目まぐるしく移りゆくファッショントレンドの中で個性豊かな原宿ファッションが再びフィーチャーされ、いわゆる「原宿系モデル」が雑誌やテレビといったメディアを賑わせていた2010年代半ば。当時、竹下通りのアパレルブランドのショップスタッフとして働いていた、ぺえさんもまた独自の着こなしと「似合ってないものは、似合っていないと伝える」といった正直かつ愛のある接客が話題となり、瞬く間にティーンのカリスマとして人気を集めた。
メディアへの露出が急激に増え世間から求められるキャラクターを演じているうちに、本当の自分を見失っていたぺえさんであったが、ある言葉のおかげで「らしく」生きれるようになったと話す。セクシュアリティを含め、ありのままの自分を全力で楽しむ、今のぺえさんから「楽して、楽しく」生きるヒントを伺った。
──右も左も分からぬまま、身を委ねるように芸能界デビュー。多忙な日々の中で「自分らしさ」を見失いかけたぺえさんを救った言葉とは?
元々、芸能界で活躍したいという気持ちは全くなかったんです。小学校から大学までバレーボールに時間を費やしていた体育会系男子だったので、逆にそれまでの生活で縁のなかったメイクやファッションといったジャンルに関わるお仕事ができればと思い、上京。ほどなくして、原宿・竹下通りのアパレルショップで働かせていただくことになりました。私のファッションスタイルが確立したのはこの頃で、派手なメイクやピンクヘア、ショートパンツ、時にはスカートを穿いたり…とにかく自分の直感でカワイイと思ったものをギュッと詰め込んだコーデを楽しんでいました。
働き続けて、一年後くらいかな?メディアで取り上げてもらえることも珍しくはなくなってきて、流れに身を委ねるようにタレントとして芸能界入りしました。いざ、テレビ出演をしてみると「女装タレント」というジャンルの中の一人として紹介されることに対して、「ん?」と違和感を覚えました。自分がカワイイと思ったものを身につけているだけなのに「女装」と一括りにされてしまうこと、そしてテレビをご覧いただいた方やこうして取材をしていただく方にも「女性になりたい男性」と思われることも多く、目に見える情報だけで本来の自分とは乖離した解釈を世の中にされていることに息苦しさを感じたんです。
ただ、当時は芸能界に入っても間もないにも関わらず、ありがたいことにバラエティ番組を中心にお仕事をいただける環境だったから、そういった点はあまり深く考えないように蓋をして…。常に明るく笑顔で、時には自分の本心とは異なる言動をしてでも、皆に求められる「ぺえ」を演じていました。ただ、やっぱり体は素直よね(笑)。どの自分が本当の自分か分からなくなった時、心身ともに体調を崩しました。「このまま突っ走ったとして、今後やりがいを感じながら楽しく仕事ができるの?」。久しぶりに流れるゆっくりとした時間の中で、自分自身の全てをさらけ出して生きたい、そっちの方が絶対に楽しいって思ったんですよね。
そんな時、母親からかけてもらった「頑張らないで、頑張りなさい」という言葉や親友・りゅうちぇるからの「頑張っても、自分が自分じゃなくなったら終わりだよ」という言葉が強く後押ししてくれました。前々から、無理していることは自分でも分かっていたのですが、そんな自分に気づかないフリをして「ぺえ」を演じることをやめるという選択に踏み切れなかった。そんな自分の気持ちに気付いてくれて…もう無理しないでいいんだよって言ってもらえたような気がして、思わず号泣してしまいました。
正直、数年前までは「私は何なんだろう?男性か女性か、どちらと位置付けたら分かりやすく知ってもらえるのだろう?」と、世の中のジェンダーやセクシュアリティに対する理解の進みを鑑みて行動していたので、どこか気を張っていたと思うんです。でも、最近はもうどっちでもいいかなって。私は自分のことを男性と認識していて、男性として男性を恋愛対象とするゲイですが、女性と思われたら女性、男性と思われたら男性でいいし、外見に関しても女装もしくは一ファッション、どちらで捉えてもらってもいいと思えるようになりましたね。もう、ご自由にどうぞって感じ(笑)。きっと、女装タレントやLGBT当事者というマイノリティの肩書きが無いとしても「ぺえ」として生きていける、そして戦える自信と覚悟がついたからなんじゃないかな。
──「悩んで考える時間こそ将来、その人をとびっきり輝かせるんだと思う」。ぺえ流・頑張りすぎないセクシュアリティとの向き合い方!
今でこそ「自分の人生が世界で一番楽しい!」と思えるくらい幸せな毎日を送れていますが、私も小学5年生から中学2年生までの間は、自身のセクシュアリティに悩んでいた時期があったんですよ。ただ、同級生の男子から告白されて付き合い始めて、考え方が随分と変わりました。私はどちらかというと同性とお付き合いをすることに後ろめたさを感じていたのですが、それとは正反対に彼はもうグイグイ(笑)。クラスメイトの前で平然と付き合っていることを公言していましたし、私のことを好きと言葉でも態度でも表現してくれる人だった。当然、最初は疑問視されることはあったけれど、貫き通すと環境って徐々に変化していくもので。気付いたら、冷たい視線を浴びることは無くなっていたし、皆が受け入れてくれるようになった。今考えると、とても大胆なカミングアウトですよね。
両親や家族に対しては、テレビ番組の企画でカミングアウトをする機会を頂きました。正直、してよかったなって思ってます。やっぱり家族には、本当の自分を知ってもらいたいという気持ちがどこかにあったんでしょうね。以前よりも心の距離が近くなったことを感じるし、前向きに恋愛の話とかできるようになりました。
ただ、100人中100人がカミングアウトをして周囲の人間と良好な関係が築けるような世の中ではありません。そのような環境下の中で、自身のセクシュアリティやジェンダーに対して自己嫌悪感を抱いている人も少なくないはず。
でも、芸能界に身を置き、たくさんの著名人の方とお会いして分かったことが一つあって。それは悩みだったり、苦しみだったり…そういう心の影の部分が大きければ大きいほど将来、花開いた時にものすごい輝きを放つ存在になるということ。「なんか、この人凄いかも…」と思う方たちは、ほとんどが心の影が大きな割合を占めていた人たちばかり。それからは、苦しみの数や考えた時間というのは、面白みのある人間にステップアップするために必要不可欠なものと捉えるようになりました。だから、今抱えている悩みをポジティブに昇華できるようになるまでは、無理して理想の自分に近づこうと頑張りすぎないでほしい。じゃないと、私の二の舞になる(笑)。それを伝えたくて、すっぴん完全OFFのありのままの私の姿をYouTubeでアップし始めました。何事も自分のペースでいいし、生きているだけで凄いんだからね。
とは言え、将来のことを考えると不安でいっぱいな気持ちになるわよね? でも、同じような悩みを抱えていた私は今、とっても幸せに生きている、それだけは頭の片隅でいいから知っておいてほしい。もっと幸せになるために立てた次なる目標は、日本で結婚をすること!地域においてはパートナーシップ制度はあるけれど、やっぱり結ばれるからには法律的にも男女の結婚と全く同じよう認められたいわ。結婚にジェンダーの区切りがある限りLGBTsという言葉もなくならないし、普通の存在にはならない。その大きな一歩として同性でも結婚ができる未来が来ることを願っています。
■ ぺえ
1992年生まれ。TWIN PLANET所属タレント。大学卒業後と共に上京。アパレルブランド『W♡C』原宿竹下通り店のショップスタッフとして働くや否や個性的な着こなしと接客が話題となり、ティーンを中心に多くの支持を集めるように。タレントに転身後は、バラエティ番組を中心に活躍。近年ではLGBTQイベントへの出演やYouTubeチャンネル開設など活動の場とファン層を広げている。
■ Twitter@peex007
■ Instagram@peey
■ YouTubeチャンネル
取材/芳賀たかし
写真/新井雄大
記事制作/newTOKYO
※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp/