【第6回/ゲイカルチャーの未来】90年代に影響を与えたゲイカルチャーの元祖インフルエンサー/伏見憲明インタビュー

昭和から平成、そして令和にかけて50年近く、ゲイメディアの主流として様々な情報や出会いを発信し続けてきた商業ゲイ雑誌。昨年1月末に不動の人気を博した『バディ』が休刊し、今年4月には最後の砦であった『サムソン』も休刊。日本の商業ゲイ雑誌の歴史に幕を下ろした。

時代を遡ること26年前、バディが創刊された頃はまだ、一般のゲイ読者が雑誌に顔出しで登場する時代ではなく、当事者たちにとってもゲイコミュニティはミステリアスで、知らないことだらけだった。そして、現在はインターネットが主流となりカミングアウトする人が増え、SNSや動画配信でもゲイ個人が自分の個性を活かして大きな影響を生み出している。

「ゲイメディア」=「ゲイ雑誌」という単純で分かりやすかった時代が終わり、商業ベースのマスメディアから、個人が情報を発信するインフルエンサーへと時代が移り行く過渡期の今、伝説的ゲイ雑誌を創った4人が語るこれからを担うゲイに託す未来への希望。そして、日本のLGBT文化を支え続ける7人の瞳に映るゲイカルチャーの未来を届ける全11回のインタビュー特集をお届け。

別冊宝島ゲイの贈り物を刊行した伏見憲明

第6回目となる今回は、90年代ゲイブームと同時期に作家デビュー。1992年、その後のゲイカルチャーの発展に大きな影響を与えた編著『別冊宝島ゲイの贈り物』を刊行。L&Gの地方イベントの先駆け、ゲイプライドへの史上初の母子参加など、常に時代を先行く革新的な行動でインパクトを与え続けてきた伏見憲明氏が語る、変わり続けるゲイカルチャーへの想いをお届け。

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──30年前に巻き起こった90年代ゲイブーム。

僕がゲイをカミングアウトして執筆活動を始めたのは1990年くらいでした…って随分前ですよね。30年くらい前?平成になったのが確か1989年だよね(笑)。僕が処女作『プライベート・ゲイ・ライフ』を上梓したのが1991年で、90年代ゲイブームのタイミングが重なっていたので、その流れで、雑誌やテレビの企画に参加したりする機会が増えたんですね。
当時はまだインターネットがなかった時代で、ゲイの情報を得る手段がゲイ雑誌くらいしかなかったので、自己肯定の言葉を求めていたゲイにとって、一般メディアを巻き込んだブームはとても斬新だったと思います。あれもひとつのムーブメントだったと思う。

──インターネットの時代で広がるゲイとしての偏差。

90年代はゲイの総合メディアはゲイ雑誌だけだったので、年齢や地域に関係なく、みんながだいたい同じ情報を共有していたけど、現在はインターネットの時代だから、それぞれがどの情報にアクセスしているのかでゲイとしての偏差が広がり、意識も違ってきていると思う。必ずしもゲイを隠し続けてきたのが40代以上で、ゲイをあまり隠さないイマドキの20代だからムーブメントに関心が薄い、なんていう単純な世代の線引きができるわけではなかったりするしね。

メディアなどで「LGBT」が喧伝されている割に、とくにゲイがムーブメントに盛り上がっているように見えないのは、心の痛みが多様化しているからなのかなぁ、と。同性愛者であることで傷ついてきて、ムーブメントの言葉で自己肯定できました、というような古式ゆかしいタイプはどの世代にもいるけれど、若い世代は同性愛の問題よりも、モテ非モテとか、イケメンとかブスとか、社会的地位が高いとか低いとか、周りに比べてお金があるなしなんていう極めて個人的な問題、マウンティング格差で傷ついているというか。個人の価値観をベースとした悩みの方が大きいというのは、ある意味、平等な世の中に一歩近づいたとも言えるけど、裏を返せばもはやゲイという共通点だけでは繋がれないということでもある。

プライベート・ゲイ・ライフを刊行した伏見憲明

──若い世代と年寄りが共存していくメリット。

ゲイも人生を50年も経験していると性愛絡みの経験は散々やらかしてきたから、もはやシモのことはやり尽くした感があって。僕の場合、自分が親側になる「親子関係」という経験はしてなかったので、若い子と性愛ではない関係を築きたいという欲望が芽生えるようになりました。でも養子を迎える財力も気力も体力もないから、店に若い子を雇ったり面倒を見ることで、親気分を味わう人間関係プロジェクトを実行中なんです。実際の親より無責任な立場でいられることを考えると、むしろ おばあちゃん?(笑)

うちのバーに、『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』という絵本を上梓した、こうきというスタッフがいるんです。彼は過去に壮絶な経験をしてきた「ちょっと普通ではない」子で、彼の人生にどこまでプラスになるかは分からないけど、僕に手助けできることはしてあげたいな、と中村うさぎさんにも頼んで絵本が完成しました。ここまでするとデキてるんじゃないの?と勘ぐる人も出てはくるけど(笑)、それじゃありがちな話しで面白くないでしょ。むしろ関係が性愛が介在しないから面白い。子供を育てるには養育費や学費もかかるし、いずれは老後の面倒は見てもらえるかもしれないけどリターンを期待する関係じゃない。そういう意味では親の愛情というのは子供への片思いじゃないですか。彼とはあくまでも仕事の関係ではあるんだけど、「親の片思いを楽しませてもらっている」という感じです。

若い世代と距離を置いて、40代、50代と年を重ねていくと「芸能人の区別がつかない」「最近の音楽が全部同じに聴こえる」など、感性がどんどん不感症になっていってしまう。だいぶ前の話なんだけど、僕はずっとビヨンセの良さが全然理解できなかったんです。それが若い子たちと交流していたらある時突然「これがイキどころか!」って理解できて。今の世代の彼らにはモスキート音じゃないけど、僕には見えないものが見えているので、上手く付き合えれば得るものがとても大きいんです。
そんな僕らも若い頃は目上の存在を「年寄り」と一括りにしてウザいと思っていた。中年以上は説教したりうんちくを垂れたり面倒くさいだけだった。だから老け専でもない限り、若い人と年寄りに接点もなくて。でも実は彼らは、衰え行く自分の不安をごまかすために説教していたんだよね。それは自分の存在不安ってやつでね、今はその気持ちが僕にはよく分かる。

──ゲイ同士が繋がりにくい個人戦の時代だから。

今の若い世代にとって、ゲイであることは悩みの全てではなくて「一部」でしかない。今の世代は「ゲイとしての居場所が欲しい」ではなく、悩みも出会いも「個人戦」。スマホやゲイアプリがあればゲイライフが満たされるから、新宿二丁目やゲイプライドにもあまり興味がない。

ゲイが当たり前になれば「ゲイ同士」ではなく「ただの人同士」になるだけなので、あえて繋がる理由がなくなる。そうなれば、これまでよりももっと、ゲイバーとかゲイカルチャーなんてものは流行らなくなっていくと思うんです。90年代に「ゲイは普通なんだ」って訴えてきた僕らは、「ゲイが当たり前の世の中になる」=「ゲイコミュニティが不要になる」とは思っていなかったと思う。でも現実には「自宅に持ち帰れるゲイコミュニティ」だったゲイ雑誌は時代の流れで姿を消すことになったし、確実に変化してきている。その流れに無理に逆らうのではなく受け入れて、若者と年寄りの関係ではないけれど、これまでになかった新しい関係性を築き上げていくしかないのだと思います。
とりあえず僕は、若い子に嫌われない可愛い婆さんを目指します!

■ 伏見憲明/ふしみのりあき
作家・小説家。1991年に著書『プライベート・ゲイ・ライフ』でゲイをカミングアウトし、以降、数多くの著書を発表。2003年には初の本格小説『魔女の息子』で第40回文藝賞を受賞。その他、『欲望問題』『新宿二丁目』など著書多数。作家業の他に現在、新宿二丁目でゲイバー『A Day In The Life』を経営。
■ noto:伏見憲明
■ Twitter@noriakifushimi

取材・インタビュー/みさおはるき
編集/村上ひろし
写真/EISUKE
記事制作/newTOKYO

※このインタビューは、月刊バディ2019年3月号(2019年1月21日発行)に掲載された「ゲイカルチャーの未来へ/FUTURE:From GAY CULTURE」を再編集してお届けしております。