
主にセクシュアリティ・ジェンダーの分野で執筆をしながら、ダンサーとしても活動するレズビアン当事者の山﨑穂花さん。「わたしとアナタのための、エンパワ本」では毎月、彼女の本棚の中から、自信や安心、ありのままの尊さを教えてくれた本(=エンパワ本)を、“気付きの一文”を添えて3冊紹介。
第6回は、かつての新宿二丁目を映し出す本を紹介。
今やLGBTQ+タウンとして知られる新宿二丁目だが、実は赤線地帯として栄えた時代がある。赤線地帯とは、警察が地図に赤い線を引いて、事実上「売春を認めた(黙認した)エリア」のことだ。
今では二丁目は400軒ものLGBTQ+の飲食店が密集する、世界でも類を見ない密度を誇る街だが、昔はどのような姿をしていたのだろうか。今から紹介する3冊を読みながら、戦後の二丁目に想いを馳せよう。

「なぜ二丁目がゲイタウンになったのか?」という問いに対し、戦前・戦後の風俗史や都市計画から分析している一冊。
著者の伏見憲明氏は、1990年代からLGBTQ+ブームを牽引してきた作家であり、自身も新宿二丁目でゲイバー(A Day In The Life)を経営している当事者だ。そのため、当事者ならではのネットワークを活かし、表には出にくい古い店主たちや街の有力者への貴重なインタビューを成功させている。
◆気づきの一文
「新宿は、遊郭や赤線があったことで性的なイメージが強い場所となり、それが戦後の闇市や1960年代後半の学生運動などと結びつき、『アジール(避難所、聖域)』的な場所となったこれがゲイやゲイバーの性質と親和性が高かった」(162頁7行目)
ーーいわゆる一般社会からは敬遠されるような新宿の歴史が、社会の片隅で生きざるを得なかったマイノリティにとっては誰にも脅かされない自由な聖域となったと考えられる。新宿二丁目は偶然できたのではなく、日本の近代史における負の歴史があったからこそ、必然的に作られた場所なのかもしれない。

現在は消滅してしまった風景や、当時の生々しい風俗などが映し出された写真集。
旧・赤線地帯の戦跡、ソープ嬢、ゲイボーイショー、レズビアンスナックなどの取材も掲載。日本の放浪芸や庶民文化を研究していた小沢氏ならではの民俗学的な視点も取り入れられている。あくまで彼自身の好奇心とスケベ心を原動力にカメラを手に取り、昭和の風俗を記録したものとされているため、LGBTQ+当事者視点ではないことを留意していただきたい。
◆気づきの一文
「昔どうりの呼びかけ方で、『ちょっとおにいさん』しかし営業種目はヌードスタジオ、ここへ来ると、昔からの条件反射で、写真師は武者ぶるい」(149頁1行目)
ーー新宿二丁目で女性が呼び込みをする写真とともに寄せられた一節。赤線廃止後の新宿二丁目という、歴史の転換点にいた街の姿を映し出した貴重な資料ではないだろうか。かつての二丁目では、格子戸の向こうや店先から、女性たちが通行人に「ちょっと、お兄さん寄っていかない?」と声をかけて誘っていたそう。今では想像し難いゲイ文化が浸透する前の二丁目が感じられる。

今でこそ「ゲイの街」といえば新宿二丁目だが、戦前から1950年代にかけての日本の同性愛文化の地は浅草であった。
「芸能という場があったからこそ、当時のゲイの人々は自分たちの居場所を確保できた」という視点でゲイの歴史が描かれている。物語の終盤にある、なぜゲイ文化の拠点が浅草から新宿へと移り変わっていったのか、についての考察も必読だ。
◆気づきの一文
「そもそも“ゲイバー”という言葉であるが、これは戦後から使用された言葉で、1946(昭和21)年に現在のアルタ裏で開業した『夜曲』も、1951(昭和26)年に新宿二丁目で初めて開業した「イブセン」も、ゲイバーを営業しようとして開店したものではなかった」(81頁9行目)
ーーアメリカの「Gay」という呼称が輸入されている事実はあるものの、1940年代〜50年代初頭の時点では、まだ一般名詞として定着しておらず、メディアが面白がって「ゲイバー」「男色酒場」「男色喫茶店」という表現を使って取り上げていた。文中にあがっている店はどれも演劇、文学、音楽といった芸能・文化の香りが強い場所であり、だからこそ芸能文化と新宿のゲイ文化が根強いのだと感じ取れる。
文・写真/山﨑穂花 @honoka_yamasaki
記事制作/newTOKYO









