ぼくたちがカミングアウトした理由【ジブンヒストリーアーカイブ #05】

気づけば、立ち上げから5年目を迎えていた「newTOKYO」。「新しいことは、楽しいこと」をテーマに、LGBTQ+コミュニティの皆さんに協力を得ながら、これまで1,100を超える記事を発信してきました。
そこそこに記事もたまってきたことだし、連載やテーマ毎に記事をアーカイブして発信するのもアリじゃないか? と思い立った次第です。

今回は写真家の天野ヒカリさんが撮影したポートレートともに、これまでの自分を振り返ってもらう連載企画「ジブンヒストリー」をプレイバック。

13 しんたろう(2021.05.07掲載)

ーー前職ではカミングアウト後、全員に無視されることもあって。

初恋は17歳の時に出会った外国人。当時はゲイの友達が全くいなかったため、不安な気持ちでいっぱいでしたね。 その後、心臓をバクバクさせながら姉にゲイであることを打ち明けると「え?知ってるけど?」とリアクションされ、拍子抜けしたことを今でも覚えています。

現在の勤め先はありのままの自分を受け入れてくれていますが、以前勤めていた会社ではカミングアウトした際、全員に無視をされるなんてこともありましたね(笑)。この数年で、堂々と生きられる世の中へ移り変わってることを肌で感じました。 (他ポートレート3枚)

14 まこと(2021.06.30掲載)

ーー地元を離れるとともに同僚にカミングアウト。

小学生の頃に所属していたスポーツ少年団の先輩に面倒をみてもらっているうち、その先輩を目で追うようになって。ただ、成長するにつれて自分のセクシュアリティを自覚しはじめてからは、地元が離島でコミュニティが狭いということもあって、ひたすら隠していました。

まぁ、地元を離れたタイミングで、隠すのが面倒になって受け入れられなくてもいいかという覚悟で職場の同僚には明かしたんですけど…。取り立てる様子もなく接してくれたので、今は話して良かったと思っています。(他ポートレート3枚)

15 KENZO(2021.08.08掲載)

ーーカミングアウトすると、母は号泣して「ごめんね」と。

自分がゲイであることを周囲に話したのは、社会人としての生活に慣れ始めた頃。周りから結婚の話をちらほら耳にするようになり、「結婚」という選択肢がないことが精神的に追い詰められそうで、親に勘当覚悟で話をしました。

母親には「知ってた。辛い思いさせてごめんね」と言われ、号泣したのを今でも覚えてます。現在はお付き合いをしている方を紹介するなど、良い親子関係を築けてます。 (他ポートレート3枚)

ーー「ジブンヒストリー」では全22回に渡り、ゲイ当事者へインタビュー。ピックアップした3人も含めて全7回に分けてアーカイブ予定なので、是非チェックしてみて。

写真・企画/天野ヒカリ
編集/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO

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