トランスジェンダーのサポートを担う理由。自分の培った知識が誰かの力になる、井上健斗のまっすぐな生き方

趣味は仕事と恋愛。それから釣りとランニング、あとはバードウォッチングを少し。家には前妻と一緒に飼い始めたチワワとシーズーのミックス犬が1匹。今は、自由きままに自分の時間を楽しむシングルライフを満喫中。
そんな、どこにでもいそうな男性、井上健斗さんは元女性。いわゆるFTM。22歳で性転換の治療を開始し、25歳の時に性別を変更。現在はトランスジェンダーのトータルサポート会社「G-pit」の代表を務めている。

趣味が仕事と恋愛? あえて答えたそのふたつが意味するところは、いったいなんなのだろう。彼の生きてきた道のりと、今手がけている仕事への想いをうかがった。

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——「好き」という感情を模索した学生時代。「FTM」という言葉、存在を知れたことで、自分自身に抱いていた違和感が解き放たれた思春期。

物心ついた頃から無意識的に好きになるのは仮面ライダーとかで、スカートは嫌がっていましたね。でも、当時はFTMという言葉も知らなかったし、まさか自分がそうであるなんてことも思ってもいませんでした。

僕が気がついたのは、ちょうど中学生の頃です。
その頃って、好きとか付き合っているとか両想いとか、そういう話が出るじゃないですか。僕も当時はセーラー服を着て登校していたので、女友達と恋バナになり、「誰が好きなの?」って質問されて。そしたら、周りがはやし立てるから、なんとなく名前を言った男子と付き合うことになったんですよ…。
でもね、気持ちが入らないんです。好きっていう感情が分からなかったので、こういうものなのかと思ったりもしたんですけど、明らかにみんなが言っている「好き」っていう感情とはかけ離れているなって。

それで実は、その時別に気になる子がいたんですけど、女子だったんです。その子の家の前を通った時に「あ、部屋の電気点いているなあ」「今、いるのかなあ」って、頭の中で思っているのに気がついたんです。付き合っている男子のことは一切頭をよぎらないのに。
その差を感じてから、周りの友達の「好き」っていう感情を擦り合わせていって、自分なりに考えてみて、ようやく自分は恋愛対象として女子が好きなんだってことを知ったんです。
同時期に、ちょうど「金八先生」(TBS)の第6シリーズでトランスジェンダーを題材に扱っていて、FTMという存在について知ることができて、「自分はこれだ!」って。衝撃が走ったとともに、今までどこかにあった違和感が突然クリアになったのをはっきり覚えています。

——自身のセクシュアリティへの気づき。だが、それを受け入れることができる環境や知識、勇気はなく、殻に閉じ籠もる生活を過ごす。

自分がFTMであること、男性として女性を好きであることに気がついてから、女の友達にカミングアウトしようと思ったことがありました。
だけれど、ちょうどその時の中学校の後輩にレズビアンのカップルがいたんです。そのカップルへの周囲の反応は「気持ち悪い」「近寄らない方がいい」「変態だ」でした。それを耳にしてしまい自分と重ねることで、自分って気持ち悪い存在なんだと思うようになっていったんです。
それで自分に蓋をすることを決めました。誰にも言わない。これは誰かに言ってはいけないことなんだ。この時は、自分と向き合うことさえもしなかったんですよね。

それから高校へ行き、女性として学校生活を送っていました。すべてがつまらないわけではないし、楽しいこともありました。だけどこのまま、女性として生きていくのかなと、悶々とした日々を過ごしていました。

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——「明日死ぬかもしれないと思って生きよう」。父親の死をきっかけに自分の人生のレールを切り替えた健斗さん。その一歩はとんでもない大きな世界に広がった。

19歳の時に、父親が癌で亡くなったんです。亡くなってから知らされたのですが、血縁関係がなかったんですよ。
当時の僕は性別のうっぷんや思春期の複雑な感情が溜まっていて、父親を馬乗りになって殴っていたくらい反抗期がひどかったんです。もちろん、殴り返されたりもしていました。でも、振り返ってみると本気で僕と向き合ってくれていた姿勢だったし、自分の娘として育ててくれたんだって実感した時に、かっこ悪いと思っていた父親をリスペクトできて、すごいかっこいいなって。それで、めちゃくちゃ後悔したんです。

死んでからじゃ、ありがとうって言えないんだって。そう思った時に、明日死ぬかもしれないと思って生きよう。って、強く決めたんです。
それで、自分自身の生き方を振り返ってみて、女性というレールの上にいたら、僕の幸せはないなと感じたんです。だから、性別を変えようって思いました。

——ホルモン治療までの2年間。性別適合手術までの5年間。まっさらな状態から知識を模索し手術を受けるまでの道のり。そして、実感した不便さ。

どうやったら男性になれるか? ネットが普及していなかった当時、思ったように情報を集めることが難しかったんです。そんな中で、とあるオナベバーの存在を知って、話を聞きに行ったんです。
初めてFTMの人に会うという緊張感、夜のバーに行く不安が入り混じっていたのですが、その性転換した方が「男っていうのはそういうのは人に聞くもんじゃねえ。教えてやんねえから」って。それが、いい答えだったのか、悪い答えだったのかは未だに分かりませんが、当時の僕はめちゃくちゃかっこ悪いなあって思ったんです。

その悔しさもあって、約2年程の歳月をかけて自力で情報を集め続けました。
そして、22歳の時にホルモン治療をはじめ、25歳でようやく性別適合手術の技術が進んでいるタイへと向かいました。
しかし、現地に着いてすぐ衝撃を受けたんです。まったく言葉が分からなかったんです。言葉もそうですが、生活習慣も日本とは違っていて、手術をするために来たということも重なってとても不安を感じたんです。
それで、日本語の分かる通訳の方を紹介していただいて、身の回りの生活のことを面倒見てもらったんです。特に、医療関係の言葉はなんとなく分かるということもなく難しい言葉が多いので、そういう面での通訳はとても助かりました。

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——性別適合手術を受け、男性となった井上健斗さん。Tシャツ1枚で過ごせる自由の素晴らしさ。自分らしく生きるられる・恋愛できる喜びが、今の最大限の源だと話す。

僕の場合は、性自認してからも女性のことが好きだったけど、自分の体が女性であることに違和感があって恋愛することができなかったんです。片想いはしてもそこから先に進む勇気が持てませんでした。
男性として女性と恋愛を楽しめるようになったのが25歳。性別を変えて、ようやくスタートラインに立てたなって、その時に思いました。好きな人に好きって自然体でできるってことが嬉しくてしょうがなかったです。だから、恋愛に関してもしっかり熱量を注いで、楽しんでいるんです。中々続きませんが(笑)。

——捉え方で世界は変わる。自分が得た知識が誰かの力になったり、悔しさや不便な想いがこれからを生きる仲間の役に立つようにと立ち上げた会社の目指す社会のあり方。

自分の経験を踏まえて、今はトランスジェンダーのトータルサポートをしています。
ホルモン治療を開始した時に、その経過や情報を知識としてサイトに掲載したんです。きっと自分のように、情報を知りたいと思っているはずだって。それで、実際にサイトができると全国からものすごい数の問い合わせが来るようになって、たくさんの人に会う機会が増えて、自然と今のような会社になったんです。
情報や知識があっても不安は抱くし、渡航して現地で手術を受けることに対してはまだまだ不便なことがいくつもあります。自分が教えられる範囲で、同じ悩みを抱える仲間にたくさんのこと伝えられたらいいなと思っています。

会社の理念に「トランスジェンダーが生きやすい未来に」というのを掲げているのですが、相談に来てくれる方はもちろん、僕自身のことも含まれているんですよね。性別を男性に変えた後でも、それで終わりではないんです。まだまだいろんな悔しい思いをする場面がたくさんあるんですよ。そういう人たちが生きやすい社会を作ることが僕のためでもあるし、みんなのためになると思っています。

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井上健斗/株式会社G-pit
自身が性別を変更する際に培った知識や経験を活かしトランスジェンダーへの無料相談、タイで手術を受ける際の通訳の紹介や送迎などに加え、トランスジェンダーが抱える妊活、子作りに関する相談を受けたりと多岐にわたるサポートを行う「株式会社G-pit」の代表。http://g-pit.com

取材・撮影/新井雄大 Twitter@you591105

※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp