メイクをし、ハイヒールをはいたお坊さん。社会の固定概念にとらわれない西村宏堂が己のルーツを語る!

LGBT当事者の西村宏堂のインタビュー

ミス・ユニバースの各国代表者のメイクを手がけたり、メイクセミナーを開くメイクアップアーティストと、お経を唱え「人は皆平等に救われる」と説く僧侶、二つの顔を持つLGBTQ当事者の西村宏堂さん。彼は「メイクのセミナーも、僧侶としての説法も同じ気持ちで話している」という。二つの職業に就くことになった経緯や岐路がどんなものだったのかを知ることで、なぜ彼が自分のセクシュアリティを受け入れ、肯定的に生きられるようになったかが分かるかも? とお話を聞いてみた。

僧侶として働くLGBT当事者の西村宏堂

――メイクとの出会いは「セーラームーン」。でも、男の子はメイクしてはいけないと思っていた。

子どもの頃はアニメの『美少女戦士セーラームーン』を観て育ちました。セーラームーンが言う「メイクアップ!」という言葉に、メイクってどんなものなんだろう? と興味をそそられていました(笑)。
オシャレにも関心があって、自宅にあった風呂敷を頭に巻いてアリエルの髪型のようにしてみたり、母の真珠のネックレスを借りて身につけてみたりしてましたね。

でも、4歳の頃だったかな。再従姉妹のお姉さんにおねだりをして、コンビニでラメ入りのマニュキュアを買ってもらったことがあったんですが、家に帰ってそれを母に見せたら、「宏ちゃんにそういうのをする大人になって欲しくないな」と言われてしまって……。その時に私は、母は男の子である私が女の子のようなことをしたらイヤなのかな? と思いました。きっとマニキュアだけでなく、メイクやファッションも込みで。なので、それからはなんとなく後ろめたい気持ちがあり、メイクをすることはありませんでした。

高校までは日本の学校に通っていましたが、やはり学校でも男子は野球の話に熱心だったし、女子はグループを作って気になる男子の噂話に花を咲かせたりしていたので、どちら側にも馴染めなかった私は孤立してしまったんです。

メイクアップアーティストとして働くLGBT当事者の西村宏堂

――友達を応援したい。それがメイクに希望を見出した原点。

日本での生活に息苦しさを感じて、アメリカに留学することにしました。ボストンの短大に入ったのですが、それをきっかけにMACなどの化粧品のお店に出向くようになったんです。ボストンなら母の目も気にしなくていいですから(笑)。
化粧品のお店では、ファンデーションを塗ってピカピカのお肌をした男性がメイクをして接客をしていたし、キラキラのグリッターのアイシャドウをしたトランスジェンダーの女性やドラァグクイーンも当たり前のように働いていたので、それなら、男性の私もメイクをしてもいいだろうと思いました。最初はドラッグストアでアイライナーとマスカラだけを買ってみました。そして、こっそりと自分でメイクをしはじめたんです。その後は大学にもメイクをしていくようになりました。

そのうち、ボストンで初めての女の子の友達ができました。その子は、とてもシャイで当時、人間関係でも悩んでいたので、せっかくできた友達だから、どうにか応援したいなと思っていたんですね。
ある日、二人で買い物に行こうと話をしている時、ポーチからブルーのアイシャドウをサッと取り出し、鏡も見ずにチップでささっと塗るのを目撃したんです。たったの2秒メイク。もちろん全然綺麗に塗れていなくて、オイオイと思いました(笑)。そんなことがあったのである晩、私は持っていたアイライナーとマスカラを使ってアイメイクをしてあげたんです。
メイクが完成した時、彼女はこんな顔だったっけ!? と驚くほど自信に満ちた表情になって喜んでくれたんですよ。大事な友人の希望が芽生える瞬間に立ち会えたことが私自身も嬉しくて感動しました。彼女の自信はメイクを落とした後も変わることはありませんでした。自分の大切な友人が希望を感じる瞬間を一緒に体験できて、私もとても幸せでした。

この出来事が、私のメイクの原点なんです。私は学校で友達が多くはなかったので、自分に自信がなかったけれど、メイクによって私も自分に価値を見出すことができるんだって気づけたし、ファンデーションやリップなどもっとメイクの多くのことを勉強したら、もっと多くの人の力になれるのではないかと思いました。

LGBT当事者のカミングアウトをした西村宏堂

――自分に嘘をつく生き方はやめようと両親へカミングアウト。母からの返答は思いがけないものだった。

学生時代は、常に頭の上に蜘蛛の巣がかかっているように、うつむき気味で、不安を抱えていて、自分が同性愛者であることを他人に話せずにいたんです。
でもボストンの短大卒業後ニューヨークの大学に進学し、ニューヨークに住んだり、旅行でいろんな国に行ったことで、多くのLGBTQ当事者の人たちが自分に自信を持って活躍しているということを知りました。
また、ニューヨークのプライドパレードには誰もが知っているディズニーもフロートを出していたので、私が大好きなディズニープリンセスたちが応援してくれていると実感できて心強かった。それで私も自分は胸を張って正々堂々と生きていいんだと思いました。その後日本に戻ってきた時に両親にもカミングアウトすることを決心しました。

母は、実は私が幼少期の頃、性同一性障害なのでは? と疑いをもって、メンタルクリニックにも相談に行ったことがあったそうなのです。そこでは18歳にならないと診断はできないと言われたそうですが当時、母は自分の育て方が悪いのかなと悩んでいたと話してくれました。だから私がカミングアウトしたことで、そういうことだったのかとやっと腑に落ちたと言っていました。
父もイヤな顔はまったくせず、「宏堂の人生なのだから、好きなようにしなさい」ということを言ってくれました。そこで、子どもの頃にマニキュアを反対された時の話を母にしたんです。「ああ言われたから、私は女性っぽいオシャレやメイクするのが怖かったんだよ」って。
すると母からは、「私は結婚式の時にマニキュアを塗ってもらったんだけど、爪が呼吸できなくて苦しい感じがして、これは体に悪いだろうなと思ったの。だから子どもにはさせられないと思って、それで止めたのよ。あなたがオシャレすることは反対していないから、私のミニスカートやアクセサリーを貸してあげてたでしょ!?」と返されて……たしかに、と思ったんです(笑)。

「親が反対しても、自分を貫き通すくらいでいなさい」と背中を押してくれることも言ってくれて……。私はずっと自分の思い込みやイマジネーションだけで苦しんでいたんだなと気づきましたね。

――厳しかった僧侶の修行。「誰もが平等に救われる」仏教の教えを本当に理解できた時、何かが変わった。

両親からお寺を継ぐよう言われたことは一度もありませんでした。でも、周囲の人たちは「後は継ぐの?」とか「お経の勉強はしているの?」と聞いてくるんですよ。自分の将来を決めつけられているようですごくイヤで反発していました。
そもそも何で念仏しないといけないのか、どうやって救われるのか、ワケが分からず、仏教に対して疑うような気持ちを持っていたんです。

でもある日、ピアノ奏者の母から、「もしモーツァルトの曲が嫌いなのであれば、モーツァルトの曲をちゃんと勉強して、しっかり知識を得た上でここがこうだから嫌いだ、と言えるようにならないとダメよ。そうでなければ、正しい批判はできないの」と諭されたことがあり、ハッとしたんです。
それで仏教や僧侶の勤めに関して、断片的な知識しかなかったしすべてを理解しているわけではなかったので、しっかり理解し僧侶になった上でその後の人生の選択をするべきだ思いました。
メイクの仕事も続けながら、僧侶の修行をスタートさせたんです。

とはいえ、僧侶になることでオシャレが好きな私が、自分らしくいられないとか、仏教の教えが自分の納得のいくものだと思えないのであれば、僧侶にはなりたくないと思っていました。
修行中には作法を習う時間もあるのですが、その中には男女でやり方に違いがあるものもあり、なぜ違いがあるのか理解できないし、私自身は性別にとらわれたくないと考えていたので、仏教は私の性を受け入れてくれないのかなと感じていました。

LGBT当事者をオープンに生きる西村宏堂

そんな中で修行も佳境となり、多くの僧侶が尊敬している先生が授業をしてくださる機会がありました。本来、先生からの教えはいただくものなので質問をしてはいけないのですが、どうしてもわだかまりのあった私は、疑問を指導員の方に相談してみました。すると修行の最後の日に、その方は私を先生がいらっしゃる応接室に連れていってくれたんです。
そこで私は、オシャレが好きなこと、LGBTQの友人もいるし、自分自身も性別を決めることはしたくないということを打ち明けて、僧侶としてどうしたらいいのかを問いました。すると先生は次のように言ってくださいました。

「まずLGBTQであることは問題ありません。作法も男女関係なく好きな方をやって良いですよ。作法は教えの後にできたものですから。そして仏教で一番大切なことは、誰もが平等に救われるという教えを伝えること。今、日本の仏教では、僧侶をしながら色々な職業を持っている人もいるし、洋服を着て、腕時計などを身につけている人もいます。あなたがキラキラした装飾品を身につけていても、何の違いがありましょうか。平等のメッセージが伝えられるのであれば、問題ないと思います」
先生からこのように言っていただいて私は悩みが解決し、蜘蛛の巣が空まで飛んでいったようでした。

世界にはいろんな宗教があり、その教えによって苦しんでいるLGBTQ当事者もたくさんいます。
決して仏教に勧誘したいという意味ではなく、ただこの仏教の教えを知っているだけでも私のように気持ちがラクになる人がきっといるはず。ならば、私がいただいた言葉を広めたいなと思いました。

修行中に習った戒(※仏教徒が守るべき行動規範)には、現代においては時代錯誤と思えるものもありましたが、先生からのお話で、何事も従来のルールにただ従うのではなく、何故そのルールができたのかを考え、その根本にあるものを理解することで、すごく自由になれるということが分かったのです。
「こうあらねばならない」とルールや常識にとらわれている世界中の多くの人たちに、根本にあるものを理解することへの大切さを伝えたいと思ったし、それができる僧侶になれるのは多言語を話せる私だと思ったんです。

――まだ幼かった頃に、この本を読みたかった。“人を応援するのが私の喜び” 初の著書に込めた想い。

外見に劣等感を抱いている人、国籍やセクシュアリティでも劣等感を抱いている人がいれば、それは私自身も体験してきた寂しさでもあるので、メイクや仏教の教えで応援していきたいという想いが根本にあります。人を応援するのが私の喜びでもあるからです。
私の初めての著書である『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』でも、私が自分自身のセクシュアリティを受け入れられるようになったきっかけ、僧侶になる上で悩んだこと、メイクやオシャレすることのアドバイスなどを詰め込みました。

この本は、まだ幼かった頃に自分が読みたかったなと思いますね。子どもの頃は、LGBTQであることは隠したかったし、男の子はメイクはしちゃいけないと思っていたし、自分の考えていることや住んでいる場所が世界のすべてだと思い込んでいましたから。体験や知識を得ることで当たり前が壊れて、自分らしさを自由に愛せるようになりました。もし、あの頃の私と同じような人がいるなら、そんな方にぜひ読んでもらいたいです。

自分らしく生きるLGBT当事者の西村宏堂

■ 西村宏堂
1989年東京生まれ。浄土宗僧侶。ニューヨークのパーソンズ美術大学卒業。卒業後アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。ミス・ユニバース世界大会やミスUSAなどで各国の代表者のメイクをおこない、海外メディアでハリウッド女優やモデルから高い評価を得る。日本で修行し、2015年に浄土宗の僧侶となる。その傍ら、LGBTQの一員である自らの体験を踏まえ、LGBTQ啓発のためのメイクアップセミナーもおこなっている。また、僧侶であり、メイクアップアーティストであり、LGBTQでもある独自の観点で「性別も人種も関係なく皆平等」というメッセージを発信。ニューヨーク国連本部UNFPA(国連人口基金)やイェール大学、増上寺などで講演を行い、その活動はNHKやBBCなど国内外の多くのメディアに取り上げられている。
https://www.kodonishimura.com
■ Twitter@kodonishimura
■ Instagram@kodomakeup

■ 書籍:正々堂々 私が好きな私でいいんだ
発行/サンマーク出版
本体価格/1300円+税

取材・インタビュー/アロム
写真/新井雄大
記事制作/newTOKYO