歌人・鈴掛真さんが書き下ろした五七五七七の短歌と、その一首に紐づくショートストーリーが綴られる全4回の短期連載『恋の三十一文字(みそひともじ)』。
第一回目は、大学生の“僕”と“君”の繊細な距離感が初々しい、とある夏の日の出来事――。
僕たちは
ともだちだから
これ以上
近づいたなら
壊れてしまう
大学で毎日顔を合わせるたびに、君のことをもっと知りたいと思った。
今日は昨日よりもっと。明日は今日よりも。たくさん話をして、もっと君の近くにいたいと思った。
けれど、もしも君の近くにいなければ、こんな痛みも知らずに済んだのかもしれない。
あの頃の僕には、他の誰よりも君が魅力的に見えていた。
人当たりが良く、成績も優秀、同じ学科の子たちに慕われる人気者で。僕のような特に秀でたところのない同級生にも、君はいつも気さくに話しかけて来てくれた。
君と僕が奇遇にも、受講している科目や、使っているスクールバスの方角、地下鉄の路線まで同じだったのは幸運だった。毎日の帰り道、ほんの30分の短い間だけれど、君とたくさん話ができたから。
生まれた街の話。家族の話。高校のときから付き合っていて今は遠距離恋愛中だという彼女の話。今日は昨日よりもっと。明日は今日よりも。君について何か知れるなら、どんな小さなことでも僕は嬉しかった。
君が先に地下鉄を降りて、一人暮らしのマンションへ帰って行くまで、二人きりになれる帰り道が、僕にとって何より大切だった。
うだるような暑い夏。
その日は、僕も初めて君といっしょに地下鉄を降りた。君の一人暮らしの家に泊めてもらえることになっていたから。
木製の家具に、ふかふかのラグマット。男子にしては掃除の行き届いたきれいな部屋だった。遠くで暮らす君の彼女は何度ここに来たのだろうと、そんなふうに僕はぼんやり思った。
順番にシャワーを浴び、貸してくれた部屋着のTシャツと短パンに着替えると、いつも君の服から香る柔軟剤の匂いがした。
カフェでアルバイトをしていて料理が得意な君が、夕飯にパスタを作ってくれて、飲み慣れないビールで乾杯した。まだ二十歳になったばかりの僕には、友達の部屋に泊まってお酒を飲んでいるなんて、なんだか大人の仲間入りをしたようで、胸が高鳴った。
映画を観たり、音楽を聴いたりして、すっかり夜が更けた頃。
「ベッド、使って良いからね」と、君は床にタオルケットを敷いて、早々と眠りについた。
君がいつも寝ているベッド。きっと君の彼女も寝たことがあるベッドの上はやけに落ち着かず、熱帯夜の寝苦しさも相まって、僕はちっとも眠れなかった。
どのくらい時間が経ったのだろう。気がつけば、ベランダの窓の外がうっすらと青白い。もうすぐ夜が明けそうだ。
見下ろすと、仰向けの君が心地良さそうに眠っていた。着ているのは、タンクトップと、下着のトランクスだけ。クーラーを切った夏の部屋は蒸し暑く、しなやかな長い手足をだらしなく伸ばし、額にはじんわりと汗が滲んでいた。形の良い唇を少し開いて、すーすーと寝息を立てている明け方の君は、とても美しかった。
僕は、その体に触れたいと思った。
ほんの少し手を伸ばせば、君の体に手が届く。
君の肌はどんなに柔らかく、どんなに温かなのだろう。それを、僕はたまらなく知りたいと思った。
ベッドから身を乗り出し、無防備に横たわる君の体に手を伸ばしたとき、僕は想像した。いつも優しく微笑みかけてくれる君の顔が陰るところを。心苦しそうに、物悲しく僕を見る目を。
これ以上近づいたなら、きっと壊れてしまう。
僕らは、ただの友達だから。友達になれたおかげで、僕は今ここにいる。けれど、友達だからこそ、越えられない壁がある。
この壁を越えてしまったなら、もう僕らは友達でいられない。それは僕にとって、どんな惨劇よりも悲しいことだ。
ベランダの窓がすっかり眩しい。朝がやって来たんだ。
寝ている君に背を向けて、僕はやっと浅い眠りについた。
* * * * *
■ プロフィール
短歌・文/鈴掛真(すずかけ しん)
歌人。愛知県春日井市出身。東京都在住。ワタナベエンターテインメント所属。第17回 髙瀬賞受賞。著書は、歌集『愛を歌え』(青土社)、エッセイ集『ゲイだけど質問ある?』(講談社)他。
イラスト/あさなさくま
漫画家・イラストレーター。ゲイである自身の日常を描いたコミックエッセイ『あさな君はノンケじゃない!』(KADOKAWA)が、第2回「ピクシブエッセイ新人賞」を受賞。セクシュアリティを問わず共感を呼ぶ作風と、アパレル企業勤務の経験を生かしたファッション描写に注目が集まっている。共著に『cawaiiコーデ絵日記 from cawaii_gram』(星海社)がある。
記事制作/newTOKYO