
ブルックリンの都市と州北部アップステートの森を舞台に、日常と記憶、幻想が交錯する詩的な映像世界。遊び心に満ちた刺繍アートに導かれ、バス・ドゥヴォスの静けさとアラン・ギロディの官能、エリック・ロメールの親密さが溶け合う、夏の夜を漂う――
第78回カンヌ国際映画祭ACID部門に出品され話題を呼んだ映画『ドランクヌードル』が、日本公開を迎える。監督は、アルゼンチン出身でニューヨークを拠点に活動する映画作家ルシオ・カストロ。長編デビュー作『世紀の終わり』が“21世紀のベスト・クィア映画のひとつ”と評価されるなど、現代クィア映画の重要な作家として注目を集めてきた人物だ。
本作の舞台は、ニューヨーク・ブルックリンの街とアップステート州北部の森。
美大生の青年アドナンは、夏のあいだ叔父の家で留守番をするためにブルックリンへやって来る。同時にギャラリーでインターンを始めるが、 そこで展示されているのは、去年の夏、彼が出会った奇抜な刺繍アーティストの作品だった。やがて過去と現在、現実と記憶がゆるやかに重なり、彼の日常の輪郭は次第に揺らいでいく。


本作の特徴は、いわゆる「カミングアウト」や社会的葛藤を中心に据えたドラマではない点にある。
出会い、身体、言葉、創作……。そうした関係のなかで生まれる欲望や孤独を、静かな映像と時間の流れのなかで描いていく。
アドナンが出会う他者との距離感や、ふと立ち上がる過去の断片は、直線的な物語として整理されることはない。現在の時間ににじむように差し込まれ、観客は“物語を追う”というより、彼の体感に近いリズムで出来事の重なりを受け取ることになる。
映画の着想源となったのは、性的モチーフを大胆に取り入れた刺繍作品で知られるアーティスト、サル・サランドラの作品。手仕事の繊細さと官能が同居するその感覚は、映像の空気にも影を落とし、作品全体に親密さと不穏さの両方をもたらしている。


『ドランクヌードル』が映し出すのは、派手な事件ではなく、関係がほどけたり結び直されたりする瞬間だ。誰かと過ごした時間が“終わったはずなのに終わっていない”ように感じられたり、過去の出会いが別の場所で形を変えて立ち上がったりする。そうした反復とズレが積み重なることで、アドナンの夏は、ひとつの出来事というより、後から意味を変えていく記憶として残っていく。
恋愛とも友情とも言い切れない関係、欲望と孤独の揺れ、創作に向かう集中と気の散り方――。
本作は「何かが始まる」物語というより、いくつもの出会いの手触りを時間の中で反芻していく映画だ。観終わったあとも、断片がふいに戻ってくるような余韻がある。
■映画: ドランクヌードル
2026年5月1日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
https://mimosafilms.com/drunkennoodles/
配給・素材提供/ミモザフィルム
© 2025 Lucio Castro Inc.
記事制作/newTOKYO









