53年の歴史に幕。新宿二丁目に君臨し続けた深夜食堂「クイン」のママ・りっちゃんの半生(前編)

閉店したクインのりっちゃんのインタビュー

大物芸能人や大御所と呼ばれるゲイバーのママも駆け出しの頃から通い、数多くのドキュメンタリーやバラエティ番組で紹介されてきた新宿二丁目のランドマーク『和食クイン』が、惜しまれつつも2023年9月末をもって53年間の灯りを消した。

ーー「オレが女王だから」という理由で名付けた店を切り盛りしていたのは、男勝りで豪快なキャラクターが印象的な名物女将の、りっちゃんこと加地律子(かじりつこ)さん。ゲイタウンと呼ばれる前からこの街に君臨し続けてきた彼女だからこそ語れる、新宿二丁目への愛情とは、そして後悔のない人生とは……。

前編では、ゲイタウンの成長と共に歩んだりっちゃんの波乱万丈な半生をお届けします。

上京、そして運命の恋。りっちゃんという「女王様」。

ーーまずはご出身と上京された理由などについて、りっちゃんのことをお聞かせください。

オレが生まれ育ったのは豊前(福岡県)で、炭鉱の山師の家系だったからさ。男遊びとか博打とかいろんな悪さをする不良少女だったよ。

上京したのは1963年(昭和38年)18歳の時。
東京の神田で喫茶店を経営していた5つ上の姉が妊娠して手伝うことになったから。でも一緒に住むのは嫌だったから、姉の計理士が持っていた歌舞伎町の、ゴールデン街に近い場所にある部屋を借りて一人暮らしを始めてさ。今もそのアパートは残っているみたいだね。

オレもしおらしい性格じゃないからさ、姉の喫茶店で働く年上の女に田舎者なんて舐められないように、ちょっと上にサバ読みして22歳とか言ってね(笑)。

姉が出産した後も東京に残ることにして、そのまま姉の喫茶店で働いていたわけよ。
そのうち、喫茶店に毎日コーヒーを飲みに通っていた大学生のカジくんにオレがひとめ惚れしてナンパして付き合うことになって。三本立ての映画を観たり、麻雀するのが定番のデート。可愛いもんだろ。

クインのママのりっちゃん

ーーそれが厨房でコツコツと美味しい定食を作られている今の旦那さん、加地孝道さんなんですね。

オレが20歳のときカジくんからプロポーズされたんだけどさ、その時「年上が好きなんです」って言われて「は?何言ってんの?」って。確かにオレのほうがちょっと上だけど、そんなに離れてないからよくよく聞いたらそれまでカジくんはオレのサバ読みを信じていて25歳だと思ってたんだよ(笑)。

実は結婚にはオレのほうが消極的だったんだよ。
カジくんの家は男兄弟でさ。母親が末期のがんだったからオレが介護していたんだけど「お嫁さんは律子ちゃん」って言ってくれていて、どうしても花嫁姿が見たいっていうからオレが23歳の時に結婚式だけやったものの、その後2年くらいはカジくんに入籍をせがまれても「まだ処女で売るから!」って入籍を拒んでさ。
まぁ結局、25歳で入籍して子どもを産んだんだよね。

新宿二丁目のクインのカジくん

ーー当時から豪快なキャラクターですね(笑)。その後、ご夫婦で「クイン」を始めた経緯を教えてください。

その頃、オレが金を貸していた社長が、借金の返済ができなくて担保として差し出してきたのが新宿二丁目から道を挟んだ靖国通り沿いにあった新宿五丁目の木造二階建ての一階でさ。

待ってても返ってこない金をあてにはできないから、慣れてる仕事でもあったし、カジくんと一緒に喫茶店を開いたのが1970年(昭和45年)の11月だったかな。

店の名前は「オレが女王様だ」って意味だけど、短気だから伸ばすとイライラするので縮めて『クイン』。
昼間はオフィス街だからサラリーマンが多くてさ。神田の店はコーヒー1杯80円だったけど、オレは「2杯売って100円儲けよう」って考えたわけ。おかげさまでこれが軌道に乗って繁盛したんだよ。

新宿二丁目の深夜食堂クイン

新宿二丁目とおでん。りっちゃんの二丁目デビュー!

ーー長年新宿二丁目界隈を見てきたりっちゃんですが、当時ここはどういう街だったのでしょうか?

新宿二丁目はもともと遊郭(青線)があった場所で、昭和33年に売春禁止法ができてから10年くらいはゴーストタウンになってたんだよ。

オレが上京した頃はまだ、街頭の電気代を払う人もいなくて夜は真っ暗。で、全然人気がないうえに夜道を若い女が歩いていると街に立つお姉さんやポン引きが声をかけてくるような街で、オレも「子どもの来るところじゃないよ」って言われたりしてさ。
じゃあなんでわざわざそんなところに行ってたかって、当時、新宿二丁目の駐車場にあった屋台のおでんにハマって通ってたわけよ。

当時の新宿二丁目は暗くて誰も来ないからさ。
安くても貸したい家主と、開業資金がない若いゲイの子にとって、客が出入りに気を遣わくてこの場所はお互いにとって好都合だったんだろうね。
元遊郭の家主も歳をとって自分で商売する元気がもうない。じゃあ敷金も礼金もいらないし家賃も安くするから好きに改装してやんなさいって感じで。

そうやって、ほんの数年で一気に新宿二丁目にゲイバーが増えていったんだよ。

閉店したクインのりっちゃん

ーーその後、どういった経緯で新宿二丁目と関わっていくことになったのでしょうか?

靖国通り沿いに『クイン』を開いたころは実はまだ、ゲイとかホモとか全然知らなかったよ。

当時は普通の喫茶店で、出してたのもモーニングやランチの軽食くらい。それが、夕方になるとサラリーマンとは雰囲気が違う、小ぎれいな男の子が通うようになって。

話を聞くとその子は売り専ボーイだったわけ。その彼と意気投合して、新宿二丁目に増え始めたいろんなゲイバーに連れていかれて、一緒に遊ぶようになったのがオレの新宿二丁目デビューだったんだよな。

新宿二丁目『和食クイン』移転。ゲイのための定食屋になっていった理由。

ーー新宿五丁目から新宿二丁目にお店を移転した理由、深夜営業を始めた経緯を教えてください。

バブル真っ最中にさ、土地の価格も高騰して靖国通りの建物が売りに出されることになったんだよ。で、移転先を探していたらすぐ近くの新宿二丁目仲通りの二階に空き物件があって。
元々シャンソンバーだった場所で、窓も大きいし街も見渡せるし広いキッチンもある。そもそもが喫茶店だから夜の街への移転にはかなり迷ったんだけどさ、バブルで景気はいいし、新宿二丁目がメディアで紹介されて24時間常に客足が絶えない時期だったからね。

オレも遊びたい盛りだったからさ、自分の時間を作るために人を雇って24時間営業にしたんだよ。
まあ、さすがに当時は携帯もないし、シフトを組んでも来ないスタッフがいると遊んでいても慌てて店に行かなくちゃならない。オレがいないと帰っちゃう客も多かったし多いときは10人雇っていて人件費もバカにならないから、24時間営業は長くは続かなくて、結局深夜営業に切り替えることになって。

深夜に切り替えたら、そのうち、ゲイバーやショーパブの子が出勤前や出勤後に来て「お腹がすいたけど和食が食べたい」「ひじきと納豆が食べたい」って甘えてくるようになって。当時は今と違って、夜中に食べられる店はラーメン屋くらいしかなかったからね。
それでさ、いつのまにか定食屋みたいになっていった。

ーーお客さんのリクエストで喫茶店から次第に和食屋に変化していったんですね。

30年位前かな……。カジくんに「この店あげるから、オレは別で女の子雇ってスナックをやりたい、絶対儲かる」って相談したことがあるんだよ。バブルで街には活気があるし、オレ目当ての客も多いし、酒飲みながら働くなら定食屋よりスナックのほうが楽しいじゃん。

そうしたら「子持ちのババアが何を言っている、儲けるだけが商売じゃない」って怒られてね。まあ、ボソッと「律子と一緒じゃないと嫌だ」って言われてたのもあったしね。だからさ、こうやって長いようで短い53年間、『クイン』を続けられたんだと思うよ。

新宿二丁目のクインのりっちゃん

53年間、変化しながらも愛され続けてきたお店。灯りを消した理由。

ーー喫茶店から和食屋、今もなお愛され続けるお店をたたむことにした理由を教えてください。

オレの坐骨神経が一番の理由。
歩いていても寝ていても激痛で、これは経験者しかわからない。若い頃はゆっくり歩いている年寄りを見てイライラしたりしたけどさ、今になるとわかるんだよ、そもそも早く歩けないって。店と家は普通に歩けば5分の距離だけどさ、今のオレは30分以上かかるからね。

ここはオレの店だからところどころで座ることもできるしオレのペースで接客もできるけど、それでもそろそろ限界だね。カジくんもそれなりに歳だしさ。手術で治ればいいけど成功率が100%じゃなくて、失敗したら歩けなくなる。誰かの面倒になるなんてまっぴらだから、手術をしない選択をしただけ。

このまま無理して続けて店で倒れて死ぬのはもっと嫌だろ。できるなら若い男の上で死にたいよね。

いろんな人に辞めたらどうするのか、やりたいことがあるのか聞かれるけどさ、身体が動いてやりたいことがあるならこの店を続けてるよ。

昔と比べたらうんと生きやすくなったこの街だってさ、まだまだ悩みを抱えた若い子たちがいるしな。話くらいは聞くよ。でもね、街は変わっていくもんさ。それに歳には勝てない。
誰か後継者がいないのかとかも聞かれるけどさ、バブルの頃じゃないんだから、このご時世こんな薄利多売は苦労するだけだしね。

『クイン』はオレとカジくんが始めたことだから一緒に辞めるのがいいんだよ。これからのことはまだ考えてないけど、とりあえずは休養だね。

クインの名物メニューだった「カイブツ」/ベーコンと卵炒めにたっぷりのマヨネーズがかかった料理

>>>後編へ続く/りっちゃんの人生観

■加地律子(かじりつこ)/通称・りっちゃん
1945年福岡県生まれ。1963年に上京、23歳で加地孝道さんと結婚。1970年11月新宿五丁目に「喫茶クイン」をオープン。その後、新宿二丁目に移転し「和食クイン」として長年親しまれるランドマークに。多くの常連に惜しまれつつ、2003年9月末を持って閉店した。

※インタビュー中の年号や時代背景は、ご本人の口述をもとに記載させていただいております。

取材・インタビュー/みさおはるき
企画・編集/村上ひろし
撮影/EISUKE
記事掲載/newTOKYO