
https://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/artglorieux
取材・インタビュー/仲谷暢之
記事制作/newTOKYO