歌人・鈴掛真さんが書き下ろした五七五七七の短歌と、その一首に紐づくショートストーリーが綴られる全4回の短期連載『恋の三十一文字(みそひともじ)』。
第三回目は、作家への道を歩み始めた“僕”と俳優を目指す“彼”の、肌寒さが少し残る夜の出来事――。
嫌われて
終わる恋より
好きなのに
告げる別れの
方が悲しい
ずっといっしょにいられると思っていた。愛し合っていれば、どんなことでも二人で乗り越えられると思っていたのに。
彼は、俳優を志していた。端役でドラマに出演したり、インディーズ映画に数本出たりしたけれど、毎日のようにオーディションを受けては、なかなか良い結果に結びつかずにいた。
「役者で売れたい」
「役者の仕事を一生やっていきたい」
よどみなく、まっすぐに夢を語った彼に心惹かれ、僕が恋に落ちるまでに時間は掛からなかった。
僕にとって、彼との日々は最高に幸せだった。
彼の一人暮らしの家で、よく彼が手料理を作ってくれて、いっしょに映画を観ては、僕らはキスをした。朝まで抱き合って、いつまでもこうしていたくて、翌朝、僕は仕事の打ち合わせに遅刻しそうになったりもした。
僕が風邪をひいて熱を出したとき、彼は夜中に自転車を漕いで、僕の家まで食べ物を届けてくれた。ベッドで横になった僕の手を、彼は一回り大きな手でそっと包んでくれて、そんな彼のことがたまらなく愛しくて、強く抱きしめたかったけれど、風邪がうつるといけないから、僕は彼の手の甲にそっとキスをした。
そんなふうに彼がそばにいてくれれば、僕は他に何もいらないとさえ思えた。
ただ一つ、二人を隔てるものがあったとすれば。
その頃、僕は作家として最初の単行本を出版したばかりだった。まだ「LGBT」という言葉も物珍しく、セクシュアリティをオープンにしている人は周りにほとんどいなかったけれど、僕は既に家族にもカミングアウトした上で作家の仕事を始めていた。
そんな僕と「いっしょに街を歩くのが怖い」と、彼は言った。
一生をかけてセクシュアリティを隠し通したい人だっている。彼のような俳優なら尚更だ。僕のような人といっしょにいてセクシュアリティに疑惑を持たれる可能性を、1%でも無くしたいと考えるのは、当然のことだと思う。
僕は、彼を本当に愛していた。だから、いっしょに街を歩けないくらい、たいしたことじゃない。僕は彼の夢を、願いを、すべてを受け入れるつもりでいた。
けれど、彼は優しい人だったのだと思う。
本当は彼といろんな街へ行きたい僕のことを、本当は彼といろんな街の景色をいっしょに見たがっている僕のことを、彼はわかっていたのだと思う。
夜はまだ冷え込む季節のある日、彼の家の近くにある小高い丘の上の公園まで、二人で歩いた。人々が眠りにつき始め、灯りがだんだんと消えていく真夜中近く、街を見下ろすベンチに腰掛けて、僕らは長い話をした。
大好きだった。愛していた。だから、僕らは別れることにした。
どんなに愛し合っていても、超えられない壁はある。愛し合っているからこそ、共に歩めない道もある。
もしも僕が作家じゃなければ。もしも僕がセクシュアリティをオープンにしていなければ。もしも別の形で出会っていれば。
「もしも」を数えればきりがないけれど、それぞれが自分で選んだ今という道を尊重しようと、二人で納得して決めた結果だった。
駅のホームまで見送ろうとする彼を、僕は「ここでいいよ」と交差点で制止した。
「役者の仕事、ずっと応援してるから。またね」
たぶん、もう会うことはないのだろうと思った。それでも、いつかまた、どこかで会えるかもしれないそのときのために、僕は「さよなら」を言わなかった。
終電に間に合うように、僕は小走りで駅まで向かった。
最後の列車を待つホームには、他に誰もいなかった。見上げると、半分に欠けた月が、寝静まる街をまるで見守るように光っていた。
* * * * *
■ プロフィール
短歌・文/鈴掛真(すずかけ しん)
歌人。愛知県春日井市出身。東京都在住。ワタナベエンターテインメント所属。第17回 髙瀬賞受賞。著書は、歌集『愛を歌え』(青土社)、エッセイ集『ゲイだけど質問ある?』(講談社)他。
イラスト/あさなさくま
漫画家・イラストレーター。ゲイである自身の日常を描いたコミックエッセイ『あさな君はノンケじゃない!』(KADOKAWA)が、第2回「ピクシブエッセイ新人賞」を受賞。セクシュアリティを問わず共感を呼ぶ作風と、アパレル企業勤務の経験を生かしたファッション描写に注目が集まっている。共著に『cawaiiコーデ絵日記 from cawaii_gram』(星海社)がある。
記事制作/newTOKYO