【第8回/ゲイカルチャーの未来】同性愛がタブーだった70年代にラジオで活躍した造形アーティスト/大塚隆史インタビュー

昭和から平成、そして令和にかけて50年近く、ゲイメディアの主流として様々な情報や出会いを発信し続けてきた商業ゲイ雑誌。昨年1月末に不動の人気を博した『バディ』が休刊し、今年4月には最後の砦であった『サムソン』も休刊。日本の商業ゲイ雑誌の歴史に幕を下ろした。

時代を遡ること26年前、バディが創刊された頃はまだ、一般のゲイ読者が雑誌に顔出しで登場する時代ではなく、当事者たちにとってもゲイコミュニティはミステリアスで、知らないことだらけだった。そして、現在はインターネットが主流となりカミングアウトする人が増え、SNSや動画配信でもゲイ個人が自分の個性を活かして大きな影響を生み出している。

「ゲイメディア」=「ゲイ雑誌」という単純で分かりやすかった時代が終わり、商業ベースのマスメディアから、個人が情報を発信するインフルエンサーへと時代が移り行く過渡期の今、伝説的ゲイ雑誌を創った4人が語るこれからを担うゲイに託す未来への希望。そして、日本のLGBT文化を支え続ける7人の瞳に映るゲイカルチャーの未来を届ける全11回のインタビュー特集をお届け。

ゲイをカミングアウトしたラジオパーソナリティの大塚隆史

第8回目となる今回は、
ゲイメディアの主流が雑誌だった70年代、ラジオ番組で日本中のゲイにメッセージを発信していた大塚隆史さん。当時のラジオパーソナリティは今で例えるならユーチューバーのような職業。海外から「ゲイ・リブ」「カミングアウト」という言葉を輸入し、90年代のゲイブームに大きく貢献した賢人が、新たに取り組み始めた表現のカタチを伺った。

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──「カミングアウト」を日本に紹介した理由。同性愛者として生きるための必要不可欠なもの。

僕が同性愛者を公言してメディアで活動を始めたのは1978年頃で、まだアメリカでもカミングアウトという言葉が一般的ではなかったくらい大昔のお話なんです。僕がファッション情報雑誌『ポパイ』で「シスターボーイの千夜一夜物語」というコラムを連載していたのを音楽プロデューサーの桑原茂一さんが見てくれていて、ラジオ番組『スネークマンショー』に誘ってくださったんです。当時の同性愛者は社会的に「欠陥人間」「気持ち悪い生き物」という扱いをされていたので、みんな秘密にして暮らしてるのが普通だったんですが、『スネークマンショー』は社会現象になるほどのモンスター番組だったので、全国のたくさんのクローゼットな同性愛者の方にも聴いてもらっていたと思います。

その頃は、昼間は異性愛者のふりをして社会に溶け込んでいる同性愛者が、夜になると下半身の欲望を満たすために新宿二丁目のような夜の街に出てきて、昼と夜の2つの顔を使い分けるのが当たり前でした。今でも笑い話のようにネタにするんだけど、当時の新宿二丁目は、誰と誰が寝たかを翌日にはみんなが知っているのに、その人の昼の顔は誰も知らない街だったんです。

すでに70年代前半には『薔薇族』をはじめ何冊かの商業ゲイ雑誌はあったんだけど、当時はゲイとかレズビアンなんて言葉は日本では一般的ではなかった。僕が「coming out」という言葉を知ったのは偶然で、アメリカのゲイ・リブに触れる機会があったから。それ以降、物を書く時に「カミングアウト」とカタカナにして使うようになったんです。

カミングアウトって、今では当たり前に使われている言葉だけど、当時はゲイ・リブの中心に据えられているくらい重要なコンセプトだったんですよ。「誰かに自分のセクシュアリティを話す」ではなくて、①目を逸らして受け入れられなかった自分のセクシュアリティを受け入れる→②自分自身が受け入れたから人に話す→③人に話せると自信もついてさらにもっと多くの人にも伝える→④最終的に社会的にカミングアウトできるようになる、っていう一連の長い流れを指していたんです。だから同性愛者として生きるにはカミングアウトは絶対必要だと思ったんです。

──生活の基盤に深く結びついている大切なもの。ゲイとしてアートを表現するための宿題とは?

1975年にアメリカでファイバーアートに出会ったのがきっかけで、帰国してから創作活動をするようになりました。日本にはゲイ雑誌を土壌にしたエロティカ系のゲイアート作品はあったけど、その次の段階の、例えば「男同士で暮らしていることの日常」をテーマにした作品の発表の場がなかった。

そこで、1982年に「ゲイがゲイに向けて発信するアートを展示できる場所が欲しい」と思って、ギャラリーバーの『タックスノット』をオープンしたんです。僕のギャラリーに初めて作品を飾る人には「自分のセクシュアリティをもう一回考え直してから表現してみてください」って宿題を出しているんです。

日頃はセクシュアリティを表現しないゲイ作家さんたちに聞いてみると「色眼鏡で見られるから」って答える方が多いんです。その気持ちは分かるんだけど、「私のアートには性的なものは存在させません」みたいな顔をしているのはウソだと思うんです。ガラスの器の水にインクをぽとんって落とすと、それだけを取り出すことはもうできない。同じように、セクシュアリティって誰でも生活の基盤に深く結びついている大切なもので切り離せしたり取り出せるものじゃないわけだから。

もちろん、セクシュアリティを表現するだけがゲイアートじゃないけど、それでも一応僕は宿題は出します。自分のセクシュアリティに向き合った結果表現しないことを選択するのであれば良いと思うんです。一度ね、抽象的なガラス作品を展示したことがあったんだけど、作家さんなりに考えたんでしょうね。作品そのものではなくて台座にフェミニンな金具が取りつけられていました(笑)。それはそれで面白いでしょ。

──オリジナルじゃなくても自己表現はできる。まずは自分を知ることから始めよう。

昔は情報が少ないから「こんなアイデアを思いついた自分ってなんてユニーク!」って勘違いができた。でも今は検索するとすぐにピンタレストに同じアイデアを形にしたものが出てきたりして(笑)。今の世の中、インターネットで世界が広がった分、表現や手法としてのオリジナリティは成立しにくくなってきているとは思う。でも、どんなによく似た顔の人がいたとしても、自分自身は世界でたったひとつのオリジナルじゃない?
その自分の中から出てくるものを信じて作ったものは、やっぱりオリジナルなんだよね。そうやって、あえて勘違いすることで表現を続けることも必要だと思う。アートって突き詰めれば自己表現だからクオリティなんて二の次で面白いと思ったら試せば良いし続けることが大事だよね。

インドの古典音楽って歴史が長いから「すべての創作はし尽くされた」というのが前提でオリジナリティという発想がなく、「ラーガ」って言うらしいんだけど、奏者がその時の気分で古典作品をアレンジ演奏する文化なんだって。即興演奏で二度と同じ演奏が聴けないジャズにも通じる表現方法。つまりゼロから生み出すものだけがオリジナルではないってことなんだよね。

僕もユーチューバーデビューしているの(笑)。そこで公開する自分たちが主演の映像作品を作ってるんだけど、古希のゲイカップルドラマなんて誰も撮ろうと思わないし見たこともないじゃない? まだこの世にないものはたくさんあるんだよ。いざ制作始めたらセリフを覚えるのが年齢的に大変。じゃあ声を吹き込んでからそれに合わせて映像を撮ればセリフを覚えなくて良いよね!ってやってみたら今度は口パクが予想以上に大変だったの。そこでボラギノールのCMを思い出して映像も静止画になって(笑)。
結果的に一周巡って実写版の紙芝居なんだけど、これなら歳を取っても遊べるし、楽しんで作っている僕らそのものも含めた表現になっている。ぜひ『トモちゃんとマサさん』で検索して見てみて!

これからいろんなことを表現しようと思っている方は、まず、自分を信じることから始めて欲しいな、と思います。

■ 大塚隆史/おおつかたかし
造形アーティスト、作家。1970年代、一世風靡したラジオ番組『スネークマンショー』に参加しゲイのポジティヴな生き方を発信。1982年新宿三丁目にオープンしたギャラリー兼ゲイバー『タックスノット』にて現在もアーティストをサポートし続けている。
■ 大塚隆史のサイト・タコ
■ Twitter@taqotsuka
■ YouTube@taqotsuka

取材・インタビュー/みさおはるき
編集/村上ひろし
写真/EISUKE
記事制作/newTOKYO

※このインタビューは、月刊バディ2019年3月号(2019年1月21日発行)に掲載された「ゲイカルチャーの未来へ/FUTURE:From GAY CULTURE」を再編集してお届けしております。