日米2市でパートナーシップを結んだ交際12年目のカップルが掲げる人生テーマ「Color Your Life!」って?

沖縄のゲイカップルのYOSHIKIとRYUJi

YOSHIKIさん(左)とRYUJIさん(右)は12年前、地元・沖縄で共通の友人を介して出会った。次第に惹かれ合い12年の歳月を共にしてきた彼らの人生に触れた1時間のオンラインインタビューで確かに伝わってきたのは、付き合った当初から色褪せることのない愛情と自分らしく生きることが人生を何色にも変えてくれるということ。
今回は「らしさ」と互いを思いやる気持ちを貫き、何よりも自分たちのスタイルを大切にし続けてきたお二人の12年間を一緒に振り返る。

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沖縄のゲイカップルのYOSHIKI

――形だけでも2人の関係を証明するパートナーシップを結ぶため、同性婚裁判で揺れていたアメリカ・カリフォルニア州へ。

YOSHIKI:自分のセクシュアリティを改めて見直すことになったきっかけは、大学1年次に高校の後輩に告白された時です。その当時は当たり前のように女性とお付き合いをしてきて、男性と交際をするという選択肢は自分の中にはありませんでしたが、不思議と嫌な気分ではなくて。最初は後輩だから嫌悪感を示さなかったのかなと思ったのですが、自分の気持ちに正直になってお付き合いすることにしたんです。対外的に考えたら、女性と付き合うことに比べて人の目も気になり、「男性は女性と付き合うことが当たり前」というような固定概念で葛藤する気持ちがないこともなかったですが、愛するという気持ちに変わりはありませんでしたね。
その後、女性とお付き合いすることもあったのですが、以前のように「手を繋ぎたい」とか思わなくなって、「あ、自分はゲイなんだな」とはっきりと自覚したのは、大学2年次の頃でした。

沖縄のゲイカップルのRYUJI

RYUJI:僕は、今思えば小学6年生の時に同級生の男子に恋愛感情として好意を抱いていたと思います。だけど、周りは全員女の子が好きだと思っていたし「自分は変なのかも?」と、常にモヤモヤした気持ちで思春期を過ごしていました。ただそのような価値観も大学2年次に経験したハワイでの留学経験でガラッと変わりましたね。ハワイはLGBTsフレンドリーな州として有名で、当たり前のように多様な存在が受け入れられていました。
最初は驚きましたが自分の過去を知っている人がいない異国での生活、そしてそんな周囲の影響もありゲイである自分を受け入れて、オープンマインドになることができました。初めて男性とお付き合いをしたのもハワイで、現地の方でした。YOSHIKIと出会ったのはそれから8年後、28歳の時。東京で生活をしていたのですが、帰省のタイミングで知人を介して知り合いました。彼の第一印象は良い意味でノンケっぽくかっこいいし、出会ったことのないタイプでした。

YOSHIKI:僕はただただ一目惚れ。「付き合う人はこの人が最後」とまで決めていました。その後、連絡先を交換してデートも何回かしたんですけど、RYUJIが全然話さなくて僕ばかり話してましたね(笑)。

パートナーシップを結んだゲイカップル

RYUJI:確かに(笑)。ただ、時間が経つにつれて素直な性格や泣き虫なところ、動物好きなど外見では想像できようなギャップをたくさん目にして徐々に惹かれていったかな。その時にはもう「この人だったら将来もずっと一緒にいたいな」とは思っていました。そうしてお互い気持ちを伝えて交際をスタートさせた一年後に、フランスのモンサンミッシェルでLGBTsカップルが挙式を執り行ったというニュースを目にして、僕たちもそこで結婚式を挙げたいと思っていたので下見に行くことになったのですが、家族の諸事情でやむなく中止することに。

それから少し経ってからアメリカのカリフォルニア州・ウエストハリウッド市で同性パートナーシップ制度というものがあることを知り、日本人がアメリカでパートナーシップを結べる確証はなかったものの、2人の関係性を形として残せるのであればと2009年9月に現地へ向かいました。
現地の役所の方に事情を説明しとりあえず申請書を提出したら、その場でドメスティックパートナーシップ登録をしてくれた上に、職員によるサプライズの紙吹雪とお祝いの言葉も添えて証明書を手渡してくれました。驚きもありましたが、何より自分たちを認めてくれる第三者の存在と証明書がいただけてとても嬉しかったですね。

ウエストハリウッドのパートナーシップ制度は、那覇市の同性パートナーシップ制度と変わらず、制定された市内でしか効力はないのですが、内容的には「18歳以上」「二人の関係を市によって承認されるようになるには、WHに居住する必要はない」ということが大きく異なる項目ですね。

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パートナーシップを結んだ沖縄のゲイカップルのYOSHIKI

――那覇市で同性パートナシップを結んだ2人。「Color Your Life!」を人生のテーマとして生きる彼らが見据える理想の将来像とは?

YOSHIKI:ウエストハリウッド市で証明書を発行していただいた後、二人で地元・沖縄を離れ、福岡県に住み始めました。母親にはカミングアウトしていて「自分の人生、あなたの好きなように生きなさい。私の息子にはかわりないさ~」という言葉をかけてもらったことは、未だに鮮明に覚えてますね。その後、姉からも電話がかかってきて「ようやく言えたね」と。2人とも薄々気づいてはいながらも、僕から言うまでは触れないでいてくれたのだと思うと、良い家族に恵まれたなと感じています。それから、しばらくは福岡で生活をしていましたが、お互いの家族を近くで見守れる場所にいようということで2015年に2人で沖縄に戻りました。

RYUJI:僕は東京で生活している時になぜか両親にゲイであることを知られてしまって。両親は同性愛には否定的で、父親に至っては「お前は病気だ」と言われ喧嘩沙汰になり、それからはセクシュアルについて触れることはありませんでした。何年かして、福岡での生活から一時帰省した際、両親との食事の場が設けられたんです。そこで父親から「お前のセクシュアリティについて理解した」と言われたんです。どうやら、僕がゲイだと確信して以来、LGBTsについて自分なりに色々と調べて勉強していたようなんです。社会全体がLGBTsを認めてきている中で、自分の偏見や固定概念だけで息子を否定することは間違っているのではと考え始め、これも一つの個性ではないのかと思えるようになり、最終的には、ありのままの僕を受け入れることができたようです。家族間の大きな溝が埋まり、本当の家族になった瞬間でした。嬉しくて家族全員で大泣きしてしまい、レストランの店員を困らせてしまいましたね(笑)。

YOSHIKI:そう言えば、那覇市の同性パートナーシップをいの一番に勧めてくれたのもRYUJIのお父さんでした。那覇市でパートナーシップ制度が導入されたのは2016年で、僕たちはその年の7月に申請し登録させて頂くことができました。証明書があることによって民間企業から出ているLGBTs向けのサービスを受けることができるようになっているし、婚姻関係が認められている夫婦と同じ待遇を受けられることは素直に嬉しいことですね。

RYUJI:今は携帯会社の家族割の適用や、クレジットカードの家族カードを持つこと、マイルの合算などが出来ていますし、世の中から徐々に存在を認められるようになってきているなと感じています。
そして、家族も理解し認めてくれたことで、他人の目を気にせず自分たちの生き方に自信が持てるようになり、二人のありのままを日記感覚でインスタグラムに投稿し始めました。最近は、僕たちのライフスタイルのテーマでもある「Color Your Life!(人生に彩を!)」に沿ってLGBTsの方たちが自分色で、自分らしく、色とりどりの人生を歩めるように、また様々な人生の選択肢があることをSNSを通して知ってもらうことで、誰かの一歩を踏み出すきっかけや、後押しすることが少しでもできれば良いなと意識して発信するようにしています。 

ゲイカップルのYOSHIKIとRYUJI

YOSHIKI:そうだね。僕たちもそうであったように誰かが認めてくれたり、自分と同じような境遇の人がどのように生きているのか知ることって、心の支えという面で大きく影響するんじゃないかなと感じていて。今度は支える存在に僕たちがなれればと思っています。そういった発信もしつつ、将来的には人も食べ物も景色も、トリコになってしまった台湾で生活ができればいうことはないですね(笑)。

RYUJI:僕は…YOSHIKIが行きたいところに一緒に行けるだけで幸せです。今もこれからも変わらない自分たちらしい生き方を続けていきたいですね。あとは、県内の犬や猫の保護活動に力を入れているのですが、その取り組みも続けて、一匹でも多くの命を助けていけたらと思っています。少しでも沖縄のために貢献していきたいです。

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プロフィール
Yoshikiさん:35歳/ゲイ/沖縄在住/福祉関係
Ryujiさん:39歳/ゲイ/沖縄在住/自営業
■ Instagram@color_.your._life

インタビュー/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO

※この記事は、「自分らしく生きるプロジェクト」の一環によって制作されました。「自分らしく生きるプロジェクト」は、テレビでの番組放送やYouTubeでのライブ配信、インタビュー記事などを通じてLGBTへの理解を深め、すべての人が当たり前に自然体で生きていけるような社会創生に向けた活動を行っております。
https://jibun-rashiku.jp

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