ゲイコミュニティの人々が差別や偏見を乗り越えて獲得してきたものとは? 舞台「インヘリタンス-継承-」を観ての“共感と継承について” by エスムラルダ

アタシが舞台『インヘリタンス-継承-』の存在を知ったのは、昨年末のこと。毎年12月に芝居の稽古で使っている施設に、チラシが置いてあったのよ。イケメン俳優たちが身を寄せ合ってピラミッドのような形を作っているメインビジュアルと、宣伝文句の「現代のNYのゲイコミュニティを舞台に前後篇6時間半で綴る愛と自由の叙事詩」というフレーズに心惹かれ、「この舞台、絶対に観たい!」と思ったわ。

6時間半の超大作で(とはいえ、内容がとても面白かったので、そんなに長くは感じなかったけど)、HIV/AIDS、ゲイコミュニティと政治、ゲイカルチャー、世代間・人種間の分断や経済的格差など、幅広い論点を含んでいる作品なので、レビューを書くにしても、何から語ればいいのか途方に暮れちまうんだけど……。とりあえずあらすじを紹介した上で、思ったことを片っ端から書いていくわね。

ーー舞台『インヘリタンス-継承-』前篇・後篇のあらすじ

<前篇>
舞台は、小説『モーリス』『ハワーズ・エンド』の作者であるE.M.フォスターとおぼしき人物(モーガン)と、作家を目指すゲイの青年たちが、小説の構想を話しているところから始まる。小説の主人公的な存在は、エリックという、心優しいけれどどこか自分に自信を持てずにいるゲイの青年。エリックには、両親との関係にトラウマを抱える小説家の恋人・トビーがいる。やがて、過去を美化して書いたトビーの自伝的小説がヒットし舞台化されるが、その主役に抜擢された美青年・アダムにトビーが惹かれ、エリックとトビーの関係は破局を迎える。しかし結局、トビーはアダムにふられ、アダムにそっくりな男娼・レオを恋人にする。トビーは不幸な生い立ちのレオを家に住まわせ、本を買い与える。

一方、エリックの心の拠り所となったのは、年上のゲイの友人・ウォルター。ウォルターはエリックに、「田舎の家」でHIVに感染した友人を看取った時の話をする。ウォルターが病気で亡くなった後、エリックは、ウォルターの長年のパートナーである60代の不動産王・ヘンリーと少しずつ心を通わせるようになる。

<後篇>
エリックとヘンリーの結婚が決まる。しかし、エリックの友人たちは民主党支持者で、人種も職業も多様なオープンリーゲイ。ヘンリーは共和党員で、白人で、ビジネスにおける成功者で、自分のセクシュアリティを公にせずに生きてきた既婚者ゲイ。両者はぶつかり合い激論を交わす。
トビーの舞台はブロードウェイで上演されることになるが、アダムと衝突したトビーは舞台の稽古場から閉め出され、さらにブロードウェイでの上演初日に「自分が書いたものは嘘だらけだ」という思いに苛まれ、劇場から逃げ出す。エリックから結婚の報告を受けたトビーはエリックに悪態をつき、逆にエリックから「君は君の両親と同じように一人で死んでいくんだ」と厳しい言葉を投げつけられる。

エリックとヘンリーの結婚式当日。トビーがレオを伴って現れるが、トビーは式をぶち壊して失踪。また、ヘンリーが実はレオの客だったことがわかり、ヘンリーとセックスレスな関係だったエリックは複雑な気持ちになる。その後、トビーに捨てられ、HIVに感染し、瀕死の状態で行き場をなくしていたレオをアダムとエリックが救う。レオの世話をすることをヘンリーから拒否されたエリックは、レオを「田舎の家」に連れて行く。そこには、ゲイの息子をAIDSで亡くした女性・マーガレットがいた。彼女から、その家で起こったことを聞き、ウォルターの遺志を継ぐ決心をするエリック。トビーは事故死し、「田舎の家」でエリックやマーガレットの手厚い看護を受け、回復したレオは、彼らの物語を書き残していく。

ーーゲイ当事者の作品だけあって、登場人物のリアリティがすごい

本作の作者は、アメリカ大統領の息子とイギリス王室の王子が恋に落ちるロマンチック・コメディ映画『赤と白とロイヤルブルー』の監督も務めた、ゲイ当事者のマシュー・ロペス。なので、登場人物のキャラクターや描かれている内容のリアリティがすごかったわ。魅力的だけど破滅的で、クズで身勝手なことこの上ないトビーとか、一見いい子っぽいけど闇が深くてあざといアダムとか、パートナーとセックスの相手を切り分けているヘンリーとか、観ながら心の中で「いるいる!こういう男いる!」と何度もヘッドバンギング。

そして、その登場人物たちを演じた役者さんたちもすごい。とにかくセリフ量は膨大だし、ゲイ当事者でなければなかなか理解しづらいであろう情報や感情もてんこ盛りなのに、よく覚え、咀嚼できたなあ……と感心。みなさん素晴らしかったけど、アタシ的には、エリック役の福士誠治くん、色気がすごかったトビー役の田中俊介くん、アダムとレオ、二役の演じ分けが見事だった新原泰佑くん、やはりモーガンとウォルターの二役を演じ、セリフの説得力がハンパなかった篠井英介さんが、特に印象に残ったわ。

あと、これまで『真夜中のパーティー』や『エンジェルス・イン・アメリカ』、ミュージカル『RENT』など、1960年代から90年代くらいまでの、ニューヨークのゲイたちを描いた舞台作品をいくつか観てきたけど、本作で主に描かれるのは、2016年のアメリカ合衆国大統領選前後の、ニューヨークに住むゲイたちの人間模様。「今」のゲイたちの状況やHIV/AIDSを取り巻く状況の変化をあらためて感じると同時に、どれほど社会状況が変わり、HIV/AIDSの治療法が進化しても、誰もが容易に自己受容できるわけではなく、最新の治療法にアクセスできるわけでもないという現実をも再認識したわ……。

ーーアメリカの物語だけど、共感できる部分もたくさん

なお、アメリカと日本とでは、文化も国民性も、ゲイのおかれている環境も微妙に異なるものの、共通性を感じる部分もたくさん。例えば、「ゲイコミュニティとかゲイカルチャー、キャムプ(大げさなふるまいや過度に装飾の多いファッションなど、誇張されたもの、わざとらしいもの、悪趣味なもの、不真面目さに価値を見出す美学であり、ゲイが伝統的にとってきた対社会戦略)といったものが失われつつある」というくだりには、「アメリカも日本も変わらないんだなあ」と改めて思ったわ。その背景には、「ネットが普及し、容易に情報や出会いが手に入るようになったこと」「社会の理解が進み『キャムプ』という武器を使わなくても自分らしく生きられるゲイが増えたこと」などがあり、決して悪いことではないんだけど、ゲイバーやゲイ雑誌などによって、オネエ言葉とか、ゲイの好きな昔の音楽や映画などの情報が継承され、共有されていた時代を知っているアタシとしては、ちょっぴり「淋しいな」と感じることもあるのよね。

また、エリックの友人たちとヘンリーの対立には、近年、SNSなどでしばしば目にする「保守寄りのゲイ」と「リベラル寄りのゲイ」の対立と近いものを感じたわ。ちなみに、エリックの友人たちの言い分にも、ヘンリーの「君たちが救われるべきだと言っている社会的弱者の中には、セクシュアルマイノリティを差別する人たちも含まれているのか?」といった言葉にも「たしかにそうよね……」と思ってしまうアタシは、「(考え方が違う人同士の中にも)一つでもリンクを見つけたい」というエリック的な人間。社会のさまざまな問題を前向きに解決していくためには、いたずらに分断され対立し、自分が正義だと盲信し相手を悪魔化して争い合うのではなく、互いの意見のうち聞くべきものはきちんと聞き、歩み寄る姿勢が大事だと思うのよ……。ハッ。そういえば、ついクズ男に惹かれてしまうところとかも、ちょっとエリックに似てる!

そして本作には、珠玉のセリフがたくさん。モーガンが口にする「恋をするのは、傷つくことに予約をするようなものよ」というセリフには、やはり心の中で百万回ぐらいヘッドバンギング。傷つくことを避けて恋愛から遠ざかり、最近ではもっぱら猫(動物の)ばかりかわいがっているアタシだけど、もう一度くらい恋したい……。

ーー“継承”されることの意味とは?

本作に、なぜ『インヘリタンス-継承-』というタイトルがついているのか。
もちろん本作の中で、世代を超えて、ゲイたちの物語が、「田舎の家」が、HIV/AIDSが、知性や「愛」が継承されていくためでもあるけど、この作品を通して、ゲイの歴史や文化が継承されていってほしいという、作者の願いが込められているような気もするわ。

なお、本作のラストシーンは、トビーを演じていた青年が小さな木を手に現れ、土だけでは自立できないその木の根をたくさんの本で支えるというもの。それをアタシは、個人が、コミュニティが、社会が健全に育っていくためには、愛と共に、知性や文化、物語が必要であり、それらが継承されていかなければならないというメッセージだと受け取ったんだけど、どうやらそのシーンは日本オリジナルの演出らしいの。

人種の違いが日本人キャストではわかりづらいとか、課題はいくつかあるかもしれないけど、劇中の映像で投影される、HIV/AIDSで亡くなったゲイの著名人の名前の中に「古橋悌二」「長谷川博史」「熊谷登喜夫」の名前が入っていたことも含め、作者の思いは海を越えて、日本のクリエイティブチームにも継承されていると感じたわ。

ーー「自分には子どもがいないから、次の世代に何かを遺したい」。これまで何人かのゲイの先輩方が、こうした言葉を口にするのを聞いたアタシ。
舞台『インヘリタンス-継承-』を観て、「自分も何か、次の世代に(できるだけ良いもの)を遺せるような生き方をしたい」とあらためて思ったわ……。

■インヘリタンス-継承-
https://www.inheritance-stage.jp

文/エスムラルダ
素材提供/東京芸術劇場(撮影/引地信彦)
記事制作/newTOKYO