「どうする?」
いつもと同じように優しく問いかけてくる彼だったが、その声には少し緊張が滲んでいる。
僕はそれに気付かない振りをして、淡々と答えた。
「別れよう。うん、別れる」
付き合って3年目の記念日、花束と一緒に贈られたのは転勤の話であった。
若さを武器にしてきた代償は十分に心得ていたし、もう自分の手にその武器がないこともしっかりと分かっていた。
だから別に、悲しくなんてなかった。
悔しくなんてなかった。
ただ、少しだけ寂しさを感じた。
簡単に体を重ねてきた反動からか、枕を交わすことに嫌悪感さえ抱くようになってしまった。
出会い系アプリを全て消して、二丁目にも一切行かなくなった。
唯一残したTwitterで趣味や気が合いそうな人と年に数回会うという、10代の頃の自分からは想像もつかない落ち着いたゲイライフを過ごしていた。
そんなときに出会った彼。
同い年なのに僕よりずっと大人びて見えた。
ゆったりとした口調、穏やかな雰囲気、寛容さの権化のような人だった。
恋愛の話も夜の話も一切しない彼の前で、初めて僕は市場に身を置かずに安心できた。
知らぬ間に身に付けてしまっていた鎧を、そのときだけは脱ぐことができた。
彼の影響でカメラを買った。
彼とお揃いの、今どき珍しいハーフサイズカメラ。
カメラを使うために2人で色々なところへ出かけた。
カメラを片手に一緒に公園を散歩していると、ただならぬ充足感があった。
カメラ越しの彼があまりにも美しくて、何だか全てを許してくれそうな気がした。
だからだろうか。
僕は彼に自分がいかにひどい人間かを自然と語っていた。
「色々な人の気持ちを弄んできちゃったから、自分でも何をしたいか分からなくなっちゃったんだ、笑えるでしょ?」
ベンチに座り少し自嘲気味に話すと、彼は
「笑って欲しいの?」と真剣な眼差しで聞いてきた。
笑えるよ。僕だったら笑っちゃう。
人の好意を弄んで、恋人のいる相手と寝て、それで誰の好意も信じられなくなるなんて、自業自得過ぎて本当に笑える。
彼はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫だから。大丈夫」
このときの僕の顔は、どんなだっただろうか。
当然のように彼と付き合い、当たり前のように幸せな日々を送ってきた。
彼のことを信じている。
一緒に福岡に行けば、一生僕を大切にしてくれるだろう。そんな確信がある。
ただ僕は、今の仕事を捨てることができない。
遠距離になって彼の負担になることを考えたくもない。
それならばいっそ、僕の知らないところで、僕の知らない人と誰よりも幸せになって欲しい。
福岡への転勤が決まったことを話す彼は、まるで自分が悪いことでもしたかのように僕の顔色を窺っている。
結局僕は、自分のことばかり。
彼は最初からわかっていたように「そうだよな」とやはり優しく笑った。
「そうだよな。そうか。そうだよな」
初めて見る彼の涙姿があまりにも綺麗で
カメラ持ってくればよかった、と場違いな後悔をした。
◆〇〇な彼~ミスマッチなふたり~
Twitterやnoteなどで創作・発信をしているショートショートが、度々話題となっているやなの短期連載。毎回、東京のどこかであったかもしれない「僕」と「彼」のミスマッチングな恋をつづる。
文/やな Twitter@ ariwara_no
イラスト/内堀深朔 Instagram@minola1216
記事制作/newTOKYO