8/1(金)公開、女性同士の真実の愛を描いた映画『美しい夏』。「愛」と「自由」の物語を紡いだラウラ・ルケッティ監督へインタビュー

2025年8月1日(金)より公開される、2人の女性の愛と自由の物語『美しい夏』。本作は、20世紀イタリア文学の巨匠チェーザレ・パヴェーゼの小説『美しい夏』を、ラウラ・ルケッティ監督が映画化したものだ。

ルケッティ監督が「愛したい人を愛することこそ、私たちが持つ最大の自由」と語る『美しい夏』。2人の女性が紡ぐひとつの「夏」をどのように映し出したのか、監督本人にインタビューした。

ーー女性の視点から紡ぐ、偽りのない2人の愛の物語

ーー女性同士の関係性を描いた作品には、時に男性主体のステレオタイプや偏見に基づいた描写が見られることがあります。本作は、女性の視点によって2人の真実の関係性を丁寧に描き出していると感じました。

ありがとうございます。“female gaze(女性の視点)”が違いを生むのです。この作品は偽りのない物語なので、主人公のジーニアとアメーリアを描くうえで、取り繕う必要はありませんでした。なので、それが伝わったことが嬉しいです。

『美しい夏』との出会いは、たまたま図書館で見かけたことで始まりました。読んでみたら「ああ、これは美しい」と思いまして。まるで少女が書いたように感じるこの文章は、実際は男性が書いている。チェーザレ・パヴェーゼは天才的な作家です。

彼は結婚するような典型的な男性ではなかったし、彼にとって恋に落ちることは苦痛で危険なものでした。彼は結ばれることのなかった女性を愛し続け、41歳という若さで自殺したのです。なんというか、とても悲しく孤独な人生を送った人物でした。

ーーその後、どのように映画化が決まりましたか?

ある日、プロデューサーが私に「パヴェーゼの『美しい夏』を読んだことがある?」と尋ねてきたんです。私は「ええ、数ヶ月前に読み返しました」と答えると、彼は映画化の話を持ちかけてきました。まさか数ヶ月前に読んだ本の映画を作ることになるとは、とても偶然の出来事でした。

ーーどのようにして作品に落とし込もうとしましたか?

原作はとても素晴らしいのですが、正直、映画にすることは難しいと思いました。なぜなら、映画に必要なプロットがないからです。2人の女性の感情が中心となるこの作品には、展開がないのです。ですが、それから作品と向き合う中で、これは私の娘、祖母、母、私自身でもあり得る「1人の少女」の物語を語る機会になるのではないかと考えました。

どの国から来た少女でも、どの時代の少女でも、多くの少女たちが思春期を迎え、自身の身体性について考える瞬間が訪れる。そして、自身の身体をどう扱っていいか分からないけど、求められ見られ愛される。そんなことを望んでいます。

最初はこの映画に政治的なメッセージを込めようと考えたこともありましたが、ジーニアとアメーリアが一緒にいるページを読むたびに、「これはパヴェーゼが本当に書きたかったことだ」と思いました。それで、最終的には燃えるような2人の女性の物語を描くことに決めました。

ーー視覚的表現に込められた想い

ーー特に印象的なシーンはありますか?

私は映画の中で、フレームに収まりきらないジーニアの体を捉えるようにしました。例えば、彼女が自身を見る時、とても小さな鏡を使います。彼女がバスタブに入る時、バスタブは本当に小さくて、体が溢れ出ている。溢れ出る「何か」を描くことは、まさにこの物語のテーマであり、私が焦点を当てたかったことです。

ーーどのようにしてバスタブのシーンを使おうとインスピレーションを得たのでしょうか。

20年前からアメリカの写真家、リー・ミラーが好きで、今回のバスタブのシーンは彼女の写真を再現するような形で取り入れました。第二次世界大戦時の象徴的な写真として、浴槽に浸かるヒトラーが撮影されたものがあります。私はその写真をプロダクションデザイナーに見せて「このバスタブをつくってもらえませんか?」とお願いしました.。しかし、予算的に難しいと断られてしまって。

でも、ある日彼がきて「向こうの部屋に来てくれないか?」と言いました。それで行ってみると、そこにはバスタブがあったんです!「これはあなたへのプレゼントだよ」と言ってくれて、嬉しさのあまり泣きましたね。

ーーカラーパレットや景色など、視覚的な描写も印象的だと思いました。

脚本を書き始めるとき、既に私の頭の中にパレットの色彩があるんです。そこから脚本を書き始めて、セージグリーン、ペールブルー、黄土色、茶色が浮かんできました。そして、アメーリアは赤の一色。それがなぜなのか、理由は分かりません。ただ書き始めると、それが目に入るんです。

ーー女性同士の親密性を描く、「無音」のセックスシーンが意味すること

ーー他に意識して取り組んだことはありますか?

音響作業も大切です。音は映画を完全に異なるものにします。私がサウンド担当者(3人全員が男性)に映像を渡した時、彼らは森の音を加えてくれたのですが、全く別の作品になっていて。私は作品の中に出てくる男性の画家とのセックスシーンでは、全ての音を消すことにしました。なぜなら、それは好ましくないセックスをしている女性の「脳」の状態を表しているからです。

すると、サウンド担当の3人の男性は「これはおかしい。電気が消えて、音を失ったみたいだ」と言い、セックスシーンに金属的な「ウォン」という音を乗せることを提案してきたのです。そこで、私は女性として、なぜこのシーンを無音にしなければならないのか、彼らに説明することにしました。

ーー具体的にどのように説明しましたか?

多くの人が、女性の初めてのセックスは美しくロマンチックなものだといいます。ですが、現実はそうでないこともあり、痛みを感じ、意識をシャットオフしてしまうこともあるんです。つまり、音も感覚も遮断してしまうということ。それを聞いた3人の男性は、「ええっ、本当に?そんな風に考えたことなかったな」と驚いていました。

私は「だから言ったの。私は女性として女性のセックスシーンを撮影している。だから音を消したの」と続けると、彼らは「その通りだね。無音にしよう」と納得しました。私たちは考え方が違う。だから、ステップを踏むごとに新しい「何か」が見えてきます。良いメンバーと一緒に映画をつくりあげているので、このような驚きは必ずしも悪いものだとは思っていません。

ーー作中では女性同士の親密な関係性も描かれています。

本作品は愛の物語です。私は登場人物の物語を語るうえで、親密なシーンを描くことが好きです。ですが、単に体が動いているだけのセックスシーンは好みません。なんというか、「どんな映画にもセックスシーンが必要だ」といった考え方は退屈だと思ってしまいます。

だから、私がこれまで携わってきた映画には、全て“親密さ”を表す瞬間があります。単に親密さそのものを見せたいのではなく、キャラクターが探求した新たな「何か」を見せたいのです。私にとってセックスシーンとは、キャラクターが親密な状態にいる時に自身と向き合い、自身についてもっと知る機会となる、とてもデリケートなものだと考えています。

ーーデリケートであるとおっしゃいましたが、セックスシーンを撮影する時に気をつけていることはありますか?

周囲にスタッフがいない状態で撮影することが重要です。裸の状態で親密性を表すことは、その人の本当の姿であり、隠す場所がありません。デリケートなのはセックスなのではなく、その人物が無防備な状態であるからです。

特に女性の欲望を描いた映画で、タブー視されたものではなく、純粋な親密性を描かれたものはとても珍しいと感じています。それは女性を愛する女性だけでなく、男性を愛する女性に対しても同様です。だからこそ、多くの女性がこの映画を見て、何らかの形で自分自身と重ね合わせ、共感してくれてくれたら嬉しいですね。

ーー音楽に隠された「秘密の愛の言葉」

ーー女性同士の恋愛や関係性についての作品が男性的な視点で描かれることも多い印象があります。監督はそういった作品と差別化するためにどのような工夫をしたのでしょうか。

真のラブストーリーをつくることです。ジーニアとアメーリアの物語は、実は映画が終わるところから始まります。つまり、私たちが彼女たちを見なくなった瞬間に始まるのです。そうすることで、彼女たちのプライバシーを守りたかった。なので、「真の魔法は2人が結ばれたあとにこそ訪れる」という裏テーマも潜んでいるのかもしれません。私はそのような2人の愛の形にリスペクトを込めて制作に携わりました。

ーー2人の関係性の先はあえて描かないと。

2人の愛をかけがえのないものとして大切にしたいという思いがあるからです。なので、過去の作品でも同様の手法を用いてきました。今回、ダンスシーンにドイツ語の歌を選んだのも、そういった背景があります。それは、私たちの知らない「秘密の愛の言葉」のようなものとして機能し、まるでジーニアがアメーリアに語りかけているかのような歌詞でもあります。

ーー具体的にどのようなシーンで音楽がジーニアの気持ちを代弁していたのか、可能な範囲で教えていただけますか。

作中ではソフィー・ハンガーの『Walzer Für Niemand』という曲を流しました。音楽は静かに始まり徐々に盛り上がります。ジーニアが涙を流すシーンや、彼女の兄が登場するシーンでは、音楽がジーニアの感情の代弁者であるべきだと考え、音楽が最高潮に達するようにしました。

「君が行ってしまうと、全ての椅子は空っぽになる」「君が行ってしまうと、テーブルには食べ物がなくなる」といった歌詞があります。もしそれが英語、スペイン語、フランス語、イタリア語だったら、多くの人たちが理解してしまう可能性もあります。なので、ドイツ語圏の人たちだけが理解できるドイツ語を「秘密の愛の言語」として使うことにしました。

ーー「見る」「見られる」の関係性

ーー男女と女性同士の関係性の違いをどのように捉えていますか?

男女間の愛と女性間の愛を描くことに関して、違いがあるとは考えていません。私が作品を撮るうえで重視するのは、愛が存在する場所です。愛がある場所が分かれば、私はそこに最大限の想像力と努力を注ぎ込みます。

なので、私はジーニアが画家とセックスするシーンを撮りながら、「本当に彼が好きだと思うけれど、いや、そうではないかもしれない」と考えているのです。しかし、人生の本当の愛が現れると、カメラの中だけでなく、レンズや音楽など、全てが変化します。それが女性であろうと男性であろうと、私にとっては関係ありません。

ーー作中では、さまざまな”見る““見られる”の関係性が描かれていました。

ジーニアが何よりも強く願うのは、誰かに見てもらいたいということです。最初の頃は、彼女はその対象を男性に求めます。しかし、そこに違和感を覚え、最終的に同性のアメーリアにその想いを向けることで、より深い感情を抱いていくのです。

また、ジーニアが芸術の世界に足を踏み入れ、自身が描かれることに夢中になっているのは、「誰かに見られたい」という彼女の根源的な欲求だと考えています。これは、現代のソーシャルメディアで起きているんことと似ているでしょう。

「私の写真に何人が『いいね』をくれるだろう?」と、誰もが人生の中で、他者からの承認や肯定を得ようとする時期があるのは珍しくありません。現代で「Instagramで500いいねもらった!」と言うのと同じように、当時の人たちは「画家が私を見て、美しいと言ってくれた」と言っていました。これは、外側から見られることへの欲望なのです。

ーータイトルにもある「夏」は、2人が互いを愛し合うような、「自由」を連想させられました。監督にとって作中に表れる「夏」はどのような意味を持つと考えていますか?

もしこの映画を短く説明するとしたら、それは「自分が心から愛した人を愛する自由」です。葛藤の末、最終的に自分自身を見つけ出し、誰を愛するかを決める。それがこの映画の全てです。この映画の中に、少しでも自分自身や自分たちの青春を見出してくれれば、と願っています。

◆『美しい夏』 8月1日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
ストーリー/1938年、田舎からトリノに出て、お針子として洋裁店で働く16歳の少女ジーニアは、3つ年上の美しく自由なアメーリアと出会う。画家のモデルとして生計を立てる彼女によって芸術家たちが集う新たな世界への扉を開かれ、ジーニアは大人の階段を上り始める。思春期真っただ中のジーニアと、既に自立した女性としてたくましく生きるアメーリアの2人が、互いの姿に自分の未来/過去を映しながら、徐々に惹かれ合っていくーー。

監督・脚本:ラウラ・ルケッティ 出演:イーレ・ヴィアネッロ、ディーヴァ・カッセル 原作:『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ作 河島英昭訳(岩波書店)  2023/イタリア/イタリア語・フランス語/111分/カラー/2.39:1/5.1 原題:La Bella Estate 英題:The Beautiful Summer 字幕:増子操 字幕監修:関口英子 提供:日本イタリア映画社 配給:ミモザフィルムズ 後援:イタリア大使館 特別協力:イタリア文化会館 ©2023 Kino Produzioni, 9.99 Films

取材・文/Honoka Yamasaki
記事制作/newTOKYO

残高2000円、2度のガンを乗り越えて。福岡市の撮影スタジオ「STUDIO FICTION」代表のゲイカップル、努さんとMOUさんが結婚式を挙げるまで

2025年6月1日、福岡県福岡市でフォトスタジオ「STUDIO FICTION」を運営する吉田努さんとMOUさんが、スタジオのオープン3周年も兼ねた結婚式「ボーダーレスウェディングパーティ」を挙げた。会場となったカフェ「YAMAYA 3 TERRACE」には約180名が参列し、盛大に2人を祝福した。 吉田さんはヘアメイクアーティストとして芸能や広告、ファッション業界で活躍、MOUさんは編集者やウェ… もっと読む »

続きを読む >