この人の笑っている顔が見たい。この人の悲しい顔は見たくない。この人のために自分ができることをたくさんしてあげたい。そんな風に思うのは、健やかな寝顔を見た時。起きている間はそんなこと微塵も感じなくなったし、しょっちゅう喧嘩もする。けれど、誰よりも一番、側にいたいなと思えるのは何故なんだろうか。口の周りについた食べかす、気づいていないその油断した顔が愛しい、そんな感じ。
そんな互いを想い合える心は、あなたにとってどう映るだろうか?結婚によって生まれる証明ではなく、将来を語りあった二人が紡いでいく時間は、もしかしたら「家族」と呼ぶのかもしれない。
共に歩んでいく過程で互いを「家族」として捉え始めた、サスケとベンソンカップル。第2弾は、サスケに「お互いに必要な存在」と言われ、一つ屋根の下で共に暮らすベンソンの心と視点をお届け。
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ーー上が白で、下が黒。まったく同じではないけれど、ネックレスはペア。そんなふたりの出会い。そして友情から恋愛へ発展するまでの歩み。
新宿二丁目のバーで友達と一緒にお酒を楽しんでいた時、気がつけばサスケと話をしていました(笑)。結構お酒を飲んでいたから、あまり話の内容は覚えていませんが、楽しかった印象はありました。当時は都内に住んでいなかったのですが、次に都内に遊びに出た時に、サスケから連絡をもらったんです。友達とご飯をするから一緒に来ないかって。優しく微笑む彼との楽しかった思い出もあったので、すぐにOKをしました。
ご飯を食べて、ビールを飲んで、楽しく話をしていたら、「ビールおじさん」ってあだ名をつけられて、すごくショックを受けたんですよね。というのも、日本語がまだ上手ではなく、さらにその時少しお腹が出ていたので、ビール腹をバカにされたのかと思って凄く悲しかったんです。これは、後で友達が説明してくれて誤解が解けたのですが、ただ美味しそうに飲んでいたっていう理由なだけ。今ではふたりが出会った時期の笑い話なんですがね(笑)。
その後、都内でスポーツ系の会社を立ち上げることになり上京しました。ちょうどそのタイミングでサスケにも手伝ってもらえることになって、彼の知っている知識や知恵、人脈にはとても助けられたんです。そうしていくうちにほぼ毎日一緒にいるようになりました。ですが、日本で会社を立ち上げることが思った以上に大変で、心身ともに疲れ果てていたんですよ。朝、ベッドで目を覚ますと、起き上がれずにぼーっとしてしまって。動きたいのに動けなくて…。そんな僕の様子に気づき、懸命に看病してくれたのがサスケだったんです。
ご飯が食べれない状態の時は、僕の目の前でご飯を食べるのを我慢していてくれたりもしたんですよ。さすがに夜になると、申し訳なさそうに「ご飯食べていい?」って遠慮がちに言っていましたけどね(笑)。
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ーー「薬の代わりに、サスケは僕にハグをしてくれたんです」紆余曲折しながらもパートナーとして、向き合っていった期間。
病院では薬を処方されたのですが、それより嬉しかったのが、彼が僕にハグをしてくれたことでした。とても温かくって、しばらくすると自然と涙が出てきて、ゆっくり緊張がほぐされていくようでした。それが、僕には薬以上に効き目があったようで、しばらくすると、前みたいに動けるようになっていたんです。心の支えになってくれたサスケに、この時ほど感謝をしたことはありませんでした。
その後3週間程度、海外に出張することがあったのですが、帰国後、彼に会うと、なんだか寂しそうな顔をしていたんです(笑)。僕が大切に思っている以上に、サスケは僕のことを大切に思ってくれていたことが伝わってきました。だけど、それでも喧嘩をしてしまうんですよね。そんなことがあったにも関わらず、些細なことで言い合いをしてしまって、どちらからともしばらく会わない期間も正直ありました。怒りもあったけど、それより寂しさやサスケが悲しんでいるのかなという思いがあって、どうにかしなくちゃいけないって考えていました。
それからクリスマスに開催されたイベントがあったのですが、彼にきちんと思いを伝えるチャンスだと思って、クリスマスカードを渡しました。「気がついたら好きになっていました。いつも、側にいてくれてありがとう」と。それは、僕にとっての告白の言葉で、これからは寂しい思いはさせないよっていう意味でした。彼にもそれがしっかりと伝わり、この時から僕たちは付き合うことになりました。
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ーー付き合っていく上で、ひとつだけ抱いた疑問。その疑問は「向き合っていく」という志の高さと証明だった。
同棲し、一緒に暮らしていく中で、互いの価値観のぶつかりはありました。話し合ったり向き合ったりできましたが、ひとつだけ不思議に思うことがあったんです。サスケは、僕と付き合っていることを誰にも言わなかったんです。
僕は誰彼構わず、ツイッターやインスタでデートの様子をアップしていたので、周りの人からは僕が彼に付きまとっているように捉えられてしまったこともあったくらいで(笑)。でも彼は僕に、アップしないでくれとも言ってこなかったんで、聞いてみると、「ゴーゴーボーイとしてイベントに出演しているから」「お客さんが彼氏をいることを壁だと思ってしまうから」ってはっきり話してくれました。
理由を聞いて、納得したよ。これは彼なりにゴーゴーボーイという仕事に向き合っていた証拠だと思いました。振り返ると確かに海外のイベントに一緒に出演した時も、現地のお客さんやゴーゴーとうまく打ち解けられず、悔しさをあらわにしている姿があったんです。でもサスケはそれでも諦めずに何度も戦っていたと思います。
サスケは本当に何にでも一生懸命なんだ。それに行動力もすごい。思い立ったらすぐに、僕の頭では考えられないスピードで色々な下調べもして、動き出すんだよ。短絡的な行動ではなくて、自信のある行動ってやつ。そういうところが僕にはなくて彼にはある。うまく噛み合っている気がするんだ。
それに今は、ゴーゴーボーイの活動を休んでいているから付き合っていることを隠していないんだ。何の縁か、サスケが意を決して誰かに付き合っているっていうことを伝えたのはこのnewTOKYOで下着の記事で取り上げてもらった時なんだよ(笑)。ツイッターで記事の紹介をする時に僕たちのことを「カップル」って表現したことが、初めてだったんだ。当時の彼はすごく悩んで、考えて考えて、付き合っているっていうことを伝えることにしたみたい。
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ーー大切なパートナーとの未来を描くということ。ふたりの関係に「結婚」を意識したことがあったか。
母国である台湾では、昨年から同性同士での結婚が認められるようになりました。僕も昔から大切な人と結婚することが夢でした。
なのでいつかは、生きていく上での利便性や不便さを解消するためにも、法の許す限り彼と結婚をしたいとは思っていますが、今はそういう形に拘らずとも、まずは一緒にいられる時間を大切にして、できるだけ長く同じ時間を共有できるようにしようと思っています。離れて寂しい思いをさせてしまったことがあるから、同じ思いはもうさせたくないし、したくない。相手のことをそう思えることって、結婚と同じことだと思うんだよね。
僕はもうサスケのことを旦那さんだと思っているよ(笑)。日本では家族とは言えないかもしれないけれど、僕たちの関係が家族だって僕たちが言えば、家族なんだよね。
そうそう、少し前に、サスケが寝ぼけながら「結婚」のことを言っていたんですよ。僕との将来を意識してくれているんだなあって嬉しくなりました。僕たちの未来予想図は始まったばかり。
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ベンソン/BENSON
台湾出身。ゲイ雑誌バディの2016年5月号の表紙モデルを務め、ゴーゴーボーイやモデルとして活動する傍ら、スポーツ関係の会社を設立。現在はクラブイベントだけに留まらず、ゲイの健康や友達づくりイベントなどのコミュニティの橋渡しを担う活動にも積極的に参加。
Twitter @bensonbigbull
Instagram @bensonbigbull
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取材・撮影/新井雄大 Twitter@you591105
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
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