タクシーの運転手と言えば、男性社会的な風潮が根強く残る業界だと思われてしまいがち。だが、東京23区内を中心に配車サービスを行うタクシー会社「日の丸交通株式会社」では、そんなネガティブなイメージを180度覆すような取組みが本格的にスタートしている。
昨年夏にローンチされた「GO DRIVERSITY.(ゴー・ドライバーシティ)」と題されたキャンペーンは、性別や国籍、人種、宗教などの垣根を超え多様な人材をドライバーとして採用し、育てていくダイバーシティ採用の認知拡大を目指したもの。もちろんLGBTsの採用もこのキャンペーンの一環として含まれている。
なぜ、今このタイミングで多様性を重視した採用をスタートさせたのか。実際にドライバーとして働き、入社後自らが働きやすい環境を内側から整備していったトランスジェンダー(MTF)の長本奈緒さんに本当に今幸せに働けているのかをインタビュー。また日の丸交通株式会社が今後目指す理想の会社像について、採用センター次長・三木孝志さんに話をうかがった。
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「自分は自分」がモットー。水商売からタクシードライバーへ転身した長本さんの生きる姿勢
10代の時からつい3年ほど前まで水商売をしていました。私が10代だった頃ってLGBTsの当事者が自分らしく働ける場所といえば、バーくらいしか思いつかなくて。働き始めた若い時はその日が楽しければそれで良かったんです。一夜でシャンパン7本ぐらい空けて朝方に帰る日も少なくなかったし、何より楽しかったことは事実。だけどそんな毎日の中でも、お昼間の仕事に憧れていた自分がいたのは確かでした。あれから随分と月日が経ち一つひとつ年齢を重ねるにつれ、将来を見据えてく中でその日暮らしのような環境に身を置いていることが不安になり、福利厚生がきっちりした会社に勤めたいと思うようになったんです。
そんな時に友人から「運転するのが好きならこんな仕事も良いんじゃない?」と薦められたのがタクシー運転手。昔からレーサーになりたいと本気で思うくらい運転が大好きだったし、やってみようかなと思いました(笑)。それで、日の丸交通株式会社へ転職する時はすでに男性から女性への性転換を終えていたのですが、ありのままの私をお話しするつもりで履歴書の性別欄では「男」に丸を付けてお渡ししました。面接をしてくれた社員の方は最初びっくりされていましたが、前向きに採用してくださったんです。
それで入社当時はLGBTsへの配慮あるシステムなどは何も整備されていなかったけれど、あまり気にしていませんでしたね。周囲に男として接せられても女としても接せられても私は私。入社してから「私が働きやすい環境に整えていけば良いじゃない」という強い気持ちでいました。
と言いつつも、就職できたのは一安心でしたね。今は母親と2人暮らしなのですが、初めて親孝行できたのかなと実感しています。
実は自分の性に対して悩まず、私は私という強い芯を持って生きてこられたのは母親の存在が大きいんです。物心ついた時から男の子のお尻ばっかり追いかけていた私を母親は何も言わずに、女の子の服が売られた売り場に連れて行ってくれたりしました。
だからカミングアウトをする、しないという葛藤もなかったし、今思うととても理解のある母親だなと実感しています。そんな母親を安心させてあげられる生き方ができて本当に良かったです。
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日の丸交通の魅力を語る。世田谷営業所で働くMTFドライバーたちの想いと改革心
積極的に耳を傾けてくれる会社ってそうそうないと思うんです。日の丸交通では働きやすい環境づくりを会社全体で進めてくれるようになっていきました。採用後は女性として保険証を発行するために書類を集めてくれたり、私の意向を汲もうと親身になって動いてくれたのが本当に嬉しかったです。また、世田谷営業所では、一部のトイレをオールジェンダーにしています。多様性を意識した取り組みなのですが、何事も向き合って考えてくれる。そこが日の丸交通の魅力だと感じています。
入社して私自身が変わったことを挙げるなら、運転業なのでお酒をやめたことぐらい。私自身何も変わってないし、これから変わろうという意志もありません(笑)。お客様と楽しく話したりいじり倒したり、そうやって楽しくお仕事ができればそれで良いし、「ありがとう」と言われるのが一番やりがいを感じる瞬間でもあります。なので、危険と隣り合わせのこの職業に責任を持ちつつ、毎日笑顔で仕事を楽しめたら良いですね。さらなる夢の先にパートナーが待っていることもちょっぴり期待しながらね(笑)。
ともあれ私が若かった頃の時代が嘘みたいに、LGBTsが普通に働ける社会に近づいているのがとっても嬉しいんです。風向きも時代と共に変わってきている今だからこそ、後輩たちにも自分を強く持って働いてほしい思いがあります。「ダメかも」と思ってしまったらそこで全部だめになってしまうので。
――同じく日の丸交通株式会社で働くMTFドライバーの黒岩彩織さんとみずきさんの声
黒岩さん:自分らしく働ける場所をずっと探している中で、日の丸交通のことを知りました。それから説明会に足を運び面接も受けて採用が決まったので、名古屋の工場を辞めて上京しました。仕事とプライベートの両面で、今までできなかったことに少しずつチャレンジできる環境、そしてそれが日常化していく毎日が本当に幸せで、「第二の人生」をスタートできたのが嬉しいです。
今後の取り組みとしては、私のようなこれから入社してくるLGBTsの仲間がより良い環境で働くために、通名の信憑性が社内でもっと強まれば良いなと思っています。私自身、会社内では「黒岩彩織」という通名で業務に従事しているのですが、納金の書類などを書く場面になるとそうはいかなくて。事務処理のミスを引き起こさないために本名と通名をそれぞれ記名しています。こういった事務的な業務においても自身の通名で処理が通るように頑張りたいです。
みずきさん:黒岩さんのお話にもありましたが、本名と通名に関しては本当にセンシティブな問題なんです。改名するのに1年以上かかってしまう人がほとんどで、中には本名に嫌な思い出が残っている人も少なくないので、会社からの採用通知などは通名でお送りするなどのケアがあると良いかもしれませんね。私自身、トランスジェンダーとして生きている人生が長いので、色々なステップを経て少しずつ生まれ変わっていくことは身をもって体験しています。体つきの変化や改名のタイミングなども踏まえて配慮してもらえたらもっと素敵な職場になるかなと思っています。でも、このように自分たちが思った疑問点や違和感も当事者同士で話し合える環境があるって、とても自然で素晴らしいと感じています。
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三木さんが語る、GO DRIVERSITY.に込めた想い。日の丸交通の掲げる「個性は可能性」とは?
ダイバーシティ採用の認知度拡大に行った「GO DRIVERSITY.」を始めたきっかけは、一般募集では追い付かないほどのタクシー業界の全体的かつ圧倒的人手不足にありました。そのため、女性、外国籍、LGBTsという順で積極的な採用活動をスタート。また東京オリンピックの開催に当たって、ダイバーシティが求められる社会がすぐそこまで来ているという点も大きな要因になりました。多様な人たちを受け入れるということは今までのやり方を変え、タクシー業界が抱える問題を解決していくことでもあります。大変なことであることは承知していましたが、「誰もがありのままで輝ける世の中」を目指し、チャレンジという意味も込めて踏み切りました。
それから長本さんが入社したんです。正直なところ高齢かつ男性が多い職場ということもあって困惑した様子の従業員もたくさんいました。ただ、どうにかして解決に導きたいと思い、一人ひとりと話し合いの場を設けて理解を促しました。実際に入社していただいた長本さんと従業員が接していく中でとても良いキャラクターで優しいのはもちろん、人望も厚い方であることが伝わったのか自然と反対意見が消えていきましたね。
それこそ、LGBTsとかセクシュアリティではなく、多様な個性の受け入れなのだなと実感できた場面でもありました。
それでも実はもうひとつ、LGBTsの方々の採用の話し合いで「お客様はどう思うか」という懸念がありました。お客様がいるから成り立っている接客業で嫌悪感を抱かれたり、またドライバー自身も傷つくなんてことはあってはならないと。事実当初は、見た目や乗務員性の名前が見た目の性と一致しない点を話のネタにしてくるお客様もいることを耳にしていました。それをネタにして車内を明るくできる人もいれば、傷つく人もいるんです。
ですが、幸いなことに大きなトラブルもないし、当事者の方々は悩みや辛い経験をしてきた人が多く「人の痛み」が分かる印象があります。それって接客業に従事する上でとっても大切なことだと思うんです。少しだけの時間かもしれませんが丁寧な接客で人の心に寄り添える時間、LGBTsの方たちはドライバーにすごく向いていると思うんですよね。
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「LGBTsが幸せに働ける社会」に積極的な理由。本当の意味でのダイバーシティを目指す取り組み。
なぜここまでLGBTsの方たちに対して積極的に支援をしたいと思うのかをよくよく考えてみると今から20年以上前、ドライブレコーダーもついてなかった時代に遡ります。当時は誰もが忙しい時代で、お客さんに意地悪されることも多く落ち込む日もたくさんありました。そんな時に新宿二丁目にふらっとトタクシーを流すと、私も若かったもんですから手を振って乗ってくれるお客さんが多かったんですよ。みなさんとっても優しい方ばかりで「運転手さん、今日はどうだったの?」なんて言われたりして。いつの間にか隔日勤務の20時間の一番最後は、新宿二丁目界隈にタクシーを流して気持ちよく業務を終えることが日課なっていました。
今思えば、店閉め作業を終えたママさんたちに優しく接してもらえた経験が、LGBTsの方たちに幸せになってもらいたいという気持ちを育んだのかもしれませんね。
さてそんな「GO DRIVERSITY.キャンペーン」。長本さんが入社したことで、「LGBTsが分からないという先入観から避ける」という意識が彼女の存在によって消えていったのですが、以降LGBTsの相談窓口を設けてみると、元々いた従業員からの相談も寄せられ「自分も当事者の一人です」と打ち明けられることが増えたんです。話を終えると、気持ちが楽になったと言って何を求めることもなく次の日からも普段通り業務に従事するんですよ。誰かに本当のことを打ち明けたいという人はたくさんいたんですよね。
今後、日の丸交通は新しく生まれ変わります。今の世田谷区営業所の社屋は作りがとても古く当事者の方々には苦労をかける場面がまだまだあるのですが、新社屋にはトランスジェンダーの従業員に配慮したトイレやシャワーの設備、また一人ひとり感じ方は異なるので、その人の希望に沿った更衣室の利用許可などを目指しています。ただし、この件に関しては他従業員への考えも尊重しなくては本当の意味でのダイバーシティな会社・社会ではなくなってしまいますので、難しいところではあるのですが試行錯誤しながら、様々な立場に立って多様性とは何か?働きやすい環境とは何か?を日々考えていければと思っております。
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日の丸交通株式会社
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☞ ダイバーシティ採用サイト
取材・インタビュー/村上ひろし(newTOKYO)
編集/芳賀たかし(newTOKYO)
撮影/EISUKE
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp