
お笑い芸人・ダウンタウンの浜田雅功さんのモノマネや歌唱力を生かし、バラエティ番組で活躍するモノマネ芸人のハリウリサさん。2022年に母親へ宛てたオリジナル曲「ヴィルマ」で、トランスジェンダー男性であることを公表。以来、LGBTQ+に関する講演会や女性パートナーの存在をオープンにして芸能活動を行っている。
今回は下積み時代、舞台に立った経験もあるというライブハウス「中野シアターかざあな」にて、自身のセクシュアリティやジェンダーと向き合いながら、モノマネ芸人として「自分らしい」キャリアを築くまで、そして今後の活動について伺った。

ーー「トランスジェンダーだと認めなくなかった。周囲からどう思われるのか、ドラマを見て知ってしまったから」
ーーハリウさんご自身のセクシュアリティやジェンダーに疑問を抱いた時期を教えてください。
幼いときから男の子になりたいという思いはありました。『忍者戦隊カクレンジャー』が好きで、髪の毛は短くて、「好きな子いるの?」って聞かれたら女の子の名前を答えて。自分が思うように過ごしていた記憶があります。
ただ、小学校へ進学してからは「自分が女の子なのに、女の子が好きな人なんていないよ」と言われて、「確かにいないな」と思ってしまったんですよ。テレビを見ていても、恋愛ドラマで結ばれるのは男性と女性だけでしたし。そう考えると自分の性について違和感を抱いたのは、そのぐらいの年頃でした。

ーー幼いながらに周囲とは何かが違うことに気付いていたんですね。
その違いにより気づかされたのがTBSドラマ『3年B組金八先生(第6シリーズ)』(2001年)で、上戸彩さんが演じた性別不合(放送当時は性同一性障害)の生徒・鶴本直の姿を見たときでした。
ただ、勇気づけられたというよりは、自分自身と似ていることを認めたくない気持ちが強くて。ドラマでも「普通とは違う」と周囲から揶揄されるシーンがあったので、自分がトランスジェンダーだったら同じような接し方をされるのではないかと不安だったんです。

ーー周囲からどう思われるのかという不安もありながら、性のあり方にも悩んだ時期でもあったと。
はい。進学した高校では女子もスラックススタイルを選べたのですが、やっぱり周りと馴染むことを優先して履きたくもないスカートを選んだんです。「私は普通の女の子」と言い聞かせながら男の子が好きであることを装い、高校生のときは頑張って彼氏と呼べる人とお付き合いすることもありました。
その当時、スカートを選ばずにスラックスを履いていた同級生の中には、現在、女性とお付き合いしている人もいますし、戸籍上の性別を女性から男性へ変更している人もいます。もちろん、スラックスを履いているからといって、セクシュアルマイノリティと直結するわけではありませんが、同じような悩みを抱えながら生きていたんだなと思いましたね。

ーー「あなたが男を好きになるわけないでしょ」。母の愛を一歩踏み出す勇気に変えて
ーー高校卒業後は東京アナウンス学院でお笑いを学び、モノマネ芸人の道に進んで以降、セクシュアリティやジェンダーについて自分自身がしっくりくる表現に出会うまで時間はかかりましたか。
デビューしてから先輩芸人のビッグスモールン・ゴンさんにアプローチを受けてお付き合いしたのですが、その経験を経て「男性と付き合うのは無理、そして頑張る必要はないな」と振り切れたというか…自分がトランスジェンダー男性だと受け入れていくようになりましたね。友人に対してもセクシュアリティをオープンに接するようになりました。
母親は「ウチのガヤがすみません!」(日本テレビ、2018年放送)を一緒に見ていて、ゴンさんと付き合っていたことを知ったのですが、そのときに「あなたこれ台本でしょ。あなたが男を好きになるわけないもん、小さいときから見ていたら分かる」と言われて。

知っていたのに聞かないでいてくれた親の愛に感動して、女の子が好きということを伝えました。その後、聞いたことなのですが、母は友達から「アンタの娘、女らしくない。オナベじゃないの?」と馬鹿にされたらしいんです。それに対して母は「別にあなたたちに迷惑はかけていない。リサがどう生きようが本人の勝手だし、愛は自由でしょ」と言い返してくれたそうなんです。
私のせいで母を傷つけてしまったことに申し訳なさを感じつつも、知らないところで守ってくれていたんだなと嬉しく、そして誇らしくもありました。
ーー一方、自身がトランスジェンダー男性であることをオープンにしながら、モノマネ芸人としてのキャリアを積んでいくことはロールモデルが少ない分、大変に思ったことはありませんか。
以前、先輩芸人の方にトランスジェンダー男性であることを公表したいと相談したんですけど、「あえて隠すこともないけれどバラエティという場所だと、どうしても笑いになりにくい。公表するなら、自分の思いが伝わる場所、タイミングをしっかり選んだほうがいい」と言われたんです。
そのことを踏まえたうえで3年前に、「ヴィルマ」という母親に宛てたオリジナル曲を通して、トランスジェンダー男性であることをオープンにしました。何より、自分と同じような苦しみを抱えている人を勇気付けたいという気持ちからの選択でした。

ーー「声が変わったらモノマネが出来なくなるかもしれない。だから、今はこのままで生きてみたい」
ーー実際にセクシュアリティをオープンにしてから、どのような変化がありましたか。
自身のセクシュアリティやジェンダーで悩みを抱えている方達からは「歌を聞いて感動しました」「カミングアウトをして活動をしている姿が素晴らしいと思います」「著名な方がLGBTQ+を公表することは、コミュニティの理解にも繋がるので、もっと活躍して欲しいです」など、本当に前向きなメッセージをいただいています。
また日本各地の人権にまつわる講演会へお呼びいただき、トランスジェンダー男性としてどのような経験をしてきたのか、学生さんや地域の方を前にお話しする機会も増えてきました。
ーー講演会を行うことで大切にしていることがあれば教えてください。
私はモノマネ芸人なので、まずはダウンタウンの浜田さんなどのモノマネをして興味を持ってもらったうえで、見てもらえる、そして聞いてもらえる体制づくりを大切にしていますね。そのうえで、もう少し内側にあるジェンダーやセクシュアリティについて知ってもらう流れの方が自然だし、正しい理解にも繋がるかなと思って。

ーープライド月間中ですが、LGBTQ+コミュニティの一人として思うことはありますか。
私自身、女性のパートナーがいるのですが、一緒に暮らしていくための住居を探すうえでも、同性婚が出来るに越したことはないので動向は気にしています。
ーー現段階で男性ホルモンの投与や戸籍上の性別を変更することは考えていますか。
男性として生きていくためにはそういった選択が必要な時がくるかもしれませんが、今のところは考えていません。私の仕事上「声」はとても大切な商売道具の一つです。
例えば、男性ホルモン治療を行った影響で今の声を出せなくなってしまったら、その瞬間から人生が一変して自分が望まない方向へと向かってしまうかもしれません。大好きな歌でもお仕事を頂いている以上、現状のまま活動していきたいと思っています。

ーー最後に今後、エンターテイメント業界でどのように活動していきたいですか。
歌やモノマネを中心に活動を続けていきたいです。LGBTQ+コミュニティの中でも“オネエタレント”と呼ばれる方たちはたくさん活躍されてきましたが、トランスジェンダーが活躍できるバラエティだったり、お笑いができる場所ってなかなかないと思うので、いずれは、そういった場所作りにも貢献していきたいと思っています。
今の時代、トランスジェンダーの取り上げ方は人権やドキュメンタリーにフォーカスされることが多いです。もちろん、それもとても大切なことですが、いろいろな考えや生き方をする人を知ってもらえたら嬉しいです!
◆ハリウリサ
Instagram@hahahariu
東京都出身。1993年7月25日生まれ。東京アナウンス学院卒業後、2014年から芸人として活動を始める。2022年には母に当てたオリジナル曲「ヴィルマ」でトランスジェンダー男性であることをオープンにした。現在はダウンタウン・浜田雅功のモノマネや歌唱力を生かして多くのバラエティ番組で活躍している。
写真/EISUKE
取材・文・編集/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO