気づけば、立ち上げから5年目を迎えていた「newTOKYO」。「新しいことは、楽しいこと」をテーマに、LGBTQ+コミュニティの皆さんに協力を得ながら、これまで1,100を超える記事を発信してきました。
そこそこに記事もたまってきたことだし、連載やテーマ毎に記事をアーカイブして発信するのもアリじゃないか? と思い立った次第です。
今回は写真家の天野ヒカリさんが撮影したポートレートともに、これまでの自分を振り返ってもらう連載企画「ジブンヒストリー」をプレイバック。
ーー持ってた『Badi』のマンガ連載を妹が読んでいたようで…
一番最初にカミングアウトしたのは、妹でした。すごく緊張しましたが「知ってたよー」と一言、僕のタイミングを待ってくれていたことに感動しました。その後「月刊バディで連載してる『アグリっ娘』めっちゃ面白いから、続き読みたい!」と斜め上の言葉が返ってきて、もっと驚きましたが(笑)。
セクシュアリティをオープンにしたことで自分から離れていく職場の人もいて、時にはゲイであること自体に罪悪感を感じることもありましたが、個性の一つとして認識してその人間性で判断して仲良くしてくれる人を大切にしこうと思えるようになりました。(他ポートレート3枚)
ーー半ば自暴自棄のカミングアウトではあったけれど…
初めてのカミングアウトは高校2年生の頃で、母親に話をしました。当時は大学受験に向け、とにかく勉強や部活を頑張っていたのですが、様々な問題が発生したことで身が入らず、とても苦しい状況でした。
頑張る、それが面倒臭くなって「母親にだけは打ち明けて全部終わらせてやろう」と、かなり自暴自棄なカミングアウトをしました。実は、この時まで誰かに自分の本音を打ち明けることが一切なかったんです。母には「何となく気づいてた。ゲイの友達もいるから色々分かるよ。話してくれてありがとね」と言われて、何だか拍子抜けしましたけど(笑)。(他ポートレート3枚)
ーー30歳過ぎてカミングアウト。母からは「貴方が笑えるように生きて欲しい」。
それからカミングアウトへと至ったのは、30歳を超えた実家の田舎長男という重圧に耐えきれなくなったのと仕事で精神的に落ちこんでいたときでした。うちは片親なんですが、母は「ショックじゃないと言えば嘘になるけど、貴方の人生だから貴方が笑えるように生きて欲しい」と言ってくれました。
その後も普通に会話するし、買い物も行く仲です。職場では、同期にのみカミングアウトしていますが「え、そーなん?」くらいのテンションで、特に変わらず接してくれています。だから母親には本当に頭が上がらないし、同期にも感謝しています。(他ポートレート3枚)
ーーガンを患ったときに母と姉にカミングアウト。
初めてのカミングアウトは親友の女の子に。実は彼女、僕がゲイだということを出会った頃から気付いてたようで…。それで向こうからも何度か、僕の方から打ち明けやすいようにアクションを起こしてくれていたんですが、それでも僕は中々カミングアウトすることができませんでした。相手の反応は、もちろん知ってたよという感じで「やっと言ってくれたね」と喜んでくれてました。
家族は母と姉にだけ、僕が2年前にガンを患ったときに伝えました。今、同棲しているパートナーがいるのですが「何かあったときのために、大切な人がいることは伝えておかなきゃ」と思った末のカミングアウトでした。予想とは裏腹に2人とも特に深追いすることなく、「支えてくれる人がいて良かった」と、言ってくれてとても安心しました。(他ポートレート3枚)
ーー「ジブンヒストリー」では全22回に渡り、ゲイ当事者へインタビュー。ピックアップした3人も含めて全7回に分けたアーカイブも今回で終了。それぞれのヒストリーを知りたい人は、下のボタンからチェック。
写真・企画/天野ヒカリ
編集/芳賀たかし