関西を中心に活躍するドラァグクイーン、ナジャ・グランディーバさんによる初のエッセイ本『毎日ザレゴト 人と比べて生きるには人生は短すぎるのよ』が3月24日に発売。
毒舌を言わない“のんびりオネエ”と称され、関西の昼間、夕方の情報番組やラジオで独自のトーク力で異彩を放つナジャさん。著書には、そんな人柄や軽快でコミカルな話し口調でゲイとして生きる自分自身のことなどについても触れている。
——初のエッセイ本を読ませていただきましたが、前半のパーソナルな部分、そして後半の短いエッセイとそれぞれ味わい深い内容ですね。
ナジャ・グランディーバ(以下・ナジャ):ゆるいでしょう(笑)。ナジャ・グランディーバという人間がいかにダラダラと生きているかが書かれてます。一応、前半はいろんな方が読んででいただいてちょっとでも“そうなんだ”って、心に響くようなことが残れば。後半はゲイの子たちが“分かるわ〜”って共感してもらえることが書けたかなって思ってます。
でもね、期待して読んで欲しくはないんです。本にも書いてますけど私は6割のモチベーション、テンションで生きてきたんで、読む人も6割の気持ちで本と向き合ってもらえたらと(笑)。
——子どもの頃からのこと、自分がゲイであることやご家族についても知ることができますね。本では書き切れていないとこも興味あります、補足として何かあれば。
ナジャ:小さい頃から“オカマ”やって自覚してたし、周りもね、分かってたと思う。でもそれに対していじめられたってことないって書いたんですけど、今考えると体もごつかったし、背も後ろから2番目くらいで健康優良児やったせいがあったかも。大きいから怒らせたら怖いとかね。それに背の高い子ってヌボーってしてるでしょ(笑)、そんなんやったから。基本、のんびりした性格やったし、大して欲のない子で、そういうのっていじめがいがないというか。
で、普通に兵庫県の田舎で暮らす子どもとして17歳まで地元にいて、大学で大阪に来たんです。
——早い時期から自認されてたんですね。ちなみに初めてゲイバーに出たり活動するようになったきっかけなど教えてください。
ナジャ:あ、そういうことは本には書いてなかったですね。まだネットとかなかったからゲイ雑誌の文通欄で知り合った人に堂山へ連れて行ってもらったのが最初で、それが18歳のとき。一軒目行って、アルコールあかんからソフトドリンクで大人しく喋って。そこからもう一軒。デート相手が、知ってるスタッフがいるからって連れて行ってもらったのが、その後何年も働くことになったバーでした。
すごい覚えてるのは、店に入ったら先にいた客さんがどぎついオネエ言葉、大阪でいう“ホゲ”てはって、で、イスに座った途端に、それまで一切“ホゲ”てなかったし、一人称も“俺”って言うてたのに、すぐに“ホゲ”れたんです。しかもなんの躊躇もなく“私”って言うてた。その自分にびっくりしました。と同時に、こういう喋りをずっとしたかったんやろなって思いました(笑)。
——まさに覚醒しちゃったんですね(笑)。でも一緒に飲みに行った方もさすがに驚いてたのでは?
ナジャ:そら、驚いてたと思いますけど、正直、タイプではなかったんです。その人には悪いけど、デートしたいというよりゲイバーに行きたいから、連れて行ってくれる人を求めてた。だから後はその人のことをほったらかしにして、水を得た魚みたいに“ホゲ”てました(笑)。ついに店のママに「レギュラーのスタッフが休んでるから明日入ってくれへん?」って誘われてそのまま結局スタッフとなり、何年も働いたんです(笑)。
——なるほど。では、その後ナジャさんがドラァグクイーンになったいきさつはなんだったのでしょうか?
初めてショウに出たのは堂山にある「EXPLOSION」ってクラブ。あるイベントに女装して行ったら、ドラァグクイーンの大先輩、シモーヌ深雪さんに「ショウに出たら?」って勧められて、翌月には「RedHot」っていうイベントに出てましたね。そこからドラァグクイーンとしてちょこちょことショウに呼ばれるようになってたって感じです。
そう言えば、「なんばグランド花月」の通常プログラムに特別枠でシモーヌ深雪さん、ダイアナ・エクストラバガンザ、私の3人で出たことがあるんですけど、漫才師さんの出番の後に15分のリップシンクショウやったんです。舞台が終わって楽屋にいたら、支配人が飛んできて中止にしてくれと。
たまたま吉本興業のエライさんが見に来てて、「夜やったら分かるけど朝からあんなんやるな」って怒られたって言われて、一週間の出番が3日で終了しました。2001年の年末、しかも朝11時くらいの出番で、時代も時間も早すぎたんでしょうね(笑)。
——そんな早すぎた時代を経て、今は朝、昼、晩のテレビ番組やラジオに出られるようになりましたけど。
ナジャ:時代は変わったなぁとは思いますよ。ここ10年くらいですけどね。それまではテレビに呼ばれても芸人さんの罰ゲームでキスする要員とか基本、キワモノ扱いでしたから。それが今や仕事になるなんて!って思います。それまで好きなときに好きなようにメイクしてたのに、今はほぼ毎日メイクして、そのためにまだ生えきってない髭を剃って、深剃りしてしもて血を流して。鏡に映ったその顔を見て、私、ここまでして女装したかったっけて……自問自答するときありますもん(笑)。
——マツコ・デラックスさんや、ミッツ・マングローブさんたちはメイクが最初の頃と比べるとずいぶん薄くなってきてますが、ナジャさんは変わらないですよね(笑)。
ナジャ:それ、結構悩んだんですよ。このままのメイクで良いのかなって。
ある日、テレビに某ドラァグクイーンがショウタイムメイクで出てるのを見たとき、結構どぎつくて、いかにも男が化粧してますってのがすごい出てたんですよね。まぁそれが本来のドラァグクイーンやねんけども。でも、それを感じて、自分ももしかしてメイク間違ってるんかなって思いだして、一回、薄化粧にしてみたら見事にブスなわけ(笑)。これだったら、わざわざブスでテレビに出るより、いつものメイクで出るほうが良いかなと。
あと仕事でマツコに会うたときに、私のメイクについて思うところあったみたいで、「あんたのそのメイク、テレビで見たときにそんなに違和感ないから良いんじゃない」って言われて、じゃあこれで良いなって。で、マツコはコラムニスト、ミッツは女装家って肩書きを名乗ってますけど、私はドラァグクイーンで通してますから、メイクもクイーンベースで。私みたいなんがドラァグクイーンですって、テレビを見てくれてはる人が理解してくれたら良いし。
——本にはお父様がお亡くなりになったことも書かれていましたが、親のこと、健康のこと、どう思ってらっしゃいますか?
ナジャ:まぁそういう年齢になったってことですよね。母親は元気で暮らしてますし、実家の近所に妹が住んでて自分がいない分、助けてもらってますけど、問題は自分自身。
私は一人身やし、誰かと一緒に住んでるわけでもないから、例えばお風呂に入ってて石鹸で滑って頭打ってそのまま倒れてとか、そうなったらいつ発見されるか分からないじゃないですか。そういうことを考え始めると不安で不安で。
テレビやラジオでは、ネタみたいな感じで“彼氏ほし〜”とか言うてましたけど、昨年、コロナになって入院したときは、真剣に思いましたね。彼氏レベルじゃない、パートナーという存在が必要だと。ま、だからと言ってすぐにできるわけではないですけど、これはちょっと私自身の問題として真剣に考え続けたいと思ってますね。
あと、ゲイが集まって住むそんなに大きくないマンションがあればなぁって。もちろん共同生活ではなく階も違って、部屋はそれぞれ別々でね。それで朝か夜かに安否確認のラインしてね。
まぁ今日話したことは本には直接的には書いてないけれど、引っかかってもらえるようなキーワードはか書けてると思います。だから皆さんに読んでもらって、実際に会うなり、ラインしたり、オンラインしたりで6割の感じで話しのネタにしてもらえたら嬉しいなって思いますね。
■毎日ザレゴト
人と比べて生きるには人生短すぎるのよ
著者/ナジャ・グランディーバ
大和書房/税込1650円
www.daiwashobo.co.jp/book/b598908.html
■ナジャ・グランディーバ
兵庫県出身。大阪在住のドラァグクイーン。「ゴゴスマ」(CBC)、「よんチャンTV」(MBS)、「バラいろダンディ」(TOKYO MX)、「ナジャ・グランディーバのチマタのハテナ」(eo光)、「ウラのウラまで浦川です」(ABCラジオ)、「ナジャ・グランディーバのレツゴーフライデー」(MBSラジオ)などの番組にレギュラー出演する他、多数のメディアで活躍。
取材・インタビュー/仲谷暢之
画像提供/大和書房 書影撮影/EISUKE
記事掲載/newTOKYO