アートとHIV/AIDSとLGBTQ+コミュニティ。中村キース・ヘリング美術館ディレクター・Hirakuが考える日本の未来。

ポップ・アートの先駆者であったキース・ヘリングのアートを通して、日本でLGBTQ+人権の啓発運動やHIV/AIDSなどの予防啓発・サポートなどに携わる、中村キース・ヘリング美術館のシニアディレクター・Hiraku氏。

美術館開館15周年を迎えた今、美術館が発信し続けるメッセージとHiraku氏のLGBTQ+コミュニティへの想いをうかがった。

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LGBTフレンドリーなキースヘリング美術館

ーー中村キース・ヘリング美術館館長との出会いとHiraku氏が働くようになったきっかけを知る。

「セックス・アンド・ザ・シティ」や「プラダを着た悪魔」の衣装を手がけた世界的に有名なスタイリスト、パトリシア・フィールドの元でクリエイティブ・ディレクターを務めさせていただいていたのですが、2014年に母親が末期がんを宣告されたことで、日本に帰国したんです。

数日後母がこの世を去り、しばらくは何もできないでいると、パトリシアの提案で、山梨県小淵沢にある中村キース・ヘリング美術館に行ってみたんです。

パトリシアはキース・ヘリングと交友関係があったこともあり、没後20周年記念コレクションをデザインしていて、私もそれに関わっていました。その際に館長の中村さんや顧問の梁瀬さんともやりとりをしていたので、久々に顔見知りに会いに行くような感じでした。

キースヘリング美術館のアートディレクターのHiraku

その一ヶ月後、館内でお手伝いしたのをきっかけに中村さんからうちで働かないかとお誘いいただき、そのまま中村キース・ヘリング美術館で働くことになったんですね。

実は正直、日本に住みたいという思いはあったんです。ずっとニューヨークにいたので、日本に帰ってみたら日本人なのに日本の文化を全く知らなくて……。外の世界を知らない自分の世界って本当は広いようで狭くて、ニューヨークにいたことで勝手に大きいと思っていたんです。だから日本で成長して大人になるってどんな感じなのかなって。

それに、キース・ヘリングって私にとっても本当に身近な存在だったんです。
同じゲイであることはもちろん、ニューヨークのダウンタウンで活動してきたことやパトリシアとの交友関係、中村さんとのご縁など、いろんな繋がりがあったように今は感じています。

ーー美術館設立から15年。ヘリングの想いは今どのような形で社会にアウトプットされているのか。

中村キース・ヘリング美術館は、アートの普及活動だけでなく、ヘリングの遺志に沿って、LGBTQ+コミュニティの平等やHIV/AIDSへの正しい知識や情報の普及などの社会活動に2007年開館から変わらず取り組んでいます。

ヘリングが生きていた当時はHIV/AIDSに対して「撲滅」という表現が使われていましたが、現在では感染者や患者も根こそぎ排除するような差別や偏見に満ちた表現として捉えられることがあります。

だけれどそれが時代と共に「共生」という形に変わり、さらに必要のない社会的スティグマの排除だったり、当事者へのサポートとして声を上げるようになりました。

キースヘリング美術館のHirakuのインタビュー

今では「不治の特別な病」ではなくコントロール可能な病気に変わったこと、さらにU=U(適切な治療をしていれば他者に感染させることはない)というメッセージを中心に発信するようにしています。

また、HIV/AIDSという病気にセクシュアルオリエンテーション(性的指向)は関係ありません。
だからこそゲイに限らず、シスヘテロの人たちへの理解促進にも力を入れるようにはしています。

私自身はゲイであることを活かして、自分にできる社会貢献がなんなのかをずっと模索し続けていました。
結果今では、美術館のひとつの仕事として、このヘリングの想いに自分の経験や時代に合わせたメッセージを重ねて、大勢の方々に届けることができていると思っています。

キースヘリング美術館の内装

ーー中村キース・ヘリング美術館が生み出す、多様な考え方・生き方・働き方に学ぶ姿勢とは。

中村キース・ヘリング美術館の素晴らしい点のひとつは、館長を務める中村さんがダイバーシティに魅力を感じている部分だと思います。
時代の流れや企業的な取り組みといった観点ではなく、本当に「人」に興味を抱くユニークな人物なんです。

例えばゲイの「特徴」に面白みを見出しゲイコミュニティと深く関わることがあったり、外国籍やインターナショナルな背景を持つ人にすごく興味を持たれ、話を聞きにいく。
そういった彼の姿勢が、ここで働く私たちを生き生きとさせてくれているのではないでしょうか?

キースヘリング美術館の作品

また、中村キース・ヘリング美術館は私が日本で初めて働いている場所ではあるのですが、ここでは「自分の世界を作って働ける」ことがスタンダードであり、社内の常識や規定は、今いるスタッフの中で作られたものがほとんど。

雇用されているという感覚ではなく、自ら発信し能力を発揮できることで、ワーク・エンゲージメントも高く感じられるのではないかなって思っています。

だからこそ、セクシュアリティなんていうものは関係なくて、それぞれの個性で馴染めていけていることが、とても素敵な職場環境ですよね。ただ新しいスタッフが入ってきたときは、何から話せば良いのか、未だにわからないんですけどね(笑)。

キースヘリングの作品

ーー今、日本に足りないものとは? 多様性あふれる社会への実現にはまずスタート地点を揃えること。

同性婚の実現、アライの普及、当事者の可視化……。一括りにできるものではなく、様々な方向でLGBTQ+への理解が大切なのは言うまでもありません。

ただ、私がこういったお話で一番感じるのが、なぜLGBTQ+を「特別扱い」しなくてはいけないのか?と考えるヘテロセクシュアルの方の多いこと。

同性婚を例に挙げると、私たちは特別な権利を求めているのではなく、「平等」に扱ってほしいということを言っているだけなんですよね。私たちにない権利をただ補ってもらいたいだけで、その上でさらに権利が欲しいとか、特別扱いをしろと言っているわけではないってことであって。

キースヘリング美術館のHiraku

だから、「スタートラインを一緒に揃えてほしい」という私たちのこの声を、今は一人ひとりがしっかりと発信していくことが大切なのだと思っています。

また私がLGBTQ+への理解促進と同様に注力しているのが、自分たちのコミュニティにおける人たちのエンパワーメントを図ることなんです。社会全体がより生きやすくなるのは必須であるけれど、その前に自分たち自身もしっかりケアし、心が豊かになっていくことが、大前提なのではないかと考えています。

■Hiraku
2014年までパトリシアフィールドのクリエイティブディレクターを務め上げる。現在は中村キース・へリング美術館シニアディレクターとして、LGBTQ+の可視化や権利獲得活動に積極的に取り組んでいる。また、様々なトークショーへの出演、モデルやアンバサダーなど多岐に渡り活躍中。
中村キース・へリング美術館公式サイト

取材・インタビュー/村上ひろし
写真/EISUKE
記事制作/newTOKYO

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