2011年、アイドルグループ『でんぱ組.inc』のメンバーとして芸能界デビューした、最上もがさん。2013年にリリースされた7thシングル「でんでんぱっしょん」が初のオリコントップ10入りを果たすと、メンバー全員がオタクという新しいアイドルの形と耳に残る楽曲が注目を浴び、以来スマッシュヒットを連発。アイドルとして順風満帆な生活を送っているように思えたが2017年、体調不良により脱退した。
現在は個人事務所を立ち上げ活動を始動。手探りではあるものの、自分のペースで仕事を受ける日々が充実していると話す。最近ではバイセクシュアルであることがメディアに取り立たされているものの、本人は至って冷静だ。
今回は、最上もがさんの「らしさ」に迫るべく、デビュー前のこと、『でんぱ組.inc』のこと、そして今のこと…SNSでの表現・発信し続ける理由をお伺いした。
――引きこもりから一転、23歳でアイドルとしてデビューした、もがさん。ブレイクするも、忙しく流れる時間の中で自分自身を見失い…。
幼少期は女の子らしいスカートよりも男の子のようなパンツスタイルが好きで、一日中外を走り回っているおてんばな子どもでした。ただ、男の子になりたかったという訳ではなくて、女の子扱いをされるのが嫌だったんだと思います。中学校に進学すると制服を着なければいけないので渋々スカートを穿いて登校していましたが、同じバスケ部に所属していたクラスメイトから初めていじめの被害に遭い、当時は負けたくない気持ちから、学校が終わればネットゲームの友達がいるんだという思いで頑張っていました。それから進学先はいじめていた子たちと関わりを持たなくていいよう、少し遠くの高校の美術科へ進学、ネットゲームの友達に救われながらもその後美術短大へ進学し、卒業後は自室でしばらくネットゲームの生活を送っていました。
ちなみに一人称が“ぼく”なのは、ジェンダーやセクシュアリティは全く関係なくて、単にネットゲームで他プレイヤーから舐められたりするのが嫌で使っていたらいつの間にか馴染んでしまっただけなんです。でも、こうした生活がずっと続く訳がなく…。
父親のリストラを機に家庭の経済事情が悪化、妹も働ける年齢ではなかったし、兄も定職につかない引きこもり、首の回らない状況下に耐えきれなくなった母が夜な夜な泣いている姿を目にして、初めて「ぼくが働かないと…なんとかしないと…」と日雇いのアルバイトを始めました。
そんな日々の中で、『でんぱ組.inc』プロデューサーの喪服ちゃんこと福嶋麻衣子さんとの運命的な出会いがあり、熱烈なアプローチを受けメンバーの一人として加入。歌も踊りもできない、ましてや人前に立つことも苦手なぼくのことを「大丈夫!歌も踊りも練習すればできるようになるから!」と、半ば強引に誘ってくれたおかげで今があると思っています。正直、アイドルには全く興味がなかったけれど、そんなことを言っていられるような状況ではなかったので(笑)。
当時は、まさかの連続であれほどまで忙しくなるとは想像すら出来ていなかったです。大好きだったゲームもプレイすることなく、とにかく自分の存在を初めて認めてくれた『でんぱ組.inc』というグループを、もっと世の中に好きになってもらいたいという一心で活動をしていましたし、いつの間にかグループのため、ファンのために活動を続けることが最優先事項になっていて、自分のことは二の次になっていました。仕事を自分達たちで選ぶこともできなかったので、マネージャーが受けた仕事を淡々とこなす日々。場所だけ伝えられて、現場で収録内容を聞かされるなんてこともよくありました。当然、苦手な仕事もあれば、どのように振る舞っていいのか分からない場面も数え切れないほどありましたが、「それが普通なんだ」と言い聞かせてやり過ごしていました。
ただ、そういったことが知らず知らずにぼくの負担になっていたんだと思います。気づいた時には心身共に限界がきて、学生時代に送ることのできなかった青春を取り戻させてくれた『でんぱ組.inc』としてのかけがえのない6年間に感謝しつつも、これ以上迷惑はかけられないと、事務所に脱退のお話をしました。
「自分らしさって何なんだろう?」とゆっくり考えられる時間ができたのは、この時ぐらいだと思います。
芸能に復帰する予定はなかったのですが、知人にどうしてもとお願いされ、それから間もなく個人事務所を設立しました。初めの頃は自分で判断することもできずに協力してくれる人に任せていましたが、段々とファンの人のことを考え、「自分が納得できるやり方で恩返ししたい」と思うようになり、3年を経て、仕事に対して前向きに取り組むようになりました。
スタッフも色々入れ替わりはしたのですが、今はでんぱ組の頃からお世話になっていた方にスケジュール管理やクライアントさんとのやりとりをお願いして、二人三脚でお仕事をしています。現場マネージャーはついていません。なので当然、こういったインタビューの原稿や写真のチェックも自分でやります。でないと、勝手に書き換えられたり、話題を盛ろうとして自分の言葉を曲げてくるライターさんも多くないので、“自分らしく”いるためには沢山のことに注意が必要だなと感じました。
そういった環境の中で以前よりもずっと責任感は強くなったと思います。今は、自分のことを裏切らずにいてくれる事務の人のためにも、応援してくれてるファンのみんなのためにも頑張ろうという気持ちがとても強くなっています。多分、“自分のために”というよりは“誰かのために”じゃないと頑張れないかもしれないです。その点は、アイドル時代と変わらない 部分の一つなのかなって思います。
――一人のアイドルとして駆け抜けた20代が終わり、30代へ。結婚、子ども、セクシュアリティ…今一度自分を見つめ直し、思うこと。
ぼくの周りでは結婚して子どもを出産しているお友達も沢山いますが、焦りを感じたことはありません。「結婚願望はないけれど、子どもは欲しい」とSNSで書いたりもしますが、批判が飛んできたりもしますね。
今、これだけ多様な性や生き方、働き方があるのに、皆が同じ結婚観・子育て方針を持っているなんてことがあるのかなって。本来であれば、本人たちがそれで幸せであれば話はそこで終わるはずで、第三者が認めるか否かジャッジする必要も、される必要もないと思っています。
昔から、他人の恋愛観などに偏見がなかったかもしれません。このような考えを持ったのはきっと、中学生の時に男の子が好きな男の子の友達がいたり、高校生の時には女の子同士のカップルが身近にいたり…そういった環境こそ“普通”だったからなんですよね。
あまりカテゴライズされない世界で生きてきたんです。ぼくは生物学的には女性だけど、セクシュアリティやジェンダーアイデンティティといったようなところも揺らぎがあって全然いいと思っています。自分自身、そして目の前にいる人をカテゴライズすることをやめることで皆が生きやすい社会に近づくんじゃないですかね?
可愛らしくいたい日もあればカッコ良くいたい日もある。お仕事、友人、恋人…シーンや会う人によって全く違う、あるいは一貫した自分を自由に選択して楽しめる社会が来ればいいですよね。
ただ、マスメディア、特にテレビなんかではジェンダーやセクシュアリティについての理解がまだまだ進んでいない気がしています。今の時代、男女ではなく一人の人間としてどう思うか、何ができるか、の方が重要だと思っています。
こういった現状を肌で感じているからこそ、SNSでの発信というのを大切にしています。芸能界でお仕事をさせてもらっているぼくが恋愛観や結婚観を綴るのは、メディア発信のカテゴライズや自分自身の思い込みで固まってしまった価値観に苦しんだり、悩んだりしている人たちへ「あなたは変なんかじゃないよ」というメッセージが伝わればという願いでもあるんです。
世の中的には、セクシュアリティへの理解が進んでいるとは言われていますが、全てがそうではないと感じています。そういった環境の中で、「自分だけがおかしい」と思うことだけは自分のためにもやめてあげて欲しいなと感じます。自分自身を信じて心を開くことが何よりも心身ともに守る、そして優しくいられる方法なのかなって思います。自分だけは自分の味方でい続けて欲しい。
今は「最上もが、カミングアウト!」など仰々しく、かつセクシュアリティを公にすることがいかにもビッグニュースのような捉え方で流れることもありますが、ぼく個人としては隠したかったことでも、後ろめたい気持ちもなく「カミングアウト」した覚えはありませんし、また別の新しいポジティブな言葉が使われる未来が来ればいいなって思います。
■ 最上もが
1989年生まれ。個人事務所・スプレマシー所属。2011年に『でんぱ組.inc』に加入し芸能界デビュー。アイドル活動をしつつも、その独特な世界観が注目を浴び数多くのファッション誌やコミック紙の表紙を飾る。2017年に『でんぱ組.inc』を脱退するもその人気は根強く、現在はモデル・女優・タレントとしてマルチに活躍中。
■ 公式サイト
■ Twitter@mogatanpe
■ Instagram@mogatanpe
取材・インタビュー/芳賀たかし
写真/新井雄大
記事制作/newTOKYO
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp